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ひじき氏、下鴨神社へ行く

 7月27日。

 毎月恒例のオンライン読書会を終えると、ひじき氏はすぐさま京都へ向かった。

 目的はただ1つ。下鴨神社で授与されている、『有頂天家族』アニメ化10周年を記念した御朱印帳を手に入れることである。

     ◇

 『有頂天家族』は、ひじき氏の好きな作家・森見登美彦氏の作品である。下鴨神社に住む狸の一家を中心に、狸と天狗と人間が京都で繰り広げるドタバタ劇を描いたファンタジー小説だ。——これだけ書いてもどんな話か伝わらない気がするので、幻冬舎文庫の裏表紙にある紹介文を引用しておこう。

 「面白きことは良きことなり!」が口癖の矢三郎は、狸の名門・下鴨家の三男。宿敵・夷川家が幅を利かせる京都の街を、一族の誇りをかけて、兄弟たちと駆け巡る。が、家族はみんなへなちょこで、ライバル狸は底意地悪く、矢三郎が慕う天狗は落ちぶれて人間の美女にうつつをぬかす。世紀の大騒動を、ふわふわの愛で包む、傑作・毛玉ファンタジー!

 やはりプロの紹介は一味違う。ほんの150字余のうちに、主要キャラの紹介はもちろん、作品全体を貫くキーワードも、作品の雰囲気も、ギュッと詰まっている。「傑作・毛玉ファンタジー」は正体不明の感が否めないが、読まねば解けぬ謎を残すのも、出版社の技であろう。上手いものである。それはともかく。

 『有頂天家族』は2007年に単行本が出版され、2010年に文庫化された。そして2014年にアニメ化され、全13話で放送された。そのアニメ化から丸10年ということで、今年はコラボグッズの発売・京都を巡るスタンプラリー・叡山電車のラッピングなど様々な企画が実施されている。

 その中で、ひじき氏が特に目を付けたのが、下鴨神社で実施されるコラボ御朱印帳の授与であった。理由は単純で、デザインがグッときたのである。青緑色の表も綺麗だし、その上を狸がぽてぽて歩き回っている様も可愛らしい。コラボグッズでありながらコラボ感が強すぎず、どこで使ってもおかしくない仕様なのも有難い。そういうわけで、これは是非とも欲しいとなったのだ。

アニメ「有頂天家族2」X公式アカウントより

 しかし、ひじき氏がその存在を知ったとき、御朱印帳は既に品切れになっていた。5月3日に授与が始まり、6日後に品切れが発表されていた。その後6月4日に授与が再開されたが、これも9日後には品切れになった。多忙により6月の授与を逃したひじき氏は、悔しさに肩を震わせながら、授与の再開を待ち続けた。

 過去2回の状況からみて、チャンスは授与再開から1週間以内。仕事の都合上、発表直後の週末を措いて他にない!——そう踏んで、来る日も来る日も授与再開の発表がないかチェックを続けた。そして遂に、7月22日再開という情報を手にしたのである。

 この瞬間、ひじき氏は次の土曜日に京都に行くと決めた。読書会のことなど忘れて、朝から京都に行こうとした。読書会を思い出しても、休んでやろうと思った。流石にそれは憚られたが、会が終わったらすぐ出発しようと心に決めた。

     ◇

 話を戻そう。

 ひじき氏が出町柳駅に着いたのは、14時半過ぎのことだった。既にだいぶ出遅れた感があったが、騒いだところでどうしようもないので、とにかく先を急いだ。

 下鴨神社の前に広がる糺の森に着くと、夏の京都の容赦ない暑さが幾分和らいだ。普段はがらんとしている森の中に、この日は屋台がたくさん並んでいた。おそらくこれは、下鴨神社で7月19日から28日まで行われている「みたらし祭り」のためであった。唐揚げ・焼きそば・たこ焼き・金魚すくい・スーパーボールすくい・電球ソーダ・射的・輪投げ・チョコバナナ——そんな屋台を眺めながら、ひじき氏は子どもの頃に連れられて行った天神祭を思い出し、懐かしさが胸にこみ上げるのを感じた。が、ノスタルジーに浸っている余裕はない。

