「息を吸うようにできることをやりなさい」
その日は、あまり元気がないなあと自分で自覚していた。大したことはないけれど、前の日に少しだけ、心にチクリとすることがあったからだと思う。
春のぽかぽか陽気に反して気持ちは晴れやかではなかったけど、その日は仕事があったので会社に向かっていた。電車を降りてホームを歩きはじめたとき、握っていた携帯にピコン、とメッセージが届いた。
『今日のお昼空いてたらランチしないー?』
ああ、わかってるな。なぜわかるんだろう、と思った。
メッセージをくれた彼女(Sさん)は、私が心を許している人間の一人だ。元気がなくなったとき、話すことがないくせに無性に誰かと話したいとき、ふと彼女の顔を思い出している自分がいる。私と違って人が好きだという彼女は、人の話に耳を傾けて、優しい声でうなずいて、受け止めてあげるのがとても上手だ。そして受け止めるだけじゃなくて、彼女が感じたこともちゃんと教えてくれる。私はそういうところが好きになった。
私は、彼女に会わずして今日を乗り切れそうにないと思ったので、お昼休みによく行く喫茶店で会うことにした。私は家から持ってきてしまったお弁当をいつもより急いで食べて、足早に店へと向かった。
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喫茶店で彼女はランチセットを、私は大きめのカフェラテを頼んで、互いの最近の身の回りのことについて話した。春から本格的に始まる新しい生活を目前に控えて少し気負っていた私は、働くのってやっぱり難しいですね、なんてぼそぼそと話していた。
彼女は、私のとりとめのない話をうんうんと聞いていた。そして、こんなことを言った。
「...でもやっぱりね、息を吸うようにできることをやるのが一番いいことだと思うなあ。」
息を吸うこと?と私は聞いた。
「たとえばるみちゃんは、よく息を吸うような感覚でささっと文章を書いたりすること、あるでしょう?私にはそれが難しくて、なかなかできないんだよ。息を吸うようにできることをやるのが、一番幸せなんじゃないかなあ。」
たしかにそうかもしれない、と思った。息を吸うようにできることをやった方が、気持ちよく生きられる気がする。
彼女はもうすぐ、新しい土地で新しい生活をはじめると言った。この街を離れて、こんどは人と対話して関わったり、人々をまとめて指南していったりという、彼女の好きや得意を生かせる仕事ができたらいいなあ、と話してくれた。私は驚いて「Sさんって、そういうの今まで息を吸うようにやっていたんですか?」と尋ねた。彼女は「うん、そうだよ」と言った。
私は今まで考えたことがなかった。人にはそれぞれ異なる、息を吸うようにできる何かがあるということを。
彼女が息を吸うようにできることは、私にとってはとても息が詰まってしまう難しいことだ。だからてっきり、今まで彼女は無理をしてやっていると思っていた。でも、それはまったくの逆だったようだ。
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息を吸うとき、「息を吸おう」といちいち考えることはない。そんなことは無意識のうちにできるからだ。「息を吸うようにできること」も、無意識のうちに、骨折りせずともできてしまうことだからこそ、「自分が息を吸うようにできていることが何なのか」を自覚するのは案外難しい。頼まれたわけでもないのに、知らぬ間にやってしまっていること、やりたいと思えること。そういうのが「息を吸うようにできること」なのだとしたら、たしかにそれを生業にするのは幸せなことなのかもしれない。
私にとって、息を吸うようにできることはなんだろうか。
あなたには、息を吸うようにできることはありますか?
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