ある先生が教えてくれたこと

子どもたちと大人たちのことを考えていると必ず思い出す人がいる

小学校5,6年の時の担任の先生のこと

(他の場所でも一度かいたのだけれど、消してしまったのでまたここでもかいておきたいな、と思う)

その当時からとても好きな先生だったのだけれど、子どもたちとの関わりが多くなってから、その存在の大きさがどんどん増している

私が通っていたのは、東京郊外の普通の地域の公立小学校だったのだけれど、その先生自身が本当に子どもたちと関わりたい関わり方で、子どもたちとやりたいこと、やりたい授業をやってくれていたのではないかと思う

時間割は形式的に一応決められてはいたけれど、時間割通りに授業をやったことなんてあったかな・・・
そういえば教科書もあまり開いた記憶がないな・・・
みんなで裏山みたいなところを歩いて、けもの道を見たりしたけど、なんの授業だったっけ・・・?
突然、トロ箱から魚(たしかキンキだった)を取り出したこともあったけど、あれはなんの授業だったっけ・・・?(時間割上は国語だったかな?)
とりあえず、タヌキに関する授業(のようなもの)がたくさんあったな・・・

クラスには場が場なら“問題児”となってしまいそうな子も何人かいたけど
(そして、実際、中学へ行ったら問題児扱いだったらしいけれど)
でもその子たちもその先生のことは大好きで、懐いていて、だから、悪ふざけはあっても、行き過ぎるようなことは(ゼロとは言わないが)ほとんどなかった。(ダメなことはダメと、ちゃんと言う先生でもあったし、好き勝手してよい、というような感じでもなかったしな・・・でも、信頼できる、と感じられたから子どもたちはついていったのだと思う)


でも、子どもたちはみんなその先生のことが大好きだったけれど職員室では理解を示してくれる先生は僅かだったらしいし(ある程度大きくなってから知った。)保護者の中でも賛否両論あったよ、と後々、母から聞いた(母はおもしろがっていた側)


私は幸運なことに先生や学校には比較的恵まれた方だと思う

でもその中でも特に「小学校5、6年」というとても貴重な時期に、この先生に巡り合えたことは人生においても実はかなり大きなことなのではないか、と今になってすごく思う
子どもたちと関わるようになって、すごくすごく思う

特にここ数年で、自分がやってきたことや、やっていきたい方向性を思う時、ああ、多分こっち、この方向性だ、というような勘、なんだかよくわからないけれどある確信みたいなもの・・・それはその先生の存在ももしかしたら大きいのかもしれない。先生の生き方、在り方から教えてくれたもの

ちいさな例の一つでいうと、ダンスクラスやダンスワークショップといいながら、子どもたちと(時々親御さんも巻き込んで)お散歩したり、みんなで野草を食べたり、いろいろなもの拾ってきたり、そんなダンスなんだかよくわからないことも堂々と信じて出来るのも、その先生からのギフトの一つなのかもしれない

実際、そういうなんだかよくわからない時間の中に、ふと、子どもたち一人一人の魅力的な部分が構えずに自然と出てきたりすることはよくあるし、その中に子どもたちの踊りのたね(そして私自身の踊りのたね)が埋もれていたりもすることもあるから・・・

なんだかよくわからない、無駄なような時間って、実はとても大切なのかもしれない、と思ったりします


それにしても、私は個人でやっている小さな場で、おもしろがって集まって来てくれる人たちと一緒に、だから、こうしてやれているけれど、先生は公立小学校という組織の中でよく貫いてやってくれたなあ・・・と本当に尊敬するし、今、とても感謝しています
(志はあっても、学校という組織の中で、心折れてしまう先生もいるのではないだろうか)


今、こんなご時世で・・・みんなでたっぷり時間をもつことがなかなか難しくなっているけれど・・・でもせっかくこんな豊かな土地と人たちと巡り合っているのだから、少しずつでも少しずつでも、またやっていけたらよいな、と思っています


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ダンサー/舞踊家/振付家/ダンス講師/コミュニティダンス/神楽舞/ 舞い踊ることの根源を見つめて、自然と共に、子どもたちと共に、舞い踊る日々。https://www.aoyagihizuru.com/