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上手くいかない私の子育て振り返り~産後鬱編~

娘が生まれたのは、今から14年前の1月30日。

2人目が授かった時、まだ検査薬で検査する前に
私は息子に
「ママのお腹、赤ちゃん居る?」
そう聞いたことがある。

今まではいないよ!と答えてた息子が
今回は
「うん、いるよ!」と。

ほぉぉぉ!!!
急いでドラックストアに走ったよね。

息子を育てて私はとても世界が変わり、
もう一人子供を授かりたいと思うようになっていて。

子供がこれほどかけがえのない愛らしいものだとは。

息子のおかげで知ることが出来ました。


そのころはでも、まだまだ
とっても頑張ってる時で。
頑張って認めてもらうことに必死でした。


私はヤクルトレディとして働きながら
息子の育児、家事、旦那さんの事(交代勤務だった)
ご近所付き合い、二度の引っ越しし、
仕事を辞めてからも、新しい環境に慣れる事
引っ越しの準備やら片づけやら、新居への親戚やら友達やらを
迎えてもてなすことやら、、、十月十日と言われる
妊娠期間に今思えばとてもたくさんの事を詰め込んで
生活していました。


今思えば名もないやらなきゃいけないと
思い込んでいたことに追われ
自分の身体や心を大事にすることなんて
全く知らずでした。

全てやって当たり前だと思っていたし、
全て出来て当たり前だと思っていました。

気を張っていたのだと思います。
やらなきゃ!私がやらなきゃ!って。
やらないと認めてもらえない!って。

風船がパンパンで割れる直前のような
張り詰めた気持ちでした。

いったい誰に認めてもらいたかったのか。。。

その時は義父母だったり主人の友達だったり
そういった新しい環境で出会った人たちに
認めてもらいたいと思って頑張っていたけど
結局今思えば、自分に認めてもらいたかったのだと
今なら分かります。


子供を授かることも、無事に生まれてくることも、
そのまま元気で育っていくことも、
私が元気である事も
何か出来ると言う事も、命があると言う事も、、
ぜんぶが当たり前だと思っていたんですね。

そして、さらに何かやらなきゃいけないと
思い込んでいました。

今思えば、なんであんなに自分を追い込んで
頑張っていたのか良く分かりません。

誰かのOKをもらわないといられないような
精神状態でした。

育児なんて、大したことしてるわけではない。
名もないやることに追われてると
何かやってる気持ちには
全くなれなかったし、達成感もないし
人としゃべる事もないし、、、

アパートから一軒家への引っ越しは
私を孤独にするには持って来いの環境でした。

もうすでに病んでたよね。。。
息子の時は毎日沢山の喜びがあったから。


独身の頃に感じたやりがいも喜びも何もないまま
褒められることもお金をもらえる事も、何にもなく
生活が続く。
自己満足もないですね。。。

そんな状態だったのかな。

二度目の引っ越し後は、
主人の親戚と距離的に近くなりました。
同じ町ではないにしろ、隣町になったことで
親切に気にかけてくれていたのですね。
そして、親戚?ちょっと複雑なんだけど
義父の育ての親という人と近くなりました。

私は産後、もう実母と同じ空間にいることが耐えられず
主人に産休を取ってもらって自宅で過ごすことを選びました。

主人も義両親もとても良い人たちです。大好きでした。
だから、怒りを出せなかったですね、
これだけやってくれるんだから
不満なんて無いとそう思ってましたが、
一番やりたいことは、「やすみたい」だったのだと
今なら分かります。

実母にも意地を張った状態。

素直に甘えられていたら。。。
怒りを出せていたら。。。
感情を出していたら。。。
言葉に出すものの裏側の、
子供への愛情を感じられる余裕があったら。。。
口に出す言葉は聞き流し、
産後頼る事も出来たはずなのに、
その時の私は素直になれませんでした。


母は私に何かこの母にとっての嫌な状態から
救って欲しいと
期待しているように思えたのです。
今思えば間違いでしたけどね。
自分が子育てしなければ気づけない感情でした。


入院中は体を休めたいと思っていたのに
産後復職間もない看護婦さんが夜勤担当など
自分の子供を預けるのはちょっと心配な状況が続き
お願いしますって誰にも頼めない状況が続きました。

