#57 そんなに頑張る必要はあるのか

「今頑張らないと将来苦労するよ」という声を耳にしながら日頃の勉強や受験勉強などに取り組んできた。たしかに勉強を頑張ることはよいことではあると思うが、かならずしも頑張らなければ生活は送れないのか、または、そこまで追い込んで頑張るほどの必要性は果たしてあるのだろうかということが気になっている。

そう思うようになったきっかけが、大学生になってアルバイトを始めてからだ。高校生の頃までは、特別な時に親に出してもらう数万円はかなり貴重な額だと思っていた。たしかに、貴重であることには間違いはない。だが、アルバイトで月に数万円を稼ぐことになってから、自分が今まで思っていたよりも1万円は簡単に稼ぐことができるのだなと感じた。

私は学生であり家族を養っているわけではないから、全体の家計から差し引きしての1万円としては貴重でありアルバイトでの1万円と同じにしてはいけないと思いつつ、時給1000円として一日5時間、2日間働けば1万円稼ぐことができるというのは自分にとって思っていたよりもハードルが低いことだった。アルバイトの仕事内容は専門的でなく何回も繰り返せばできるようになるものであるから、高校生まで私が思っていたレベルの頑張るには至っていなかった。

大学生は長期休暇などで暇な時間が多く、その時間を潰すためにシフトに入ればその分給料がもらえるというのは、時間も有効活用でき持ち金も増やすことができる点で一石二鳥である。

とはいえ、アルバイトで収入が増えたとしても、その分出費が多ければその分頑張って働かなければいけないわけだが、私にはあまりその必要性はなかった。

私は昔から金がかかるかどうかを気にしており、高額なものに対しては後ろめたさがあった。例えば、浪人していた際の予備校代や中学のクラブチームでの会費や合宿代は万単位であったため、特に印象的であった。

そんな人間なので、費用が掛からずに恩恵を得られることに対しては快感を覚えるようになった。例えば、私は小中学生の頃は塾には行かず通信教材で勉強していたが、それである程度の成績を取れていたため他の人が塾に高額の費用を払って受験などをしている傍ら私はそこまでコストをかけていないことが気持ちよかった。また、高校と大学は私立ではないことから莫大な学費を払う必要がないことも得した気分になった。

お金をかけないことに偏るようになった影響で、物事に対して欲しいと思う気持ちはあまり持っていない。旅行であそこに行きたいという願望やあのゲームが欲しいという願望を叶えるにはかなりの費用が必要になり、それが叶わないと不満が溜まる。一方で、そういった欲や物欲がなければ、物が入らなくともストレスではなく、それよりもお金を使っていないことの方が価値の優先度が高かった。

そんな価値観で生きてきた結果、大学生になってからの給料は貯金される割合が多かった。出かけに行くなどで費用がかさみアルバイト代が一瞬にして溶けてしまう人もいるだろうが、私は真反対である。

そんな状態になってから、私は、生きていくうえでそんなに頑張る必要があるのか疑問に思った。

将来新築の一軒家を購入したりバンバン旅行に行ったりするならばそれなりに収入を得なければならないが、私には特別そのような欲はない。唯一心配しているのは、大学で借りている奨学金の返済である。それくらいである。

なるほど、生きていくためには自分の欲望次第ではそこまで頑張る必要はないのだなと感じられた。しかしながら、欲がないと頑張ることができないということにも気が付いた。

大学生活では衣食住に特別困窮しているわけではないし、日頃の生活は時間的な余裕が大きいためそこまで向上心のようなものが奮い立たされない。ゆったりと生活することに対してそれはそれでよいのだが、同時に何かが物足りないという気持ちも併せ持っている。

また、頑張るという気持ちがなくても物事に対する好奇心があれば生活が活発になるのだと思うが、私の場合は、好奇心を叶えるうえでお金がかかることがストレスになるために欲が少ない人間だから、そういったことを原動力として頑張ることができないのだと分かった。

高校生までは勉強は試練のように感じていたが、大学以降はむしろ真逆のような気がする。学問は本来贅沢な娯楽であり、自分の興味を追求することができればとても楽しいのだろうが、大学院生になった現在でも私は目の前の学問をタスクとしか捉えられていない。

そんな私に比べて、周りの学生や就活でお会いした技術職として働いていらっしゃる社員の方々は楽しそうに課題や仕事にのめりこんでおり、今の状態の私ではこの場にいることは不適切だと感じ始めている。

これが終われば、これが終われば、、、といったように一定期間をタスクとして捉えて過ごすことの限界をようやく感じ始めている。何十年も続く社会人になってからはそういった捉え方では苦しくなると思うから早めに直したい。

なんでも目の前の課題や取り組みを苦行に捉えるのは他人からの評価や社会的な評価を中途半端に気にしているからだと思っているから、そこを変えるようにしたい。

要は、頑張りたいということである。


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