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薮入りや何にも言わずに泣き笑い

2021.8.28 Sat

初めてのブログは長いです。
長い上に文才が無いんで読みづらいですが、最後まで読んでくれた人には何か差し上げたい気分です。


最近知った「三代目 三遊亭金馬 薮入り」を何故か気に入ってしまい何度も繰り返しみていた。


『』の太字以外は俺の言葉です。
観て欲しいので参考にしてみてください。
YouTubeにあります。

https://youtu.be/3v0E6dO8yrs

『かくばかり偽り多きの世の中に子の可愛さは真なりけり』

と言う句と説明から始まる。

いつの時代も変わらない、そういうものがあります。
落語を観に来ているお客さんに共感させ、一つにし、集中させる。
ツカミのレベル高過ぎる。

ここからお客さんのイメージにスライドショーを流すように話を進めていく。
お題は親心とはどういうものか。

小さい子を連れた父親から母親の登場、それから俺たちは義務教育、高校受験となりますが昔は違った。

育ててもらう代わりに住み込みで商人の家のお手伝いをするという奉公だ。

自分の子供を満足に食べさせる事が出来ない親が苦渋の決断をする。

そこの坊ちゃん最近見ないけど元気なの?と、ご近所さんに聞かれたりする。

昔は頭の良い人より何にも知らない苦労した人の方が偉いと言われていた。

「可愛い子には旅させろって言いますから奉公に出しました」
江戸っ子はそう答える。
聞いた方も「しまった」なんて思うだろうが、「ご心配ありがとうございます。聞いちゃいけない事を聞いてしまった、そう思わせてしまいすみません」
相手に対する心遣いがあり、自分を下げた冗談だ。
こういう落語の時代背景が好きだ。

"奉公に出す"事は辛くて申し訳ない気持ち、恥という事からネガティブな感情のイメージする言葉だ。
だから昔は"暇を出す"と言う逆の言葉で休暇を与えていたのかな。

その奉公がお休みになる日が年に二度あった。
1/16日 7/16 

奉公人さんは仕事で年末から正月まで大忙し。
それが終わりやっとお休みがもらえます。
ただ奉公に行ってすぐは家に帰してもらえない。実家に帰ったらもう駄々をこねて奉公に戻らなくなる事もあったんだろう。
3年ほど我慢したらやっと家に帰る事を許された。子供の3年は長いです。保育園、低学年1〜3年生、高学年4〜6年生、中学と3年区切りにしてイメージすると本当に長いし、この間に別人のように大人になる子もいる。
薮入りと言う演目はこの間親子は離れ離れになり、3年振りの再会のドラマだ。

最初は夫婦布団に入りながら会話するシーン。
2人ともソワソワして寝られません。
特にお父さん(クマさん)の方。何度もおかみさんに呼びかけて寝れずに朝を迎えます。
クマさん飛び起きて子供(亀吉)を迎える準備をと、家の前をほうきがけする。

すると表にはご近所の旦那さん。普段無精者のクマさんが朝から一生懸命掃除をしている姿に今日は16日、薮入りの日だと気付く。
そんなクマさんに声を掛けるご近所の旦那さん。
愛想悪く答えるクマさん。
亀吉に食べさせてあげる温かいご飯の支度をしているおかみさん。
そして帰ってくる亀吉。

クマさんに緊張が走る。やっと3年振りに会える。
元気にやってるかな、寂しくしてないかな、申し訳ないと思いながら。
ご近所で後ろ指刺されながらも、また一緒に暮らそうと一生懸命働いてきた。毎日思い出しては会いたいと思い続けてきた。
その3年振りの再会のシーンは涙が出そうになるとクスッと笑ってしまい、こっちまで泣き笑いしちゃいます。

話は続くんですが、ここまででこの三代目 三遊亭金馬という人の語り、演技力の凄さに感動する人が沢山いると思います。
三遊亭金馬と言う人が目の前から居なくなり、登場人物に乗り移り、背景までも強烈に描写する。しかも3Dなのだ。

