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消費できない音楽体験~カネコアヤノ野音ワンマンショー2023 at 大阪城野外音楽堂~

「おや、当選してたのか。チケット代高いんだよなあ。でも会場は家からさほど遠くないし、サッと行ってサッと帰れるなら仕事にも響かないな」

 チケットぴあの当選メールを見た時の率直な感想だ。

 カネコアヤノの魅力は、もはや熱心な音楽好きの界隈を飛び越えてマスにも刺さっている。チケットはそう簡単に取れないだろうが、万が一にも当選することがあるなら良い席で見たいよな。そんな思惑から、財布の事情も顧みずにS席のチケットに応募した。
 本気でカネコアヤノの音楽を生きがいにしている方々からヘイトを買ってしまいそうだが、本当に軽い気持ちで申し込んだのだ。今年出たアルバムがすごく好みだったし、行けそうだったら行ってみたいな、といった具合に。だからいざ当選を知った時、真っ先に浮かんだのはチケット代と開演時間のことだった。あくまで私は一人暮らしを営む平均的な20代のサラリーマン。日々の些細な出費に関しても逐一気を配る必要があるのだ。それに、休日は可能な限り身体を休めて気ままに過ごしたいというのが最近の理想だ。

 実際にライブを見終えた今となっては、今月の出費や1日のスケジュールに関してけち臭く思案していた自分を憐れみたくなる。コスパやタイパを常に頭の片隅に置いて生きる人の多い昨今、例えば音楽のような、個人の感情や思想に訴えかけてくる体験に対してそれらを意識するのはあまりにも野暮だと実感した。
 僕はこの体験を、単純に6,500円を支払って消費するだけに留めたくはない。そこで記憶が新鮮なうちに、記事として料理してやろうと思う。

セットリスト

  1. 光の方へ

  2. タオルケットは穏やかな

  3. 愛のままを

  4. 予感

  5. やさしいギター

  6. 明け方

  7. 爛漫

  8. 祝日

  9. エメラルド

  10. ごあいさつ

  11. さよーならあなた

  12. ゆくえ

  13. もしも

  14. 車窓より

  15. 月明かり

  16. 抱擁

  17. 気分

  18. アーケード

  19. こんな日に限って

  20. わたしたちへ

開演前

 会場に到着したのは17時20分頃。席は客から見て左側の前方。楽器や機材の種類、演者の表情までもが十分見えそうなほどステージと近距離だ。

 まだ開演まではたっぷり時間があるということで、僕はここぞとばかりに鞄から文庫本を取り出す。先月の坂本慎太郎のワンマンでは待ち時間を潰す術を持ち合わせておらず、不恰好な観光客のようになってしまっていた。(空き時間にスマホをいじるのは自身のポリシーに反するのだ。思想が強いだとか、逆張りだとか、老〇だとか、好きなだけ罵ってくれていい)
 今回は読書をしながら、この妙にそわそわする時間をやり過ごそうという作戦だ。持ってきていたのは井上ひさしの「ブンとフン」。ちょうど読みかけだったのだ。しかし10分ほど読み進めたところで、本作がもつ支離滅裂なナンセンス文学としての魅力が、これから目の当たりにするカネコアヤノの雰囲気とはあまりにもかけ離れているのではないかと思えてきた。せっかく当選したライブだ。どうせならなるべくフラットな状態で楽しみたい。
 結局のところ僕は、落ち着きなくステージや周囲を眺める手持無沙汰な青年に逆戻りしたのであった。

 そして会場に注意事項のアナウンスがされた後、バンドメンバーに続いてカネコアヤノが登場した。最初に使用するギターを間違えたのだろうか、周囲と笑い合う天真爛漫な姿が印象的だ。このような光景を見た時の「カネコアヤノが実在している……!?」といった感覚はやはり癖になる。