相手は仕事してる、頼れよなぁわたし。今なら思うよ。
だけどその時は言えなかった。


世の中の頑張って仕事してる!と思ってる人たちに言いたい。
素晴らしいと思います。
頑張って仕事をされていると言う事は。
でも、その自己満足的に頑張るっていう状態の時に、
弱い人はやさしい人は、
サービスを受ける側で居ながら、
それ以上何かを頼めなくなると言う事があるって
どこかで知っていて欲しいなと思います。
あぁ、過去の私に言ってるのかな。
頑張って頑張って、認めて欲しかった私に。

過去、言いたいことが癒えずに言葉を飲んで
優しく受け入れてくれてた人たちに
ここでありがとうって伝えよう。
ありがとうございます。
私をその時ヨガのインストラクターにしてくださって。
他にもいろいろ、様々な仕事をさせてくださって。


出産自体はつるんと生まれてくれたので、
産後でも歩けるくらい元気で。
それがいけなかったんだと思います。
無理できる環境でした。

上の子は、義母が見ててくれたけど
やっと休めそうな昼過ぎに、毎日毎日従妹も伴って
病院に顔出してくれました。

ありがたいことですけどね。

休める環境にはなかったですが私の気持ちに自分が気付いてないし
嫌われたくなかったからいつもニコニコしてましたね。

寝たいから、寝かしてくださいと
今思えば伝えればよかった。

義母にしか頼らない私に実母はやきもちみたいな??
拗ねてしまった感じでますます助けてもらえなくなり。。。

産後の無理が祟ったんですよね。きっと。

育児がずっと続く生活だと言う事、
2人の子供を同時に一人で育てる事は
人手がない中でやるっていうのは本当に大変だったようです。
私が悪いんだけどね、ちゃんと素直に一人の時間をくださいって
言えなかったんだから。言えば協力してもらえる環境に
絶対なってたんだから。

娘の一歳の誕生日の一か月後、私は気持ちのコントロールが出来なくなりました。10日完全に眠れなくなった後の出来事でした。

寝ようとしても眠れない。
パソコンの電源がオンになったような
そんな脳の状態でした。

ぼ―――っとしてて、気づくと息子が泣いてる。
そんな日々が続いていたけど
体調がおかしいとは思ってませんでした。


眠れなくなった10日目も、普通に家事したし
旦那さんを仕事に送り出したし、洗濯も掃除もした。
たぶん、子供達も着替えてたし、ご飯も食べたと思う。
でもその後、プツリと。。。動けなくなりました。

ヤバい!と思って、
このまま死んでしまうって思って。
私は遺書を書きながらも、
気を失い、、、気が付くと遺書を書き、
息子を呼び、娘を呼び。。。

息子に「パパに電話して!」と頼み。

「薬を持ってきて!!!」と頼みました。

まだ三歳にもならない息子でしたが、しっかり者だったので
状況をしっかりパパに伝えてくれたようでした。

私がそんな状態でも、
子供達に何の危険もなかったことも
ホント今思えば奇跡です。

目を離してしまったらアブナイお年頃の
子供達を放置して
私は気を失ってました。

旦那さんは仕事中だったけど急いで
戻って来てくれたようです。

その後も自分の両親、義理の両親、高校時代の友達や先輩など
いろんな人を呼びつけたようで。。。(申し訳ない。。。)

気絶しつつ、目を覚ますと誰か彼か家に居てくれました。
夜には主人の方の親戚集合。。。
私は人を思える温かい家庭に嫁げたのだな。
気絶しながらそんなことを思って。
大きな愛ってこんな安心感があるんだ。
そう思ったなぁ。初めて味わう感覚でした。



なんで素直に感情を出せなかったのかな。。。

そんなの出して受け止めてもらった経験ないもんな。

出しても無駄だって思ってたんだ。

自分は頑張ってないと認めてもらえないんだって
思い込んでたんだ。



そこから闘病が始まります。

自分が鬱であると認めるまでには、
そこからまだ紆余曲折。。。

ホント自分探しの長い旅が始まりました。


私が今思うのは、
生きてるだけで充分価値があるってことです。
それを忘れた私に、
気づかせてくれるのが病気でした。

4回くらい鬱を繰り返したけど、
5回目はまだまだ元気だと思い込んでましたが、
実は枯渇し始めたところでした。
一度目は酷かったけど、二度目からは
日常生活は何とか回せるレベルだったので
鬱がこれほど軽いものだと勘違いして欲しくないけど
酷いときはホント、自分は人間なんだろうか??と
疑問になるほど何にもできなくなります。
これも人それぞれなのかな。。。

何度も枯渇を繰り返す私に、
「いい加減学習しようね」
鍼先生にも言われたけれども。
結局息子の体調不良が私を止めてくれたのですね。


またまた、自分も仕事したい、外に何かを求めたいと
思い始めたタイミングでした。

生きてるだけで価値がある。
どこかの誰かにならなくていい、
あなたはあなたになろう。
貴方のままでいいのだから。
自分のままでいる。それが大切。


一番分かりやすいのは自分の中に湧き上がる
感情みたいです。

ウキウキワクワクしてるのか、
我慢して嫌だなと思ってるのか
しょぼんとしてるのか、、、恐れているのか、、、。
嫉妬してるのか。。。?

