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おおやまつみのかみ

日本の歴史(History of japan) 真この国のかたち おおやまつみのかみ    

ひじかたすいげつ

「大山祇神社」は、瀬戸内海の大三島にある。

 邇邇芸命はヤコブ、大山津見神はラバンおじさん、木花咲耶姫はラケルという。邇邇芸命ニニギノミコトは木花咲耶姫コノハナサクヤヒメを妻にした。しかし、順番では、姉の磐長姫-レア-をさきに嫁がせなければならなかった。

 禊ぎの手順が大事であった。

 しかし、邇邇芸命ニニギノミコトは磐長姫イワナガヒメを一緒に娶ったが、後になって返してしまった。それで、イワナガヒメは、コノハナサクヤヒメのような「美女」に祟るようになったと。

 これが大山津見神にまつわる話。

 邇邇芸命ヤコブは神と相撲をとった。

 これが大山津見神社の「一人相撲」の神事に。

 しかし、大山津見神はヤコブではなかった。

 そして、オオヤマツミノカミやコノハナサクヤヒメやイワナガヒメはここに居たのか。

 ここには居なかった。

 居たのは九州。

 大三島も伊豆も後の話。

 居たのは九州。

 高千穂の西から東征したニニギノミコトが最初に出会ったのがコノハナサクヤヒメ。

 でも、本当にコノハナサクヤヒメを娶ったのは、ミマキイリヒコイニエ-崇神天皇-であった。

 その後娶ったのがイワナガヒメ-豊玉姫-。

 豊玉姫の父は海神(ワダツミノカミ)。

 山幸彦が海に。

 ニニギノミコトは東征した。

 日向三代は短かった。

 でもの本当のニニギノミコトは「ミマキイリヒコイニエ-崇神天皇-」。

 そして、後には神武天皇に名を変えた。

 本当の「神武東征」は、「崇神天皇」の時代であった。

 しかしその前に、「ウマシマジ」も東征していたが失敗した。

 記紀では、「ウマシマジ」と「崇神天皇」の時代の話が、ニニギノミコトと神武天皇の話に。

 そして、神功皇后と住吉の神も神武天皇や崇神天皇や豊玉姫の話に。

 前後の時代の話がひとつの話に。

 記紀のできた時代の人の都合の良いように、、、。

 記紀には、本当の神武天皇も、本当の邇邇芸命も、本当の物部も書かれてはいない。

 そのときには、もう彼らはいなかった。

 蘇我もいなかった。

 いたのは藤原。

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「大山祇神社」のサイトには、

「オオヤマツミノカミはワタシ(渡し)の大神であって、山の神であると同時に海の神でもある。」と。

 やはり、山幸彦が海に行った話に似ている。

 そして、「天照大神の兄」であると。

 そうなら、オオヤマツミノカミは天孫に?

 そうでなければ、「天照大御神の姉の夫」。

 、、、、、、。

「神武天皇の東征に先駆けて四国に渡ったオオヤマツミノカミの末裔である小千命(オチノミコト)が大三島に勧請した。」ともある。

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