ライブ

 カネコアヤノにはいくつもの顔があった。
 「光の方へ」では真冬の夜更けに飲むココアのような優しさを見せたかと思えば、続く「タオルケットは穏やかな」では観客を睨みつけ、時には白目を剥きながらギターを掻き鳴らすロックスターへと様変わりする。自己紹介もせずに演奏を始め、MCも挟まずに駆け抜けたライブだったが、僕の意識は寄り道することなく彼女に釘付けだった。次はどんな表情で、どんな演奏で、どんな歌を聞かせてくれるのだろう。常に安定して最高の音楽を届けてくれる音源も最高だけれど、こういった期待と高揚感はライブでなければ味わえない。
 “カネコアヤノが目の前にいる”という事実への興奮も相まって、ライブ序盤はあっという間に過ぎていった。印象深い出来事といえば、まずは「光の方へ」の途中で心地よい風が吹き抜けたことだろう。まさに光の方へと誘ってくれそうな気持のよさだったし、野音の魅力が存分に発揮された瞬間だった。

 この日のライブでも群を抜いて忘れ難いのが「祝日」のバンドアレンジだ。思わず身体が揺れてしまうような演奏から始まり、視界がパッと開けたみたいにギターの轟音が鳴り響くサビへと続く。音源では、落ち込む僕の隣にしゃがみこんで、そっと手を握ってくれるような優しい楽曲という印象だったが、この日の「祝日」は僕の手を引いて、外へと連れだしてくれそうな力強さがあった。お僕は音楽の知識はこれっぽっちもないけれど、普段とは違うサウンドで味付けされた演奏は、まさに祝日がもつ“特別な日”という感覚を際立たせていたように思う。

 もちろんライブならではのアレンジだけでなく、所謂“口から音源”を楽しめるライブでもあった。とくに「予感」や「エメラルド」なんかは、普段スピーカーやイヤホンを通して聴いている楽曲がそのまま目の前のステージで演奏されていて不思議な感覚がした。また「やさしいギター」や「ごあいさつ」などのイントロが特徴的な楽曲では会場全体から歓声が上がる。そんな瞬間はいつも「ここにいる人はみんなカネコアヤノが好きなんだ」と、ワンマンライブに来ているのだから当たり前であることを改めて噛み締める。音楽の趣味が合う友人が少ないこともあって、“好き”を思う存分共有できる空間はたまらなく幸せだ。

 終盤はメドレー形式での演奏。まるでビートルズのアビーロードのような構成だ。この頃には辺りも随分と暗くなっていて、照明もいよいよ本領を発揮し始めた。日比谷野音とは違って大阪城野音は木々に囲まれていて、街の風景は客席からはほとんど見えない。(後方の席はまた違った景色なのかもしれないが)そんな“外なのに閉鎖的”という矛盾を抱えた空間は、子供の頃に家の裏山で大人には内緒で作り上げた秘密基地に似ていた。そんな隠れ家で次々と繰り広げられる楽曲に、僕の意識は益々吸い寄せられていく。
 「月明かり」の演奏が始まった時、ふいに見上げた空には小さな三日月が浮かんでいる。そこで少し現実に心が連れ戻されたところで流れ出した「抱擁」のイントロ。柔らかく風に靡くような音色は、春の陽光を浴びながらベランダで椅子に腰かけて、膝にブランケットをかけた時のような安堵感を覚える。
 続く「気分」は、僕が今年のアルバムの中でも特に気に入っている楽曲だ。YouTubeに上がっているスタジオでの演奏動画を見た時から生で聴きたいと切望していたのだが、予想をはるかに上回る迫力だった。「堕落は悪くない、心を守るんだ」という歌詞は、この日ライブ以外の予定を一切入れず、開演の1時間ちょっと前まで家でダラダラしていた自分を許してくれたし、「僕は僕でしかないね、仕方ないね」という歌詞には、いつまで経っても人見知りで、仕事を介さないと職場の人と満足に会話もできない自分ですら愛してもいいんじゃないかと思わせてもらえた。

