#37 落書きをしなくなった

就活で今までの生涯を振り返らなければならない時期が来ている。こういつのは、昔から掘り起こしすぎても効果は薄い気がする。というのも、二十数年生きてくればその中でも性格は不変ではなく変化していくものだからだ。

そうすると、直近の大学生活のみを思い起こせばよいことになるが、それだけではあまり面白みがないように感じた。大学期間中に生活の変化があまりないというのが理由の一つにある。もっと自分の潜在的な特性を見つけるにはより過去を振り返ることが重要なのではないか。たとえ今の自分と違くとも、現在の自分に至るまでに変化した過程を見つめてみれば自分の価値観の変化に気づけるのではないのだろうか。それはかなり重要なことだと思われる。

かといって深く調べようとはせず、なんとなく点で思い出したことを深堀りしていけばよいと思う。

小中学校では教科書が配布されるが、その中には多くのイラストがある。特に、歴史の授業となると、偉人の肖像画が数多く掲載されている。小中学生の私は、そこに落書きをしていた。私に限らずとも落書きにのめり込んでいた人は多いと思う。しかしながら、あんなに熱中していたのに具体的に何を書いていたのか全く思い出せない。

何となくは覚えている。毛量が少なければロン毛をはやす、裸眼であれば眼鏡をかけさせる、顔のみであれば胴体を補足してあげる、といった感じである。教科書以外にも新聞やチラシにデカデカと載ってい人の顔は恰好の対象であった。(本当はダメなことだが)

あんなに落書きをしていたのに、現在の私といえば、まったく落書きをしなくなった。理由は複数挙げられるだろう。

まず、ペーパーレスが進んだことがある。紙の教科書や広告に落書きしていたが、大学だとパワーポイントやpdf資料が多く、そこにわざわざ落書きしようという気にならない。紙を使うとしてもルーズリーフにメモする程度である。勉強するためにルーズリーフを使用しているのだから落書きする気にはなれない。また、講義中には手元にPCがあるから、PCでいろいろ調べることが暇つぶしになり、そこに落書きが登場する余地がなくなる。

また、イラストが入っている資料を取り扱う機会が減少したことが考えられる。大学以降の、特に工学系の教科書だと、数式やテキストで埋め尽くされていてイラストもあるもののその割合が極端に減少した。

また、大学ではアウトプットの機会が多いため、あまり退屈になりにくいというのもあると思う。小中学校は先生の説明を聞くのがメインであったため退屈することがあった。そこで、落書きをして時間を潰そうという流れになる。一方で、大学では自分で調べてレポートを書く機会があったり、設計課題があったり、自分の知りたい内容について学んだりと意欲さえあれば落書きに行きつくほど退屈しないようになっている。

色々理由を挙げたが、一番強いのはデジタル機器の普及だと思う。YouTubeなどが暇つぶしの手段として出てくれば、そこから落書きは脱落してしまう。特に、我々の生活に根強く普及しているスマホは汎用性が高すぎるあまり、点レベルで行われる行為が忘れ去られやすくなっているように感じる。


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