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現実的な光(新大久保のための下書き)

「浩太君だっけ?あなたはどんどん次のステップを踏むべきよ。文章とは単なる肉のファンク・ポップよ。単なる肉はステップとステップとの間に、いちいち行間を含まない。単なる肉は思考する生き物じゃない。あなたにはそうした肉である経験が足りない。思考を放棄して、肉と肉の間に、ただただ古びた怒りを投げ込むの。そうすればすらすらと文章が書けると思うわ。」
「ステップ…?肉…?ちょっとおっしゃっていることが難しくて、よく分からないんですけど…。」
これは新宿のちょっとした人気のある占い屋での一会話だった。当時のムニアはそこの新人占い師を務めていた。そして俺はまだ学生だった。とある課題レポートの文字数がさっぱり足りず、締め切りも迫り、留年も迫り切った挙句、全くあてにしないつもりで占いにでも頼ることにした。これがムニアとの初めての出会いだった。今となっては出会わなければ良かったかもしれないが。ムニアは続ける。
「私の見立てが間違ってなければ、あなたは極端な自己完結的完璧主義者なのよ。完璧に見えるものの隙をもう少しだけ、ピントが歪んででもがんばって捉えてゆけば、あなたの場合、もう少しマトモに生きられるんじゃないかと思うの。完璧の隙を突くには、単なる肉であり続けること。脳みそだけでダンスを踊ってもつまらないでしょう?」
「はあ…そうですね…。頑張ってレポートを書いてみます…。」俺はこの時点で占い料として三千円を支払ったのを後悔しはじめていた。ちょっとしたステーキでも食いに行けば良かった。こんないかれた女の説教が占いって言うんなら俺にだって占い師くらい務まるかもしれないじゃないか。それとも俺に信仰心が足りないのか?俺は仏教徒でもキリスト教徒でもヒンドゥー教徒でもベジタリアンでもない。ショッキング・ピンクの布の上に乗っかった大きな水晶玉をムニアはじっくり見つめている。それにつられて俺も水晶玉を見ていると悪趣味なピンク色のせいで目がちかちかしてきた。
「浩太君。あなた大学生なんでしょう?私、大学行ってないから羨ましいわ。普段はどんな風に過ごしてるの?」
「いや、別に…。普通の大学生活ですよ。僕の場合、オーケストラのサークルでクラリネットを吹いてるんです。そのせいで学業がおろそかになってこのありさまなんですけど。一人暮らしだし、愚痴を吐けるほど仲の良い友達もいなくって、ついつい占いに。」ついついこんな愚かな占い師に出会ってしまったとは言えまい。
「クラリネットって…、どんなの?」
「単なる黒い棒です。」俺は完璧に会話に飽きていた。
「ねえ、大学生活は楽しい?将来の夢とかはあるの?恋人はいるの?」会話の展開のしかたとしては極めて陳腐だが、ムニアとしては仕方がなかったのかもしれない。なぜならレポート提出に関する問題は一応解決し、なおかつ占いの時間はまだたっぷり残っていたからだ。
「正直に言えば、楽しくないし、将来の夢も今のところ無いですね。音楽専門の大学に通っているわけじゃないから、プロの音楽家になろうとも思わないし…。恋人は一応います。最近はあまり連絡も取ってないけど…。」恋愛は結構な下り坂をたどっていたが、辛うじての範囲内にはあった。性的満足を得られないとか、そういう下世話な理由は一切範囲の外にあった。当時の俺は相当にまだマシな都会人だった。
「なかなか複雑ね。ぜんぜん普通じゃない。次のステップなんてもの、一つも持ってなさそう。そんな調子じゃあ、死にたいとか思ったこともあるんじゃないの?」会話がカウンセリングじみてきた。自己洞察なら音楽にでも託していれば良いのに。他人の言葉なんて借りたくもない。
「なんでそんなことまで聞かれなくちゃならないんですか?」
「だって、あと五分も時間があるんだもの。私だってこれが終わったらやっとお昼休憩なのよ。たまにはいつもの占いよりも突っ込んで色々聞いてみたいわ。浩太君、真面目で優しそうだし。」
「僕、もう帰りますよ。良いアドバイスも聞けたし。」俺は席を立とうとする。このタイプの女とはどう考えても距離を置いた方が良い。新宿なんて立ち寄るんじゃなかった。クソみたいな街だ。
「だからあなたは極端な自己完結的完璧主義者なのよ。」
「その痛いポエムみたいな言い回しなんとかなんないんですか?こっちは客ですよ?少しは良い気分のまま帰らせてくださいよ。」
「死にたいとか思ったこともあるんじゃないの?」ムニアは水晶玉をじっと見つめている。
「個人的な癖みたいなもんですよ。俗に言うメンヘラってやつなら、産まれた時から抱えてますよ。男なのにね。」
「じゃあ、思い切って全部捨ててしまえばいいのよ。」
「は?」
「捨ててしまうの。あなたの恋人も、学業も、クラリネットも、思い出も、皆すべて。もちろん、死にたい気持ちもね。今日ってね、いつかそんな日が来るんじゃないかと、実は誰もが思っている啓示みたいな日なのよ。占いでばっちり見えてる。今、それが来ているのよ。この現実に治療を施して、暗い気持ちにはクレイジーでファンクな光を当て続けるの。私と浩太君の、この出会いは奇跡なのよ。」
「とんだアドバイスですね。あんたがカウンセリングでも受けに行ったほうが良いんじゃないですか?」俺は怒りを通り越して呆れていた。もう新宿には二度と来ない。
「でも、家賃に困ってるんでしょう?」
「…………。」
「ねえ、良い儲け話があるんだけど。今週どこかで時間ある?」

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