あたらしい

あたらしいことを依頼されてやったら、次はそれはあたらしくなくなってる、もう出来ることになってる

昨日ひとつそんなことがあってやり遂げるまではもちろん大変やけど、なんでもこい、全部吸収して、第二形態でも完全体にでもなるってスタンス(セル?)でやるモード

音楽においては人に寄せて作ることがどうしても難しいなと思う。依頼されて作ったことはないし、何度かカバーしてくれたこともあったけど、それも自分の好き勝手作った曲を気にいってくれて歌ってくれてるだけで、その人に寄せたわけではない。
デザインや絵はその辺、少し自分を軸をずらせる。自分の中の始まり方が違うんやろな。どっちがどうとかでなく。
その辺のバランスを取り合ってやってる。ライブもたくさんやりたいけど今は無理せず、少ない本数を、ルール守りながらやっていきたい。


最近

生きる という
詩人ふたり、mc(トラックメイカー)ひとり、ギター、ベース、ドラム、デザイナーの7人で構成されてるバンドに参加することになり昨日はオンラインミーティングだった。

ギブスト、ソロは0から1(以上)の創作、生きるは誰かの出したものを1(以上)に引っ張りあげる創作。気分やテンション感はちがう。

曲を作り始めているが、自分がギブスト、ソロでやってきたこと、このコロナ渦で集中して音と遊んできたこと学んだこと(DTM 含めレコーディング、ミックス)が、とても生きてる。生きるだけに。

あっこんなことできるよーになってたんだなって発見。これはまたそこを通してギブスト、ソロにも持ち帰れるなと確信してる。

絵をたくさん描いてるけど音楽をないがしろにはしてないのでご安心を。何倍も何倍も音楽に時間かけて向き合ってる、言葉描いてる、摂取してる。

たぶん大切なのは 集中とスケジューリング

あと

健康

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