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勇猛果敢 武田勝頼

 平山優 氏の『武田氏滅亡』750
ページ を3年?かかって読んだので
総括したいと思う。

 武田勝頼は、結果的に武田家を滅亡させたが、世間が見るように、凡将ではない。
 故 武田信玄 から、信玄子飼いの、
部下を引き継ぎ、くせ者の信玄の部下を、戸惑いながら、付き合い、使ううちに、織田・徳川連合軍と長篠の戦いで闘うことになる。
 信長・家康の計略にハマり、連合軍の陣地に、突撃せざるを得なくなり、
武田氏は、壊滅的な打撃をうける。
その時、信玄から受け継いだ部下は、
ほとんどが死んだ。
 武田の勢いは、衰えたが、勝頼は少しそのことで、やりやすくなったという
側面もあったと思う。
 それからも、織田信長、徳川家康、北条氏政を苦しめた、勝頼だったが、
徳川家康に高天神城を落とされて、救援に行かなかったぐらいから、高天神城を見捨てたと風評がたち、徐々に、部下からは、見限られ、裏切りに次ぐ裏切りにあい、最後は田野の地で、付き従う部下、20人の中で、最期を遂げる。

 織田信長は、息子、信忠に信濃・甲斐を攻めさせていたが、仕上げは、自分がしないとと、思い、勝頼を最後まで、
警戒していた。
 北条氏政も勝頼が滅びつつあるという
情報が信じられず、出遅れた。

 当時の人々は、武田勝頼を高く評価していて、織田信長は、勝頼の首に向かって、お前は運が無かった とつぶやいたという。

 武田勝頼、勇猛果敢な武将であった。

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