アメリカdeバスケ3〜留学を可能にした理由〜

私がなぜアメリカに留学できたのか…

○両親

両親は共に中学教諭。忙しいながらも、長期休みはいろいろな所に旅行や遊びに連れて行ってくれた。子供のやりたい事に対していつも応援してくれた。

マジックジョンソンのサマーキャンプに行きたいと言った時も、アメリカへ行きたいと言った時も、ビザが取れなくてなかなか行けない事態になった時も、いつもそれが叶うように支えてくれた。

でも、高校選びの時は…

家から通える範囲でないとダメだ

と、父に言われたんだよなぁ。

それを考えると、娘を海外に行かせる、という選択は父親にとっても大きな決断だったんじゃないかと思う。

母は、大学卒業後に大学院へ行き海外留学をする予定だったみたいだ。しかし、断りに行ったはずの中学へ二つ返事で就職が決まったらしい。(ここで父に出会った説あり♡) 故に、留学に対する思いがあったようだ。


○兄の存在

兄が高校時代に1年間交換留学でアメリカに留学していたことも影響している。

兄の場合は、高校のプログラムで1年間の交換留学。政府の事業?だったからか、経費は全て負担してもらえるという制度。その分、留学中は簡単に連絡が取れない決まりがあり手紙だけのやりとりのみだった。

兄の留学前は、ホストファミリーが決まるまでいろいろ大変だったり、アメリカのことを家族みんなでいろいろ調べていたり

留学中は、兄からの手紙や写真など見ながら、アメリカ生活を想像していたものだ。アメリカ生活をすごく羨ましく思っていた。


○弟の存在

小5の時に、私は弟を交通事故で亡くした。両親のショックもかなりのものだったと思う。そういうこともあったから、両親は子供がワクワクして一生懸命やりたいことには、全力で応援する気持ちがより一層強くなったみたいだ。

私は、弟のことを忘れないことと弟の分も生きること、この2つを子供ながら決めて生きてきた。


○NBA

父は大のバスケ好き。BSを手に入れてからは、毎晩のようにNBAを見まくっていた。全部ビデオテープに録画して棚いっぱいにテープがしまわれていた。

私はその録画テープをみまくっていた。特にマジックのプレーに魅了され、ノールックパスにハマった。ジョン・ストックトン&カール・マローンが大好きだった。シュートよりもアシストばかりに興味を持った。

中学に入ると、アメリカがドリームチームでオリンピックに出場。翌年の年賀状は、プリントごっこでドリームチームをイラストにして出したっけなぁ。


○自分

昔から負けず嫌い。何にでも興味を持っていた。そしてなぜか根拠のない自信を持っていた。

小さい頃からあれもしたい、これもしたい、と、習い事は数知れず… 体操、ピアノ、習字、少林寺拳法、バレーボール… これに加えて少年野球やミニバスをしたいと言ったら、さすがに止められた(笑)

アニーの応募をみると、応募したら受かっちゃうし、今はできないから辞めておこう、とか考えてたり… 笑

バスケットボールは中学1年から本格的に始めた。始めてからは、日本代表に入って世界を飛び回ることを考えてた。

だからなのか、全中やインターハイやウィンターカップの事はまったく興味なく(と言うよりよく知らなかった)…

高校の時も全国出場と言うよりも、自分がどうしたら上の世界でバスケをしたり代表に入ったり出来るかを考えていたように思う。

出来るだけ強豪校へ行ってバスケがしたいと思っていた。だから、高校選びの時は父親に釘を刺された。


勉強はやっていた方だ。

中学の初めての試験で、学年10位以内に入ったら好きなものを買ってくれるというので、バスケする時のゴーグルメガネが欲しくて(目は良かったのに見た目カッコよくてw)おねだり。

結果、8位

やったー買ってもらえる!と思ったのに、使わないから買うのはやめとけ、と家族に止められるという… (それが正解だったと思うけど…)

そんな調子で中学時代は勉強していたので、高校はスポーツ特待枠を譲り勉強特待生として入学。

両親が、高校時代の授業料を貯金していてくれていた。これが私の留学資金になった。

勉強しておいてよかった。


○英語

NBAとともに小学校から好きだったのは映画。これもまた父親の趣味。昔から英語字幕で映画を見ていたように思う。NBAも英語のコメントが好きで聞いていたし、洋楽もよく聞いていた。

少5〜6年の時に英語教室にも通わせてもらった。その時に10日間ぐらいLAとハワイに行かせてもらった。今思えば貴重な経験だった。

英語がしゃべれた訳じゃないけど、英語は好きだった。何となく聞く感覚は、昔からよかったように思う。


高校選びは失敗したな、って思っていたこともある。でもあそこへ行っていなかったらたぶん、アメリカへは行けなかったと思う。

マジックキャンプでスコットに会ってなかったら、留学はなかったし、今の私はいない。


そんなこんなで、

私のアメリカ留学が可能となった。

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