生きてるだけで価値があり、
それ以上に、絶対生きてるだけで誰かの役に立ってる。
だから、外側の何か誰かの求める価値ある物になるんじゃなくって
自分の内側からわきおこる
やりたいというエネルギーが出てくるままに生きることが
一番大切だとそう思うのです。

そして、やりたい欲は満たしたほうが良いらしい。
それはやって来たからOKだったんだな。(笑)
欲しい欲も満たしてみると、本当に欲しいものと
浪費の区別がつくようになって来ました。

「生きてるだけで価値がある」

そんな価値観教えてもらってないから分からないんだけど
学校でいい成績を取るとか、いい大学に入るとか
ちゃんとした仕事をするとか、それで有名になるとか
成功神話とかとかとか、社会には溢れているから
そんな風にならなきゃいけないと思い込んでいたけど
自分が幸せを感じられたらどんな状況でも幸せなんですよね。

世間の価値観に合わせる事は無かったんです。
今思えば、そんな価値観も、私が勝手に作り出した
幻想なのかもしれない。
あはは、一人芝居してる~~~。


それに気づけていたのに、思春期の子供たちの揺れに
大きくぶれた私の育児は、またまた波乱万丈なのでした。


最近ホント思う。
私、こんなに大変なのによく笑って生きてるよね、
何とかなるって思ってあっけらかんとしてられるよねって。

世の中にはもっともっと大変な中でも
笑って生きてる人が沢山いる事は知ってるし、
それだけ恵まれた環境で何言ってるんだ!と
そう言われたらそれまでだけど。。。

私も自分でそう思う。

でも、恵まれているからこそ苦しい。
みんないい人で理解ある人だから、
自分のわがままを出しにくい。
そんな奴だったのかと思われたくない、、、
そんな私が顔を出します。

あんまり恵まれてたことがないからかな。。。
幸せだと怖くなってた。
だからわざと幸せじゃない部分を探してた。
そんな気がしてます。


自分もたぶんHSPで、
人の感情や何やらを敏感に察知しやすい。
人の期待に応えるという点では、
もう無意識にやってるし
人の輪の中の調和してない部分に気づくと
おどけたり、怒ってみたり、
なにやらパフォーマンスをして
調和するように持っていく癖があって。
それも無意識。

だから人と会うと疲れるのか。。。。

人の本音を探る癖もある。

だから、自分を受け入れ多くを求めず
楽に生きてる人を見ると
ホッとして安心して、気が楽になるんだ。

そうじゃない場所に行くと生きづらい。


で、今も笑って前に進めるのは、

寄り添ってくれる家族や友達が居てくれるからこそ。

人との縁のおかげだなと思います。

辛い状態だと認め寄り添ってくれた人たちが
私にはたくさんいました。
ちゃんと休みなさいと、教えてくれる人も。
手の抜き方を教えてくれる人も。
そんな人が沢山居てくれたのです。
ありがたや。


先日は、ちょっと弱音を吐いた私に

「分かるよ、ほんと良くやってる、生きててくれるだけで十分だよ、」

そう言ってくれる友達が居ました。

家族以外にもそんな風に言ってくれる友達がいるって
そんなありがたいことは無い。

みんな優しいし、世界は優しいなと
本気で思うんだ。

目の前がそういう世界になるまでに、
たくさんたくさん自分を癒して

自分のわがままを聴いてきました。
昔嫌いだった人に、今自分がなってる(笑)

でも、それで人に嫌われるならそれでいい。
そんな風に思えるくらい
自分で自分の事を大事に出来るようになって来ました。


内側にある気持ちや出来事や、気づきや。。。
そういうものをアウトプットしないと
私は息が出来なくなってしまうので、
こうして表現させていただいています。
つたない長い文書ですがここまで読んでくださって
本当にありがとうございます。

うつの闘病をしながら、うまくいかない私の子育ては
続くのでした。




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