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パンツを投げる
ファサッ。
台所で洗いものをしていたら、足もとになにかが落ちた。
父のパンツである。
「なんで私ばっかり!」
と母の声が聞こえてくる。
洗濯物を畳むなどの家事をこなしているとき、“なぜこんなことをしなくてはいけないのか?”と怒りがわくことはないだろうか。母はその頻度がやや高く、また発生が急である。そして、怒り出したとき目の前にある茶碗や、洗濯物などが被害にあう。その日は父のパンツが宙に舞った。飛翔距離は3mほどだろうか。
感情の上下は誰にでもあるが、母は特にふり幅が大きく、たまに収集がつかなくなる。双極性障害Ⅱ型を持っているためかもしれない。子どもの頃から突然叱責されることがあり(私がボンヤリしているせいもある)、人類とはそういうものかと思っていたが、どうやらそんなことはないらしい。
皿洗いや洗濯物たたみなどをこの世から撲滅できればいいのだが、むずかしい。ふしぎなのは「私ばっかり」ではなく他の家族もそれなりに家事をしていること、また、同じ作業を楽しそうに歌いながらこなしているときもあることだ。きっと、感情はその前に生まれていて、皿洗いや洗濯物たたみは発動の「きっかけ」に過ぎない。階段に手すりをつけたほうがいいように、怒りが発生しそうな洗濯物は、先に片付けておくべきだろう。
畑を耕すと、躁鬱が治る?
SNSの流れは速いのでもうみんな忘れたと思うけれど、先日「畑を50日耕したら躁鬱が治った」というツイートが話題になった。
10年も躁鬱の薬飲んで治らず、畑に行って50日目でほぼ躁鬱が治った。精神科の先生って、躁鬱が治らなくても一生治らないですからって言って、どんな患者からも怒られなくていいなぁ。病院って不思議なところだと思う。僕が出会うべきなのは病院ではなく畑でした。土でした。
— 坂口恭平 (@zhtsss) June 15, 2020
そのあとバズったツイートも貼っておく。
双極性障害が10年間の薬物療法で改善せず、畑仕事で50日目で治ったというツイートがバズっている。
— kagshun/EMANON@精神科医 (@kagshuntravel) June 15, 2020
精神科医全員が思うところは一緒だろうけれど、あえては言うまい。
1つお願いしたいのは「他人は他人、自分は自分」だと言うこと。
赤の他人の発言を鵜呑みにして薬物療法を自己中断しないように。
私はこれを見て、「ああ、畑がきっかけになったんだな……」と思った。
畑が精神の安定に及ぼす効果については、研究が行われているらしい。
A氏は農園芸活動を通して,気分の安定を図り,客観的に自分を見つめる機会を得ていたと推察されるが,症状改善の経過はPOMSの結果には十分に反映されなかった。
「うつ病外来患者が参加する農園芸活動の効果に関する一考察」より引用 http://www.jsppr.jp/academic_journal/pdf/Vol17.No1_P7-16.pdf
野菜などの目に見える成果があり、作業に集中することで余計な思念を排除することができれば、気分が良くなる、もしくは安定することがある。それが続けば、元気な状態に。当人が興味を持たなければ意味がないので、「きっかけ」は畑でも編み物でも動画づくりでもなんでもいいのでは?
みんな「きっかけ」を探している
場当たり的かもしれない。きっかけなんかなくても、安定した状態が保てたほうがいいのかも。でも、今は誰もがストレスを抱えている時代。
・夜眠れない
・仕事が辛い
・仕事が辛いけれど辞めたらもっと辛いだろう
・勉強したいけどやる気が出ない
などなど。うつ病ではなくても、こんな不安をぐるぐると考えている人は多いはずだ。不安で「夜眠れない」という問題があるなら、ググれば解決方法を知ることができる。でも、必要なのは「眠る前にスマホの電源を落とす」といった情報ではない。疲れきって布団でスマホを眺めることくらいしか楽しみがないことだってある。そんなときに良い眠りに向けてストレッチをしろと言われても、「知ってるけどやる気が出ません!」と思ってしまう。
私たちに必要なのは情報ではなく、気持ちを後押ししてくれる「きっかけ」ではないだろうか。
きっかけは、どこにある?
では、きっかけはどこに落ちているのだろう?
母を見ていると、「あ、これがきっかけになったんだな」と思うことがある。駄菓子屋で子どもに「このお店大好き!」と言ってもらったとか、友達の相談に乗って奮起したとか、わりとちょっとしたこと(逆にちょっとしたことで下っていくことも)。それほどインパクトがなくても、その前に心がどちらを向いているかで、ポンッとスイッチが切り替わるのだ。
だから、のんびり待つのがいいのかな、と思う。
もちろん、早起きがいいと聞いて早起きをしてみるとか、試してみることできっかけにつながることもある。でも、自分の心の向きしだいではきっかけにならない。仕方がない。他をあたろう。
そして、今回の母のきっかけは、とてもわかりやすいものだった。
特別定額給付金である。
10万円が振り込まれたことで、明らかに変化があった。10万円で特に何をするわけでもなく、トイレが詰まったどうするとかで消えてしまいそう。でも、「別荘を買おうと思う。買える気がする」と面妖なことも言い出している(買えません)。キャッシュの力は偉大だ。もっとどんどん振り込んでほしい。
パンツ投げ大会
今日はみんなでパンツ投げをした。パンツ投げられ事件で、パンツはどれだけ飛ぶのだろうと興味を持ったのだ。
投げてみてわかったのだが、これは楽しい。パンツを丸めずに投げるのがルール。勢いよく投げすぎてもダメだし、途中でカーブすることもある。息子が一番長く、5mくらい飛ばした。私は1.5mくらいしか飛ばない上に腕がつりそうになった。父も母も、笑っていた。公式パンツをつくって大会を開いてもいいと思う。
給付金の力で笑ったけれど、私たちはダメなので、きっとまたすぐにダメになる。でも、同じパンツでも、哀しみのパンツになったり、笑顔のパンツになったりするのだ。変わるきっかけは、寝たり起きたりしながら、待つしかない。「どうしてダラダラしているんですか?」と聞かれたら、「きっかけを待っておりまして」と答えてほしい。
大丈夫。どんなすごい人だって、遠くから見たら寝たり起きたりして日々過ごしているだけなんだから。
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