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遠い手紙

遠い自分に、遠いところから書く手紙ほど、切ない手紙ってのはないよな。ナルシシズムたっぷりで、他の人にはとても見せられない宝石の屑の集まりだ。

俺も相変わらず明日の事なんて分かっちゃいない。安定した生活を送れていても、とりあえず「分からない」って片付けておくのが、大人って奴だろ?「分かった」ら、それこそ生きる意味なんてないじゃないか。俺、変なこと言ってるか?

テクニカルに生きようと息巻いて、結局全部がむしられて、上手な人のマネでしか生きられない自分の将来はどんなだと思う?虚しいと思う?楽しいと思う?過去に問うってのも、また変な感じだよな。コーヒー豆にまだ花だった時代を問うようなものだ。

そんな風に昔が強く…強く魅力的に見えすぎる。今をぶち壊したほうが、いっそ華々しく散ったほうが、魅力的に思える。そんな孤独な人間が最後に頼りがちなのは死とアルコールだから、こうして遠い君に今、ナルシストな文章を書いてるんだよ。
以下は、宝石の屑の集まりだ。

眠れない日があるのなら、そういう日は、まずは遠い誰かと共に眠ればいい。人じゃなくても、まぼろしでも、何でもいいから。
君は夢を見てから眠りに就く。そして遠く遠く、雲の上の星空まで俺に会いに来い。たどり着けないくらいに落ち込む日は、俺が迎えに行くから。
死は無だ。君は生きている。君はまだ伝えることもまだ知ることもできる。君はまだ夢を見ることだってできる。
さあ、頭を撫でてあげよう。遠い誰かの匂いを感じますかい?遠い誰かの温かさを感じますかい?
そういう幻想って、実は恥ずかしい事じゃないんだよ。もし君が望み続けるのなら。

さあ俺たち、もっともっと屑を集めにかかろう。

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