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『ソナチネ』北野武監督

あれは数年前のこと、曽我部恵一がライブのMCでこう話したことを覚えている。
「こないだね、ヴィスコンティの『白夜』がリバイバル上映をしていたからまた観てきたんですよ。……もうね、僕はあの映画になりたい」

 その気持ちはとてもよくわかる。僕も『ソネチネ』に対して同じような気持ちを抱いているからだ。

始まって5分のたけしのセリフ、「ケン、ヤクザ辞めたくなったな。なんかもう疲れたよ」から、脇役のセリフも全部自分が演じて、「ひとりソナチネ」をやりたいぐらいだ。

もしこの国が『華氏451』のように、書物でなく映画が禁じられるようなことになったら、僕は『ソネチネ』の全シーン、全役者の全セリフを完コピして、この世に留めたいと本気で考えている。

 もう何回観ただろう。初めて観たのは公開前の一般試写だから20年以上前になる。間違いなく人生でいちばん観た映画だが、それでも100回は超えていないだろう。ダメだな俺。

 一観客として、その後編集者として、そして現在は作家として、自分が作品を評価する価値基準が『ソナチネ』になっている。北野武作品でいちばん好きな映画に『ソナチネ』を挙げる人を、価値を同じくする人として信用している。

 批判の向きもあるかもしれない。当時の愛人に重要な役を演じさせているとか、たけしと寺島進と勝村政信が海辺でロシアンルーレットをやるシーンは大島渚監督、フォーク・クルセダーズ出演の『帰ってきたヨッパライ』のパクリ。ノイローゼの主人公の自死や岸壁の爆破シーンなども『気違いピエロ』からイタダキだとか(事実『ソナチネ』の仮タイトルは『琉球ピエロ』)、しかしそんなことはどうでもいい。僕は全身全霊で『ソナチネ』をまるごと愛しているし、この映画を観るために生まれてきたとさえ思っているから。

 とにかく名シーンだらけで飽きない。自分にとって文芸作品というより娯楽作品だ。町山智浩氏が「映画なんて人をバンバン撃ち殺してオッパイが出て、車が爆発すれば面白いに決まっている」という旨のことを話していたが、『ソナチネ』はこの3つの条件に当てはまる。考えてみると『ゴッドファーザー』だってそうだ。

行きずりの女が「凄いよね、人をいっぱい殺しても平気なんでしょ」と嘆声を漏らす。たけしが答える。「あんまり死ぬことばかり怖がっているとな、死にたくなっちゃうんだよ」。スコールから苦れようと森に逃げた後、女が濡れたTシャツを脱ぐ。たけしが白い歯を零す。「凄いよな、平気で裸になっちゃうんだもんな」。あのときの笑顔。殺人と裸体を晒すことは等価と見切るシーン。何もかもが僕の中で輝き、昇華されてきた。

沖縄のスナックや、ホテルのエレベーターで突然始まる銃撃シーン。あの見事な編集は『タクシードライバー』のクライマックスを超えている。そして声を大にして主張したい点がある。『ソナチネ』以外でも、北野武作品で特筆に値するのはあの銃声だ。日本映画であの、本物より本物らしい銃声を僕は他に知らない。

ラスト書いていいよね? 銃撃戦から生き残ったたけしは、女の元に帰らず、自らのこめかみに銃口を押し当て引き鉄を下ろす。なぜ? 大勢の人間を殺した罪に苛まれたから? ノイローゼだったから? 違う。男が自殺することに特別な理由などいらない。漫画『ヒミズ』を読んでもわかるだろう(古谷実も信用できる作り手だ)。空疎な掛け声や絵空事が人を励ますことはない。まったく救いのない絶望だけが、どこまでも僕を救済してくれた。

だらだらと書き連ねてすまない。そろそろ締めよう。

僕は『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』『十階のモスキート』、そして『ソナチネ』に共鳴して生きてきた。孤独な魂の男を描くことが、作家としての自分の宿命なのだという覚悟ができている。言い訳と受け取ってもらっていいが、売れないことを恐れないでいたい。『ソナチネ』は製作費に5億円を掛けたものの、興行成績は北野武監督映画としては最低の8千万円。あれほどの神作品を撮ったにもかかわらず、海外の映画祭でも当時は正当な評価は得られなかった。

公開から一年後にあのバイク事故が起きた。あれはこの世界に絶望したたけしの自殺行為だったと思う。拙著『さらば雑司ヶ谷』で僕はこう書いた。

「多くの人が経験しているのは淋しさだ。部屋にひとりきりで夜を過ごすのは、孤独という崇高な感情ではない。孤独とは、偉大なる芸術家や、時代に早すぎた発明家や思想家が、凡人たる大衆の理解を得られなくて味わう絶望のことだ」

 今さら言うまでもないが、たけしはこの世で数少ない、孤独の資格がある人だ。

自分の小説と北野武作品を同じレベルで語るのは不遜だとわかっている。しかし『ソナチネ』は後にイギリス国営放送のBBCが選んだ「21世紀に残したい映画100本」に(日本映画で黒澤、溝口、小津と肩を並べ、イギリス人にとって現代日本人のイメージを決定づけた『戦メリ』を差し置いて)ランクインしたように、僕も言い訳や不満を口にせず、自分の好きな小説を、好きなように書かせてもらおうと思う。

北野武の顰に倣い、これからも巨人の足元に近づいていきたい。

(初出:『観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88』)

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