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流れ橋

 先日、休みに車を借りて、京都府にある「流れ橋」へ行ってきた。

「流れ橋」は、正式には上津屋橋(こうづやばし)という。京都府の八幡市と久御山町を結ぶ形で木津川に架かっている歩行者専用の橋で、全長は366.5メートル。欄干のない木造橋で、時代劇のロケの定番地だという。

「流れ橋」という通称は、この橋の独特の造りに由来する。なんと洪水時に橋桁(橋を渡る時に使う道の部分)が流されるようになっているのである。もっとも、橋桁は橋脚とロープで結ばれており、すっかり流されてしまうというわけではない。むしろ、流れるようにすることで水の圧力を減じて橋の崩壊を防ぐことができ、復旧時にはロープを引き上げるだけで橋を元通りにできるというメリットがあるようだ。

 こんな風変わりな木造橋だから、さぞかし歴史があるのかと思いきや、架橋されたのは1953年、つまり戦後である。ちょっと拍子抜けするような話だが、まだまだ物資が乏しい時代に、なるべく安価で洪水の被害も少なくなるよう、知恵と工夫を重ねて造られというから、勝手に拍子抜けなどするものではない。

(ここまで橋の説明は「京都府南部(山城地域)の観光情報サイト」を参考にしました)

 流れ橋を訪れるのは2度目である。最初に訪れたのは2年前の冬だった。橋の造りに興味を持ったわけではなく、単純に木造の長い橋が珍しいので見てみたいと思ったのがきっかけだった。ところが運の悪いことに、当時橋は台風の影響で流されていて、川岸には通行止めの看板が立っていた。今から考えてみれば、この橋の一番ユニークな面を見られた貴重な機会だったわけだが、その時の僕はとにかく架かっている橋が見たかったので、すっかり気落ちしてしまい、そのまま木津川の堤防をつまらなそうに彷徨っていた。

 それ以来、流れ橋のことは頭の片隅に置き去りにしていたのだが、最近ふと思い出した。そして、「そうだ、俺はちゃんと橋を見てないのだ」と思うと、無性にもう一度行ってみたくなった。こうして話は冒頭につながるわけである。

橋桁が流された流れ橋(2020年2月)

 当日はよく晴れた日だった。近くの駐車場に車を置き、青空を眺めながら木津川の土手に上ると、眼下に流れ橋が見えた。橋の手前にお茶の畑があったが、季節ではないのか人の姿は見当たらなかった。

 いよいよ橋を渡り始める。辺りに視界を遮るものなど何もなく、一切が消し飛んでしまいそうなくらい開けた場所であった。その中を対岸に向かって真直ぐに橋がのびる様を見ていると、心の奥に思い描かれる原風景を目にしているようで、胸がスッとした。

 ふと橋の下に目をやると、河原に石が並んでいるのに気が付いた。最初はただの石の集まりだと思っていたが、よく見てみると、それは文字の形に並んでいたり、絵になっていたりした。人の名前らしきものが多かったが、橋から少し離れたところには「コロナにまけるな」というメッセージもあった。ありきたりな文句だが励まされるなと思った。

 その後橋を渡りながら、この石文字を作った人たちのことを考えていた。僕の脳裏に浮かんだのは、制服姿の学生たちが放課後に河原に下りて石を並べる姿だった。仲間の一人は橋の上にいて、橋桁から足を垂らしながら、字の形を見ている。そして時折下に向かって、石の位置を指示するのだ。いいなあと思った。

 橋を渡り切った先は、特に何があるわけでもない土手だった。その先用のある場所は特になかったので、そのまま元来た道を引き返した。時折他の歩行者とすれ違った。僕のように往復している人はなかったから、生活道路として使っているご近所さんであろう。

 木津川を離れ駐車場に向かう途中に休憩所のような場所があった。そこで突然、「あなた、さっき橋のところにいた人でしょ!」と話し掛けられた。確かに、土手から橋まで下りていく途中ですれ違った覚えがあった。その人はパンを食べている途中だったが、話し相手が見つかったのが嬉しいのか、言葉を切らすことなく次から次へと話し掛けてきた。僕は早くお昼を食べに行きたくて仕方がなかったのだが、全く無視してしまうのも気が引けて、結局困ったような顔を浮かべたまま10分近く立ち止まってしまった。

 しかし、おかげで面白い話が聞けた。流れ橋は夕日のスポットなのだという。

「橋の上から川下の方を見たらね、もうほんとに大きな夕日が見えたのよ。あんなに綺麗な夕日を見たのは初めてだった——」

 僕はその話を聞きながら、橋の上から見る夕日も気になるけれど、河原に下りて夕日に染まる流れ橋を見てみたいと思った。そしてどうせなら、真っ赤な空を横切る流れ橋のシルエットを撮ってみたいと思った。するとまた、石文字を作った人たちのことが思い起こされた。彼らが河原に下りたのは夕暮れ時だったのだろうか。その時空は赤かったのだろうか。影になる橋を、その上を人々が行き交う様を、彼らは見たのだろうか。

 またここへ来なければならないと僕は思った。

(第52回・6月12日)

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