30代でやって来た反抗期

私の母は、威圧的でやや過干渉な人でした。一方私は、相手の顔色をうかがうことが多く、自分の意見を主張するのがとても苦手な性格です。結局、自分を多少なりとも出せるようになったのは、うつになった時。30代、遅咲きの反抗期となりました。もう少し穏やかな形で反抗できれば良かったんですけど。

コロコロと変わる母の基準

結論を言えば、母は本当に私のことを愛してくれていました。これは、うつで母に当たり散らしてしまった時にはじめて実感したことです。中には、ぶつかり合っても愛情のかけらすら感じられず、余計に苦しい思いをするケースも多いようです。ですから私は幸運でした。

母にとって、愛情=お金、でした。母の実家は昔からお金のことで非常に苦労していたので、子供にだけはお金の苦労をさせたくない、という気持ちがあったようです。実際、子供の頃は金銭的な苦労を感じたことはありませんでした。

でも・・・できることなら、もうちょっと、上手に接して欲しかったなあ、と思います。

母の基準は気分や周りの価値観によってコロコロと変わり、そのたびに私は混乱しました。

「家を出て遠くの大学に行ったらいい、女もこれからはしっかりと働かないと」

「また出かけるの?騒がしい」

「あんたは結婚に向いていないから、家事は教えない。いつまでも私のそばに置く」

やったらいいといわれ、やったら不機嫌になり無視をされる。20代になっても、30代になっても、母に無視をされると自分が全否定されたように感じました。母は私が外へ出ようとしたり、楽しんだりするといつも不機嫌になりました。

心理学では、2つの異なるメッセージを与えるコミュニケーションのことを、ダブルバインドというのだそうです。もしかすると、似たような経験をされた方も多いかもしれませんね。

子供を産むのは当たり前

母は、私が成長するにつれて攻撃的な発言をすることが多くなりました。大人になることが許せない、とでもいうように。ですから母の前では極力、ぼんやりした娘としてふるまいました。

そして、結婚して(もちろん、こんな母ですから結婚時にもひと悶着ありましたが)、2年目のお正月。母に一言こういわれました。

「子供は?おかしなことしたらダメよ」

これはすなわちー子供を産みなさい。結婚したら1年以内に子供が生まれるのが普通でしょ。夫婦2人の生活なんておかしなことをやっていないで、早く子供を産みなさいーという意味です。

それまでの私はずっと、子供を産むことに抵抗がありました。自分のことが嫌いなのに、そんな自分が子供を愛せるわけがない、未熟すぎる自分に親がつとまるのか、そして今の私のように産んだ子に憎まれたらどうすれば…

そんな感情がないまぜになって、出産するのが本当に恐ろしかったのです。けれども、母にこう言われた瞬間、心は決まりました。

母が言うなら産むしかない。

そして、子供を出産しました。

2人目出産後、たたり神と化す

恐ろしさをこらえて、1人目の子供を産み、2人目の子供を産み…その結果、2人目出産直後に私はパニック障害を発症しました。産後うつと呼ばれる症状です。

いくら苦しくても、自分のつらさを誰もかわってはくれませんでした。当たり前ですね。それでも、周囲を恨まずにはいられませんでした。そして自分も許せませんでした。私はひどく落ち込んで部屋に閉じこもったり、たたり神のように暴言を吐いたりして、母を戸惑わせ‥‥。そして、ある時衝動的に言ってしまったのです。

「お母さんは本当は、私が不幸になればいいと思ってるんでしょう」

と。その瞬間、気の強い母の顔がぐしゃっとつぶれました。

「なんで、なんでそんなこと言うの!お母さんはこういう性格だから…だから、分かってよ!なんでそんなこと言うの!」

子供の時もほとんど抱っこされた覚えがなかったのに、前からぎゅっと抱きしめられ。さんざん罵られました。相変わらず、自分が悪いとは決して言わない母でしたが…

その時、母をあまりに小さく感じて驚きました。

不思議なことに、母の泣き顔を見た瞬間、固くぎゅっと抱きしめていた心の壁が溶けていったのです。「こんな一言で私の長年の悲しみは癒されない!」と心のどこかで抵抗する声もありましたが、それも徐々に消えていきました。

うつ病は本当に苦しく、できることなら二度と体験したくありませんが、母に本音をぶつけられたことは、幸いだったと思います。そうでなければ、一生母と心を通じ合わせることはできなかったかもしれません。遅くても、反抗期を迎えられたことは、私の人生にとって大きな財産になりました。

最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。

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