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信玄の名補佐役 武田信繁

武田信繁。
武田信玄の4歳違いの弟。

父の武田信虎は信玄より、信繁を溺愛し、
信虎は、家督を信繁に継がせようと
公言していた。

 その信玄、クーデターを起こす。
今川義元に嫁いでいた娘に会うため
駿河国に赴いていた信虎は、甲斐に戻ろうするところを国境で押し止められ、
信玄と結託した義元のもとへ追放されてしまった。
 信繁はクーデターに際して、彼は兄を支持し、武田家を支える立場となることを選んだ。
 信繁は信玄の厚い信頼を受けて活躍することになる。
 「信繁こそはいつも上手に万事やり遂げる真の副将なり」と、武田四天王のひとり・山県昌景から評されるほど、家中の誰からも頼られる武田家の大黒柱となった。
 信玄は信濃に進攻し、やがて川中島で
上杉謙信とぶつかり、川中島の戦いを迎え、激戦となった第4次川中島の戦いが起こる。
 謙信が善光寺平に兵13000をすすめる。信玄も2万の兵を従えて出陣。
妻女山に陣取った謙信を兵を二手に分け、別動隊12000に妻女山夜襲に向かわせるが、それを読んで謙信は、信玄の本隊に突撃した。
 信繁は、信玄危機と見るや、上杉軍を自分に引き付け、壮絶な討ち死にをする。
 自分を主張し、信玄をたけて武田家をつぐこともできたのだが、心配りに長けた偉大な補佐役は、もし長生きすれば、
信玄の後継者の後見ができ、重臣連との
パイプ役になれた筈であった。
 その彼を37才の若さでうしなったことが、のちに武田家を滅亡の道に導いてしまう。


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