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語られない思い出

旅の思い出話をすると、つい華やかで楽しそうな話ばかりしてしまう。1年前に草津温泉で働いていた時のことも、休みの日は湯めぐりし放題だったとか、美味しかった料理や日本酒のこととか、お客さんとのおもしろエピソードとか、紅葉に染まる温泉街が綺麗だったとか、そういった誰かの興味を引けるような話をしてしまいがちだ。

でも私の心に一番残っているのは、一緒に働いていた人とこっそり更衣室で寝泊まりしていたことだ。仕事上がりが深夜になって遠くの寮まで帰るのが面倒なときは、よく更衣室のお客さんになっていた。畳の上に座布団を敷き詰め、リネン室からバレないように持ってきた毛布にくるまって横になった。眠りにつくまでのほんの少しの間に、私たちは数えきれないくらいおしゃべりをした。家族、故郷、ここに来る前のこと、仕事の愚痴、新人、これからのことについて。このことは、子供の頃に秘密基地で友達とこっそり悪だくみをしていた時のような、そんな心の結びつきを私たちの間に作っていた。

更衣室での寝泊まりなんて、傍から見たらただのきつい経験、ブラック労働を象徴する出来事なのだろう。確かにリゾート地の旅館で働くのは大変だったし、睡眠時間だってほんの少ししか取れなかった。だから、人に話すことはなかなかない。それでも、私にとっては彼女と過ごした温かい時間として心の隅にずっと残っていたのだ。

本当に大切に思っているものは、語られることのない思い出の中にあるのだろう。


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英作文の授業の課題で書いたエッセイが好評だったので、調子に乗って日本語版をノートに載せることにしました。私のノート暗い話が多いし、ちょっとは中和されないかなぁと思っています。

取り立てて人に語るようなことじゃないけど、実は大切にしている思い出って誰の胸にもあるんじゃないかな、という気持ちが伝わったようで嬉しかったな。

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