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365のセルフライナーノーツ

笠原メイの初詩集「365」が発売してから
一か月が経ったので、詩集を出してから
僕の世界がどう変化したか、記してみたいと思う

今回の一行詩集を作ろうと思ったのは、猛暑に包まれた8月の終わり頃、蝉が鳴いていて、洗い立てのジーンズのように晴れていた朝。Twitterや詩誌に投稿し始めて、約1年弱が経過した。その間、毎朝#一行詩というハッシュタグをつけて、詩を投稿していた。俳句や短歌が流行しているけど、僕は定型や、季語に疎いので、日々の発想や、ふと浮かんだ情景や、メッセージや、言葉遊びみたいなものを全部#一行詩で括ってみることにした。

ある程度、続けている内に、一行詩がnoteやブログで発表している、長い尺の詩よりも好評だということに気づいた。多分、すぐ読めるからだと思う。断片的で瞬間的な詩だから、心にも引っかかりやすいのかも知れない「すぐ読めて何度でも読める、それが詩のいいところ」と谷川俊太郎も言っていた。

当然の話だけど、簡単に365日、365編、書けた訳じゃない。半年くらいで、ネタ切れになってきて。本棚にある古いノートを引っ張り出して抜粋したり、お風呂場で思いついた言葉を、裸のままメモ帳に書き殴ったり、トイレにも外出先にもメモ帳を持ち歩いた。雨の日も、雪の日も、一行詩と向き合って、眠い目を擦りながら投稿し続けた。しぶとさだけが唯一の武器なんだ。

すると、一行詩は、ただの遊びから、願いや、祈りに変化していった。この一年は色々なことがあった。コロナに、戦争に、銃撃事件、そうゆうものが詩に影響していたかは不明だけど。日々、生きていることを書こうと思った。足跡のようなものだ。死んじゃったら全部、終わってしまうから。現実逃避かもしれないけど、希望や、優しさや、愛を書きたいと思った。

そうこうして、ようやく出来上がった365編を一冊の詩集にしようと思い立った訳だ。まずは届けたいという気持ちが大きかった。あと応援してくれている人達への感謝が動機になった。はたしてnoteで売る詩集が「形」と呼べるかわからないけど。「形」にしたかった。少しでも日常から詩でトリップしてもらえるような作品を作りたかった。

製本やらなんやらは知識が無く、どのくらい時間がかかるか分からないと思って、今回は見送った。「簡単にできる事をやれ」とE・Eカミングスも言っていた。

題名の「365」は伝説のバンド、ザ・スターリンの曲名「365」から盗んだ。精神はずっとパンクだという、アティチュードである。

出すからには少しは売れてほしい。CM動画を作ったり、できる限りの手段を使って告知などをしてみた。その効果があったのか、なかったのかは分からんけど、結構、買ってくれる人がいて、たくさんの感想をもらえた。素直に嬉しかった。一人一人に握手してお礼を言いたい。

今まで詩をお金に変えることについて、作品に価値をつけるということについて、僕は後ろ向きだった。歌手活動をしていたときもCDを無料で配っていた。

例えば、Amazonプライム会員500円で映画見放題、音楽も聞き放題みたいな時代に、紙媒体でもない、電子データの詩集を一冊500円で買ってくれる人って、5人くらいしかいないんじゃないかな?ってビビってたけど。

ヨガ講師の妹に「値段を下げるな、自分の価値を信じろ」と言われて。勇気を出して発売した。ちなみに詩の間に写真を挟む作りにしたのは、妹の助言からそうなった。

勝負の時だと思った。えーいままよ!と発売した。

蓋を開けたら、予想の十倍くらいの人が買ってくれた。わざわざ、僕の詩集を買う為だけの理由でnoteに登録してくれた方も多かった。自分のツイキャスで「365」を紹介してくださった方もいた。感謝しきれないくらい感謝している。

自分の力だけではここまで来れなかった。
僕はようやく一歩目を踏み出せた気がする。
失敗のないところに成功はない。
舞台に上がるということはそうゆうこと。

もうすでに次のプランを進めている
あなたの退屈が僕の締め切りだ

走れ!自分に追い付かれる前に


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