 境内に入ると、みたらし祭りに来た人たちが長い列をなしていた。御朱印帳のことしか頭にないひじき氏は、列を無視して歩を進めた。しかし、流石のひじき氏も参拝そっちのけで授与所に駆け込むほど図々しくはない。最初に向かった先は拝殿であり、次いで御手洗社であった。

 ただ、お賽銭を入れてから、願い事を用意していないことに気が付いた。こんな時、数年前なら下鴨矢三郎よろしく「我ら一族とその仲間たちに、ほどほどの栄光あれ」と唱えたものである。しかし、三十路を超えたひじき氏には、それは流石に浮ついているように思われたので、ちゃんと考えて願い事を心に浮かべた。

 こうして参拝を済ませたひじき氏は、入口へ引き返し、揚々たる足取りで授与所へ向かった。

 クーラーのよく効いた室内に、御守や御札が整然と並べられていた。それらを見つつ、ぐるりと回り込むように、部屋の奥へと進んだ先に——

 あった。

 「有頂天家族 御朱印帳」は、一冊ずつカバーに入れられて平積みされていた。一番上に見本が置かれていた。現物を手に取って、改めて色が良いと思った。青緑色の表地は、爽やかでありながら深みを感じさせる、絶妙な色合いに思われた。そして、そこに白であしらわれた狸と足跡のイラストは、やはり可愛らしかった。

 ひじき氏は見本をそっと戻してから、御朱印帳を2冊取った。1冊は自分用であり、もう1冊はなかなか京都に来られない友だちの分であった。平積みされた御朱印帳には、まだ幾らか余裕があった。土曜の朝を逃して慌てていたひじき氏にとっては、嬉しい誤算であった。

     ◇

 かくしてひじき氏は目的を達成した。

 しかし、楼門へ引き返す足取りは次第にのろのろしたものになった。折角ここまで来たのに、御朱印帳を買っただけで帰るのはなんだか惜しい気がしたのである。

 実を言うと、ひじき氏は例の「みたらし祭り」のことが気になりだしていた。一番のきっかけは、御手洗社に参拝した時に祭りの全貌を目の当たりにしたことだった。

 社殿の前にある、普段は参拝客が水みくじを浮かべるばかりの池に、足をつけ、穢れを清めた後、ろうそくを供えて、無病息災を祈願する。——難しいことはともかく、普段立ち入ることのない池の中に大勢の人が足をつけている光景に、ひじき氏は目を奪われた。さらに、「水つめた~い」という子どもたちの声に、耳まで奪われた。その時から、「御朱印帳が手に入った暁には」と思い始めていたのである。

 ひじき氏は楼門の前で折り返した。そして、さっきは無視した長い列に並んだ。

 拝殿の方を再び回ってから、お祭り専用の受付に進む。裸足になってすのこに上がり、最後に供えるろうそくを受け取る。その横に、太鼓橋の下に通じる坂道があった。朱塗りの橋の下をくぐれるというだけで、ひじき氏は心躍った。

 ちょうど橋の下に降り立ったところで、足が水に触れた。水は確かにひんやりしていたが、冷たすぎるというほどではなく、絶妙に心地よかった。ずっと足をつけていたい気もしたが、人の動きに逆らうわけにもいかず、流されるように社殿の前まで進んだ。穢れを清められた気は全くしなかったが、ともかくろうそくに火を灯し燭台に立てると、健康を願って手を合わせた。そうして、池から上がった。

 靴を履いて立ち上がったところで、ひじき氏は自分のことばかりお祈りしていたことに気が付いた。そこで再び御手洗社の社殿へ行き、身の回りの人たちの息災を祈願した。

     ◇

 一度外に出るととめどなく欲が溢れ出すひじき氏は、この後も2、3時間に渡り京都の街を彷徨する。が、その話まで始めるとキリがないので、ここで筆を置くことにする。

(第230回 2024.07.27)


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