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或る他愛もない休日の記録

 朝に用事がない限り、僕の休日はゆっくりダラダラと始まる。今朝も蒲団から這い出たのは9時過ぎのことだった。それから正午を回るまで、大抵はロクに意味のないことをしないで過ごす。今日はアマプラでリメイク版『うる星やつら』を見ただけ、まだマシだった。

『うる星やつら』を見ようと思ったのは、先日偶然目にしたオープニングがとても良かったからだ。懐かしさを感じる絵柄と最新の技術が融合した映像に、耳に残るキャッチーな音楽。案の定リピート視聴が止まらなくなった。それで、折角なら本編も見てみようと思ったのである。

「めちゃくちゃ面白い!」とまではならなかったが、続けて見てみようと思うには十分すぎる内容だった。これからキャラクターが続々と増えるようなので、楽しみである。

     ◇

 昼食を摂ると、また暫くダラダラした。これも予定のない休日にはありがちなことである。そのまま夕方を迎えることも珍しくないが、今日は15時半過ぎに本を読もうという気持ちになった。しかし、ベッドで読むと寝そうだし、机の椅子で読むのは気持ち的に窮屈そうだった。そこで久しぶりにアウトドアチェアを組み立てた。そしてチェアをベランダに出し、そこに腰を落ち着けて本を読んだ。

 ベランダで本を読むのは初めてのことだった。単身者用賃貸マンションのベランダなので、大して広いわけではないし、眺めが良いわけでもないが、それでも屋外に出て風を受けながら本を読むというのは気持ちの良いものだった。座面が低いので、近所の住宅街の姿は目に入らず、空ばかりがよく見えた。読み始めた時には、魚の群れのような雲がゆっくり流れていたが、やがてそれらは去っていき、所々にちぎれ雲が浮かぶだけの広々とした青空となった。

 読んでいたのは、写真家・星野道夫さんの『旅をする木』。星野さんの活動の舞台だったアラスカでの出来事や、仕事や写真展の関係で訪れた旅先での出来事などを綴ったエッセイである。

 原始の自然の姿や、その中に生きる人々を追いかけ続けた星野さんの文章は、対象への鋭い眼差しと深い愛情に満ちている。決して押し付けがましくない、そっと包み込むような文章で、読んでいると自然に惹きつけられていく。おまけにその内容は、都会で文明の利器に囲まれて暮らしているばかりでは、見ることも、考えることもないようなもので、読んでいると心が解き放たれるような、広がっていくような感じがする。もうこんな下手な紹介など読んでいないで、とにかく本を手に取って欲しい。心の底からそう言いたくなる稀有な本の1つだ。

 僕がこの本を読むのは、これで3度目である。今回は、来週友人と行う電話読書会に向けて読んでいる。『旅をする木』を課題本に推したのは僕である。僕は友人に、是非ともこの本を読んで欲しいと思っていた。

 流石に3度目、それもたった4年のうちに3度も読んでいるともなると、初めて読んだ時の新鮮な感動を味わうことは難しくなっている。本の冒頭を飾る「新しい旅」「赤い絶壁の入り江」という2つのエッセイが僕は好きなのだが、今回の読書では、その2つであまり心が動かなかった。少なからずショックを受けたが、その後も読み進めていると、いつの間にか星野さんの文章にやさしく包み込まれていた。

 今日読んだ箇所の中では、「ルース氷河」と「もうひとつの時間」という2本のエッセイが良かった。どちらも、アラスカの雄大な自然の姿を初めて目にした人たちが登場する話なのだが、その時の感動が文章に乗って伝わってきて、思わず胸が震えた。

 それらの話を読んでいるうちに、空には橙色がさし、辺りは暗くなり始めた。普段ライトの下でデスクワークをしているので、日が落ちていくのをくっきり感じられる経験は新鮮だった。

 キリの良いところで本を置き、しばし近所を自転車で走った。西の空が橙色に染まっていた。そして、西へと伸びる道が、その道に沿った並木が、シルエットになって浮かび上がっていた。家の近所にこんな見事な景色があったのかと、僕は思った。

     ◇

 夜20時からオンライン哲学カフェがあった。今日はテーマを決めて話し合うといういつものスタイルではなく、事前に課題本を読んできて、その内容について話し合う形式。課題本は、アンデシュ・ハンセンさんの『スマホ脳』だった。

 人間の脳のつくりは、人類が数々の危険に晒されていた時代から変わっておらず、周囲の出来事を敏感に察知し、脅威に対してすぐ行動を起こせるよう身体に働きかけるようにできている。スマホが登場したことにより、我々は次々に飛び込んでくるコンテンツに気を散らされ、身体に負荷をかけている。そして、ストレスや睡眠不足・記憶力低下などの問題に悩まされている——本の内容を大まかに説明するとこんな感じである。個人的な感想を言うと、言っていることはそうだろうと思うが、とにかく問題点の指摘が長々と続く本なので、読み物としてはしんどかった。

 哲学カフェの中では、本の内容に限らず、スマホの登場やデジタル技術の進歩により世の中はどう変わっていくのかに関する話が交わされた。注意力散漫のような今の社会に不向きな本能を制御する装置の開発が進むのではないかとか、個々人の触れるコンテンツのタコツボ化が進み社会が分断されていくのではないかといった話だった。一方で、スマホが登場する前から我々の本能は変わっていないわけであり、スマホのせいで何がどうなると殊更に騒ぐこともないのでは、という声もあった。

 今回の話し合いは、1つのテーマを巡ってその場で考えを膨らませるような展開にならず、哲学カフェというより座談会のようであった。少々物足りなくはあったが、たまにはこんな回もいいかと思うことにした。

 哲学カフェ、そしてその後の雑談が終わると、時刻はもう23時を回っていた。寝支度に取り掛かると、頭の中ではまたしても『うる星やつら』のオープニングが流れ始めた。

(第91回 10月22日)

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