#27 調べる上での目標を持つ

私は調べものをするときに、漠然とこんなサイトや書籍にありつきたいという気持ちで検索をし続けて、その結果、ごちゃごちゃになって何も得られていないということがある。

これを改善するには、自分は今何のために検索するのかという目標を具体的に立ててから調べる作業に入るべきだ。言い換えれば、自分の取り組んでいる内容の中でどういう疑問点や不明点・不足している知識があり、それを補うことで議論を進めたり具体化していく際の下地にしていくという流れの中に調べるという過程を位置づけるべきだ。ネットや書籍から欲しい情報を探そうと思うと、溢れた情報世界の中でこれだ!という記事やサイトにありつくのは至極困難であろう。まず、ひとつひとつの記事が長くて読むのに疲れるし、読んだ結果頭に何も残っていないということはざらにある。

ずっと検索を続けていると体力と思考力が削られて、自分はどこへ向かっているのかわからなくなる。これは、ただただ時間が潰れるだけで意味がないに等しい。

そこで、限りある体力を有効に利用するためには、この検索で得られた結果から自分の取り組んでいることにどのように役立てたいかなどの方向性を立てるべきだと思う。そうすれば、検索ワードも豊富になり見たかった記事にたどり着けるだろう。

そもそも、ドンピシャで自分が見つけたいと思っていた通りの資料があるとは限らない。それよりも、検索して見つかった資料に対する自分の中での切り口を磨いた方が良いのではないか。同じ資料を読んだとしても、どういった情報を得てどのように分析して取り組んでいることに利用したいのかという目的によって切り口が異なり、得られる情報や捉え方・解釈の仕方は無限にとは言わないがそれなりに存在するだろう。

書いている途中で上記のことに気がついた。たしかに、同じ説明文や小説を読んでいても解釈は読者の数だけあるし、美術作品や空間体験、食べものの味でも人によって感じ方は異なるであろう。また、知覚的な話だと、今自分が見えている色は、他の人から見たら違う色のように見えているのかもしれないといった話がある。10年前位には、同じ写真のドレスが青色に見える人と金色に見える人で見え方が分かれるということで少し話題になっていた。私は青色にしか見えなかった。

さらに、同じ絵でも見え方が異なることがある。その例として「ルビンの壺」が挙げられる。これは、見え方が2通りに分かれる絵で、白地に注目し黒地を背景と捉えると壺に見えて、反対に黒地に注目して白地を背景と捉えると人の顔が向かい合わせているように見える。他にも類似例として、「妻と義母のだまし絵」が挙げられる。

これは絵なので他のことに当てはめて言うことができるかわからないが、人は目の前の対象に対して満遍ない見方ができているかと言われるとそうでもなく、自分の考え方に似ている部分や都合のいい部分しか見えていないなど特定の見方しかできていない場合がほとんどであろう。

ここで、物事や資料に対する切り口を自分の中で意識的に整理しておくことで偏った見方や狭い見方になることは避けられるだろう。なんとなく関係なさそうな記事でも見方を変えれば自分の思考を助けてくれることもあるだろう。

切り口を持つことに加えて、一定限度で結論を出しておくことも大事だろう。時間は限りなくあるわけではないし、時間がたっぷりあったとしてもなんとなく調べているのでは無駄に時間が過ぎてしまうことがほとんどだと思う。諦めを持つことでかえってメリハリが出るように思う。

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