見出し画像

恋愛感情ではないが友情でもない、これ

恋愛感情はわかる。たとえば、目の前に立つとどきどきしたり、体温が1℃くらい上がってしまったり、あれこれ悩んでしまったり。うまく言葉にはできないが、恋愛感情だ。動物的本能で感じ、ホルモンが反応してしまう厄介で美しいあれだ。

友情はどうだ。友情は、血の繋がらない誰かに対し、一緒にいると楽しい、気分がいい、落ち着く、と感じるあの心の繋がりだ。浅い友情もあれば深い友情もある。趣味限定の友情もあるし、互いの名前を知らなくとも成立する友情もある。友情は大切だ。

ところが、だ。少し前から、恋愛感情にも、友情にも分類できない感情が私の中で新生してしまった気がしてならない。それを、何と呼べばいいのかわからないのだ。

✳︎

私には、好きな人間(たち)がいる。

たとえば、とても心に染み入る言葉で物語を作る人、知れば知るほど面白さを見せてくれる人、思い出すと無性に会いたくなってしまう人、思わず心を開いてしまう人。いろいろな人がいる(たくさんではないが)。

「何が、」という理由はないけど、なぜかとても好きだ。

だから、彼らに対する気持ちを友情に分類しても、ただの友情以上の何かを感じてしまうので、どうもしっくり来ない。もちろん、相手方にとって私はただの友達だし、私も彼らのことを「友達」と呼ぶ。でも、何かがある。

しかし、それは恋愛感情ではない。決して無理をしているわけではなく、なぜなら、恋愛対象ではないからだ。自分の恋愛対象には制約があるが、私の好きな人間(たち)は、性別も、年齢も国籍も、互いを知る長さや深さもバラバラだ。

✳︎

複雑な点は、「自分がもし男性だったら」とか「相手に家庭がなかったら」とかの"if条件"がクリアされていたら、恋愛対象に滑り込んでいた可能性が大いにあったということだ。だが、事実は違う。私は男性ではないし、家庭のある人間は恋愛対象として用はない。同性愛の否定や失望の感情ではなく、ただ純粋に、「〜〜だったら恋愛感情になっていたかもしれないけど、実際はーーなので話は違う」というわけだ。パラレルワールドで起こることを、こちら側からただ眺めているような気持ちである。非常に残念なのに、悲観が全くない。(これは説明が大変に難しいので、きっと伝えたいことの5%しか伝わらないだろう。本当は誤解も避けたい)

だからと言って、「友達以上恋人未満」とか「人として好き」とか、そんな安っぽい言葉で片付けるのがどうも気に入らない。以上/未満の話じゃないし、人であって猫でないことは明白すぎる。好きだからこそ、なにかもっと崇高な名称で呼べたら、と感じる。

この感情をどう表現していいのかわからない。ただ、彼らが素晴らしく、大切であることは明らかで、私はそれをわかっている。

きっと、意識したことがなくても、多くの人にもこんな感情や大切な存在があるのでは、と思う。私はことごとく言語化に失敗したが、言語化できなくてもそれはそれで美しいと思う。できないでおいたほうが、美しいのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?