 「気分」の演奏が終わるとステージの照明が一気に灯火し、会場の熱気は急上昇した。同時に「アーケード」のイントロが掻き鳴らされる。メドレーが築き上げてきた神秘的な雰囲気をぶち破る歓声。僕も柄にもなく「フォー!!!」と叫んでいた、と思う。(テンションが上がりすぎて記憶が少々曖昧なのは許してほしい)感動させるだけでは終わらせない、一筋縄ではいかないアーティストだ。この日で唯一、観客全員が合唱に加わったのも楽しい瞬間だった。
 これでライブも終了かと思いきや、続いて演奏されたのは「こんな日に限って」。会場は再び暗闇に落ちる。僕たちはカネコアヤノに揺さぶられっぱなしだ。先ほどまでとは打って変わり、「悲しみを消すための傷が絶えない」と悲痛な叫びを響かせるカネコアヤノ。「青白い~」と歌うあたりで若干曲調がサイケな雰囲気に転じるところもライブならではの迫力があった。

 締めを飾った楽曲は「わたしたちへ」。「私でいるために心の隅の話をしよう」「変わりたい、変われない、変わりたい、代わりがいない私たち」という歌詞は、必死で自分を許し愛そうとしているみたいで、共感できる部分が多すぎる。「ささやかな優しさと、歩き方さえ羨ましいよ」「寄りかかることが怖い、愛ゆえに」といった歌詞からは、他者の存在にいつも気をとられてしまって、彼らの一挙手一投足をいちいち自分の中で咀嚼して勝手に傷ついてしまう、そんな人間らしさが垣間見える。
 しかしこのライブにおいて特筆すべきは長尺で轟音のアウトロだろう。バンドメンバーが中心に集い、余力を全て吐き出すかの如く演奏に没頭し、僕らはそれを息を吞んで見つめる。途中でギターの林さんがこちらを向いて派手なソロを弾き始めた瞬間は、彼が一挙に主役へと躍り出たかのようだった。弦が切れてもなお演奏する姿も最高に痺れる。
 あわよくばいつまでも続いてほしかった。この音が止んだ瞬間にカネコアヤノが幻となって消えてしまうような気がして、僕は縋るように手を伸ばした。でも、演奏を終えたカネコアヤノがメンバー・スタッフ・そして自身を紹介した後、「気をつけて帰ってください」と笑顔で手を振るのを見て、ああ、明日からまた頑張れるな、と思い直した。カネコアヤノは幻なんかじゃなく、たしかに存在した。あの場にいた全員が、「また会いにこよう」と思ったことだろう。去り際においても、カネコアヤノはそんな魔法を僕たちに残していったのだ。

終演後

 カネコアヤノに「気をつけて帰ってください」と言われた以上、明日の仕事に備えてさっさと帰路につく他ない。帰りの駅や電車で同じ会場にいたであろう人を何人も見たけれど、結局恥ずかしくて声はかけなかった。でも、それが僕なのだし、僕は僕でしかない。カネコアヤノがそう教えてくれたのだから、今日のところはそれでいいのだ。
 電車のなかではひたすら参加者の感想ツイートを漁り、帰宅後は記憶を頼りにセトリのプレイリストを作成した。それ以外は特に何もせず、泥のように眠った。

総括

 またもや格好つけて“総括”なんて欄を設けてしまった。しかし作った以上は何か書かねばなるまい。
 「このアレンジ、ライブじゃないと聞けないやつだな」とか「ここの演奏や歌声、音源のまんまやん。クオリティすご」とか、この日はたくさん感情が揺さぶられたけれど、これは実際に会場に居なければ分かり得ないことだ。この手の感情は非常に中毒性がある。何度味わっても次を求めてしまうし、そういった作用が音楽を消費物ではなく生涯の相棒へと変えていくのだろう。
 ダメだ。ライブの感想で力尽きてしまって、水で薄めたみたいなことしか書けない。今回はこの辺にしておこう。
 ここまで読んでくれた皆様が、光の方へと誘われますことを祈って。

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