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教員生活38年を振り返って④(教職経験16年〜24年)

 退職を機会に、38年間の教職生活を振り返ってみたいと思います。振り返るに当たっては、私の勤務した自治体(都道府県レベル)の教育委員会が作成した「教員等の資質能力の向上に関する指標」に示されているキャリアステージに沿うこととします。

 指標にはステージ3(充実期/教職経験16年〜24年)の基本的資質能力として、次の記載があります。
○教育的愛情や使命感・情熱に基づき、率先して行動でき、信頼感がある。
○コンプライアンス意識を有し、他の教職員の模範となる良識ある言動ができ、周りからの信頼が厚い。
○他の教職員、児童生徒、保護者等と積極的にコミュニケーションができるとともに、他の教職員の活動に関わり、助言・支援できる。
○さらなる資質能力の向上に向けて自己を省察し、高い意欲を持って積極的に研鑽に励み、教育実践の充実・深化につなげることができる。

 さて、この間、私は2中学校と2教育委員会で勤務しました。先の③に記しましたが、社会教育主事講習を受講した私は、自ら希望して社会教育という未知の世界に飛び込みました。

 その7年間は、本当に充実していました。まず、前半の3年間は町教育委員会に勤務しました。
 当時は、2002(平成14)年度からの完全学校週5日制に向けて、子どもたちの学校外活動を充実させる時期でした。私の任務は、1996(平成8)年の中央教育審議会答申に示された地域教育活性化センターを設置・運営することでした。加えて、係員が少なかったので、スポーツを除くほとんどの事業にかかわりました。特に、人権教育、女性教育、図書館教育、公民館活動、PTA活動、社会教育委員会議での経験は、後の様々な職場での業務に生かされました。
 地域教育活性化センターの設置に当たって、委員は子どもの健全育成にかかわる町内の関係団体の長に依頼しました。1年目はスムーズに進みましたが、2年目は停滞気味でした。私なりの分析では、1年目の委員の方々は、趣旨を理解し熱心に活動していただきました。2年目は、関係団体の役員改選もあってメンバーの入替がありました。失礼な言い方になりますが、関係団体の長の方に必ずしも熱意と意欲があるとは限らないということです。私自身も委員間で趣旨を共有する作業を怠っていました。
 ここで学んだことは、委員は関係団体の長にあてるべきではないということです。委員の選任に当たっては、地域住民の課題意識を刺激するするような仕掛けを行い、そこで熱意と意欲のある方を見極め依頼するべきということです。そのためには、ビジョンと時間が必要だということです。そして、事業実施に国が補助金を出してくれている期間にこの作業をやり終えれば、補助金がなくなってもその事業は継続するということです。

 後半の4年間は、いわゆる本庁(都道府県レベル)の社会教育課に勤務しました。町教育委員会で住民に直接事業を実施するのとは全く違う業務内容でした。でも、町教育委員会での様々な経験やその間の本庁職員とのつながりに救われました。
 本庁では人権教育を担当しました。当時(2001(平成13)年)は、同和対策事業が終了する直前で、教育においては人権教育の再構築に取り組んでいました。具体的には、同和教育室の指導主事とともに人権教育指導資料及び人権学習資料の作成に携わりました。人権学習資料は、作成委員の学校の先生方と電話でやりとりを繰り返したことを記憶しています。また、掲載する資料にかかわる著作権処理を担当し、出版社等の担当者との電話やメールでのやりとりは、幅20cmを超える簿冊になりました。翌年度には、人権学習資料の社会教育場面での実践事例集を作成しました。人権教育に関する資料は、その後も継続して作成(改訂)され、年々充実しています。
 都道府県レベルで刊行物を作成・発行することのたいへんさを思い知りました。

 16年間過ごした学校とは全く違う環境で苦労しましたが、それだけに手応えと充実感を味わうことができました。
 また、慣れないところでなんとかやってこれたのは、5年間の同和加配教員の経験が大きかったと思います。同和加配教員としての仕事の対象は、もちろん生徒です。でも、それ以外に、保護者をはじめとする地域住民とのかかわり、教育委員会をはじめとする行政の関係部署とのかかわり、さらには関係団体等とのかかわりがあります。こうした学校外の世界とのかかわりを経験したことが役だったと思います。

 社会教育での経験を積んで、教職経験24年目に教務主任として学校に戻りました。

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