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化学流産と上座仏教の水子供養の話

先週、お腹にいた2人目が化学流産しました。

私自身は一人っ子だし、二人目は授かりものと思ってたけど、それなりに悲しいものです。でももう心身ともに回復しています。

流産は珍しいことではなく、誰にでも起こりうることです。このことを知ってもらうために、流産経験を書くことにしました。でも実は、書くことで自分のケアをしている、と言う面もあるんですけどね。

流産という自分の人生の中で最もショックな出来事の1つを乗り越えることにも、役立ったのは初期仏教の教えでした。

化学流産とは

化学流産は、妊娠検査薬が陽性反応を示した後、エコー検査で妊娠確認する前に流産する現象です。

私の場合は、生理予定日の4日後に市販の妊娠検査薬で薄く陽性。第二子だったこともあり、心拍確認ができる6w以降に病院に行こうと考えていたのでお医者さんにかかる前に流産となってしまいました。

ちなみに流産の兆候は5w1dの夜、5w2dの朝から生理のような出血が続き流産を確信、その日の夜に胎嚢が出て流産確定となりました。
腹痛はそれほどなく、生理痛がちょっと重いのと腰痛があった程度。でも後から思うと、あの腰痛は陣痛の1/100000程度のミニ陣痛だったのかなと思います。

流産は健康な男女であっても珍しいことではなく、受精卵の30%程度は妊娠早期に流産となると言われています。実際私もごく普通の健康状態です。1人目はスムーズに生まれてくれたので、流産が自分にも起こることだとは認識しておらず、正直驚きました。

でも、本当に、流産は誰にでも起こりえることだと知りました。

命は強く、儚く、脆い。

胎嚢は、ぽんっと出てきて、見たこともないものなのですぐ分かります。

初期仏教の中に不浄随念と言うのがあることを知っていたので、私はすぐに処分せず、よく観ることにしました(不浄随念ご遺体など不浄なものを観察する仏教の修行の1つです)。

「生命の始まり、こんなもんか」
と言うのが率直な感想です。
綺麗でも神秘でもなく、ただの血の塊でした。

これを観て、命ってマジ無常そのものだなって思ったんです。

これを観たことで、娘も、自分も、誰であれ始まりはこういう状態。
一切の生命は同じく慈しむ存在だと思えて、何だか優しい気持ちになれた。

生命の始まりはみんな同じ。本当に対等で平等。

胎嚢が出てしまえば、それで今回の妊娠は終わり。後は普通の生理と変わらないので、あっさりしたもんです。

仏教の心のケア

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流産はやっぱりショックなものです。週数が短くても、一瞬はお腹にいて命が宿ってると認識していたし、そこに期待や希望が生まれてるので、それが叶わなくなるのは苦しいこと。

確定した時は悲しくて、しばらく泣いてました。

でも私も仏教徒の(超超超)端くれ。このままではダメすぎると思って、娘がお昼寝した時間に心を込めて慈悲の瞑想をして、短い命への弔いとしました。
そうしたら8割くらい回復したので、慈悲の瞑想すごいですよ。

慈悲の瞑想フルバージョン

旦那さんは私より修行も徳も積んでる先輩仏教徒なので、仏教的なアドバイスをずっとしてくれました。その中でも「無常に例外なし」はトドメを刺された気がします…。
ただ、旦那さんがずっと冷静でいつも通りで「そう言うこともある」と言う姿勢でいてくれることで、かえって落ち着いていられたように思います。

残念な結果ではあるけど、この時期の流産は染色体異常なことも多いらしく、種の保存としてこの命は自分なりに正しい判断をしたのだと思う。だから実は徳が高いのでは?とも思っていたり(まあ、これは私の妄想ですが)。

上座仏教の水子供養

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少しでも善い行いをしたくて、今日、献花のため上座仏教の精舎へ伺いました。偶然、お坊さんにお目にかかることが出来たので水子供養について質問させていただきました。

「テーラワーダ(上座仏教)に水子供養は特にありません。お母さんが幸せに楽しく生きることで、回向することです。」と教えていただきました。

根本の仏教の教えは、死後の世界とか死者のためではなく、現実の今を生きる人のための教えなんですよね。だから、実はとても明るい教えとも言えると思う。

私が今するべきことは、悲しむことでも嘆くことでも後悔することでもなく、自分を可哀想がるのでもなくw 淡々と現実を幸せに、そして楽しく(ここ大事っぽい)生きることのようです。

なるべく沢山善い行いをして、短かった命へ回向したいと思う。

※回向というのは、善行為(喜びに値する行為)で得た功徳を他にも分け与えることです(テーラワーダ仏教協会HPより)。

縁があって超一瞬お腹に来てくれたわけなので、またどこかで、親子でもそうでなくても会えたらいいし、その時に今よりも少しまともな人間になっていられるよう、修行を頑張ろうと改めて思いました。

流産や死産によりケアが必要な人は

私は、仏教の教えを学んでいたことや実践を通じて心身ともに回復しました。

でも、だからと言ってみんなに仏教を!と言うのが無理やりすぎるし、こればかりはご自身が決めることです。私には仏教があっているけど、だからと言って仏教だけが正しい!とか言うつもりは全然ないのです。

ただ、流産や死産によりケアが必要な人は遠慮なく誰かに話したり、心療内科に行ったり臨床心理士によるカウンセリングを受けてほしいなと思う。

心療内科や精神科、臨床心理士によるカウンセリングを受けることは胃が痛かったら胃腸科に行くくらい普通のことなので、必要な人はしっかりとしたケアを受けてほしい。必要な分の投薬もありだし、認知行動療法も効果的だと思う。もちろん、仏教の瞑想も効果的ですが、ご自身に抵抗のないものでケアをされてくださいね。

流産を経験して、私の結論

妊娠発覚から流産まで、色々と心の動きがありました。

私の結論は、お腹の中で一瞬生命がいたことも、流れちゃったことも「別に何の意味もなかった」と言うことです。

そこに意味を求めると、苦しいと思う。
過ぎたことに意味を求めず、淡々と現実の今だけを生きようって超シンプルな結論に至って、かなり楽になりました。
これは、お釈迦様の教えのおかげです。
流産した子がいるはずの世界はもうないし、そんなのは妄想。妄想は悪行為なので、ぶった切りです。

良い経験ではないけれど、1つ違う経験をさせてもらった。ただ、それだけのこと。

別にポジティブにも捉えないし、ネガティブにも捉えず、ただそれだけのことと捉えて、妊娠した。ダメだった。以上。と、ジャッジしないことにしました。

この結論に至るまでに落ち込んだり泣いたりして2時間くらいかかったけど、修行が進んでる人は20秒くらいかな?旦那さんがそんな感じでしたわ。

妊娠から流産での体の変化で、一切の現象まじ無常って改めて自分自身で実感したので、精進あるのみです。しっかり回向できるように頑張ります。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
私はすっかり回復してるのでご心配なさらず!

私も皆様も幸せでありますように。

サポートは全額、運用後に喜捨(寄附)させていただきます。