AIを何にも知らないわたしが考えてみた〜AIはマルクスの夢を見るか?〜(仮

最近、AIって言葉を聞かない日がないくらいになりましたね。

よくわからないですけど、シンギュラリティを迎えて人間を超えるんじゃないかとか言われてますよね。

って、シンギュラリティって何?

巷ではAIに仕事を取られるとか、AIに仕事させてベーシックインカムで人は楽になるとか、前者はともかく後者は夢がありますよね。
楽したいです。

医療系のお仕事をしていた身としては、AIが難病を見つけたとかニュースを聞きますが、まだ導入前の研究段階なのか、正直言って身近なものではないですね。

ちょっと前のAIのイメージって、SF、例えば映画の「ターミネーター」、「2001年宇宙の旅」のHALや「1984」のビッグブラザーとかアニメの「攻殻機動隊」なんかで登場する人格らしいものを持つけど、感情の乏しい、超効率主義な感じかなぁって思います。

で、いまあるリアルな有名どころは囲碁や将棋、検索エンジンかなぁて思ってます。

この違いってなんでしょう?

これって前者は世界中のいろんな範囲の質問に対して、AIが自己判断に基づいて適切な答えを出すけど、後者は棋譜や検索ワードなどをたくさんデーターベースにして、AIが自己学習に基づいて答えを出すという一つのことに特化した限定的な知識の違いじゃないかとわたしは考えています。

わたしが勉強してきた発達認知過程の研究ではその二つを「全般的知識」、「固有領域的知識」と区分けしています。

たとえば「全般的知識」は世界のすべてのジャンルを取りまとめて実践する知識のことだそうです。

それに対して、「固有領域」という言葉は生物学や物理学、数学、心理学といった領域の知識をそれぞれ独立した一つの塔のように積み重ねて自分のものにしています。

これらの知識の構造体は人それぞれによって違います。

わたしは小学生の頃、インフルエンザで休んだんですけど、算数に池の周りを左右で足の速さが違う二人の子供が走って、どこで出会うかなんて問題がありましたが、結局いまもわかんないです。

もしかするときちんと先生に教えられたら、わかったかも知れませんがそれ以降の算数や数学ではある程度のことは理解ができて、一応卒業できました(笑。

こんな感じで算数〜数学の知識の学んだことは学校や塾、そして日々の生活の中で利用されてまるで魔法使いの塔のように積み重ねては、違って覚えていたら修正してゆきます。
が、この知識だけでは生物や心理学の問題の答えが出てきません。

このような感じで生物や心理学、数学に物理学などの固有領域の知識に対して、全般的な知識領域はそれぞれの知識が交流を持って、それぞれに似たところを見つけてその知識を応用します。

そして実践の中で違う知識の塔と常にやりとりしながら、知識をアップデートしています。
これがJ.ピアジェという発達心理学者で認知について研究してきたスイスの科学者が考えた認知の構造です。

人間はそんな感じですが、今のAIは知識の固有領域のさらに狭い領域のスキルを積み重ねをしています。

じゃあ、知識の固有領域がたくさん連立して、相互にやり取りをすることでAIに人格が生まれるでしょうか?

つづく

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