#118 スポーツで使う筋肉はそのスポーツをすることで鍛えろっていうじゃないですか

私は普段口数が少なく、将来このままだと進路が狭まってしまうと考えたため、口数を増やすべく文章を毎日書いて自分が考えていることをアウトプットしていこうと決心した。決心して文章を書き始めてから数か月経過したが、他の人と話すときに口数は全くと言ってよいほど増えていなかった。

自分の思っていることをアウトプットする習慣が付いたものの、自分の思いや考えを引き出すのには時間がかかるため、短時間で言葉にする必要がある実際の会話では全く役立たなかった。

私はある目標に到達するために、あえて間接的で見方によっては奇をてらった方法をとる癖がある。それはある種の逆張りであり、周りと同じことをしたくないという潜在意識から来ている。(そのくせして周りと違う環境に対して不平不満を持ってしまう)。その方法が本質をついていれば目標まで到達することができるだろうが、大体は他と違うことをする自分に快感を抱いているだけなので見当違いになる場合が多い。

ある目標を成し遂げたいなら、オーソドックスな、シンプルな方法に沿って日々励むべきだという考えが強まっていった。よくスポーツで使う筋肉を鍛えることについて、ジムでの筋トレで鍛えることも有効ではあるが、そのスポーツを実際に行う方が鍛えられやすいということが言われている。サッカーで欲しい筋肉はサッカーをすることで、水泳で要求される筋肉は水泳をすることで鍛えられるというように、一見当然のようだが目新しさを欲しがって意外と見逃してしまう点である。

要するに、口数を増やしたいのであれば、会話の機会を増やして話す練習を積むことが一番であるのだろう。ただし、ただいたずらに機会を増やしたところで何も変わらない。何かしらのイメージを持ちながら取り組むべきだ。

その一つにラケットスポーツがある。テニスやバトミントン、特に卓球などを会話の克服に例えるとしっくりくる。ここでは卓球に視点を当てる。

会話はラリーだと思う。短めのスパンで相手からのボールを受け、一瞬で相手にボールを打たなければならない。会話というのは一方的に話すわけではなく、相互の言葉のやりとりを連続させるものである。

ラリーというとメールのやりとりが想起される。チャットをするときには必ずどちらかの人のメールで終わる。メールが自分で終わった人は、自分が送信したことに対して直接的な返信を得ることができないから不安な思いをすることとなる。このことから、先輩とメールするときに先輩の送信が最後になってしまうと失礼にあたってしまう。だから後輩は先輩を最後にして先輩を無視するような形にならないように努めるべきだ。

ラリーは普段の会話にも当てはまる。相手が発言したことに対して一旦待ってくださいなどと言うことはできない。ラリーでも相手からボールが来た瞬間にそのラリーを必死に拾いその瞬間に返さなければならない。しかもこの作業は連続して複数回、全て異なる形で行われるようになっている。

自分が思うことを書くことはできるようになったので、会話はラリーだということを胸に刻んで精進していきたい。

会話をラリーに例えること自体は正統的な方法とはいい難いが、本質的だと信じて日々精進していきたい。

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