夫婦布団に入り寝付けないクマさんとおかみさん
飛び起きたクマさん表に出る
ご近所の旦那さん達が会話している
クマさんへ話しかける
おかみさんに声を掛けられて家に戻る
亀吉が帰ってきて戸を開ける

落語の技法で上下(かみしも)があるが、左右に顔を向け話をする事で役同士が会話している表現をする。
それが単に左右だけではなく、上下や奥行きまで立体的に表現されている。

布団にいる時は隣同士。
飛び起きたクマさんを目で追いかけるおかみさんは一度背中の方をぐるっと見てから斜め前を向く。
クマさん斜め後ろを振り返りおかみさんと話す。

1番凄いのがご近所の旦那さんが出てくるシーンだ。
ご近所の旦那さんが掃除しているクマさんを見つける
近くにいた同じくご近所のきっつぁんに声をかける
きっつぁんが返事をする。

ここの左右に顔を向けるスピードと声色が凄過ぎる。

夫婦へのアングルから、ご近所さんへのアングルへ、カメラが切り替わるように。

ドラマ、映画のようだ。
もっといえばテレビ、スクリーンが無かった時代から娯楽として親しまれていた。
お客さんの頭の中のスクリーンに映し出す落語の世界。

全て1人で表現をする。
落語は語り手と、そして聞き手の想像力の深さで楽しさが変わると思う。


この噺を好きな理由が他にもある。
どこか懐かしいという気持ちを寄せてしまうところだ。

心配する親心を見て自分の親を思い出す。
または自分もそうなるのかな、と思わせられる。


年に2度の休みの日。
薮入りとは草深い所へ帰る意味。
お休みに帰省する風習のルーツである。

それが1月16日と、7月16日。

年末の大掃除から正月の飾り付け、挨拶回りに御接待。
それがやっと終わった1月半ばはお店も休みにし、奉公人さん達もお休みになる。奉公先の主人から帰る事を許され、お小遣いを貰い帰省する奉公人さん達。
同じように嫁いだお嫁さんもこの日は実家に帰る事が許されていた。

1月はわかるが、7月は何故休みになっていたのか。
ここが引っかかってしまい、考えた。

そこには仏教の思想があるといえる。

天国と地獄の裁判員 閻魔大王のお休みの日が関係している。
毎月16日は閻魔様の縁日で、1月と7月には閻魔賽日という。
その日は閻魔様もお休みで、地獄の釜が開き鬼も亡者も休みになる、とされている。

初盆には亡くなった人が帰ってくるという話がある。
一年以内に亡くなった人、と言う話なので年に2度閻魔様の休みがあると言う理由に繋がる。

でもどちらが先なんだろう。

本当は先祖が実家に帰るというストーリーは薮入りから来ていたんではないか?という疑問に繋がる。

もし薮入りが先で仏教がそれに合わせてストーリーを作っていたら。
そんな馬鹿な!と思う人もいるかもしれないが、日本では昔仏教は大きく二つに分かれた。
僧侶になり修行する事で悟りを得られる小乗仏教と、
出家し僧侶にならなくても信仰すれば功徳を得られると説いた大乗仏教。

これは仏教が生き残る為に別れたのだと言われる。

これまで通り修行しなければならない仏教ではいつか廃れてしまい、釈尊の有難い教えが将来なくなってしまう。だからわかりやすくでも残していこう派の登場だ。

日本では檀家と言うのがあり、ほとんどの家庭とお寺が紐付けされている。

そうして生まれた思想は人々の暮らしと繋がり寄り添ってきたに違いない。
現在でもクリスマスやハロウィンなどと同じく、イベントを作る事で経済が回わっている。

お盆はみんなが帰る。
先祖から嫁ぎ先のお嫁さん、奉公に言った子も。

俺は薮入りから現在のお盆の帰省は始まったと思う。

ちなみに7月16日というのは旧暦なので現在の8月23日ごろになる。

主人からお小遣いをもらい帰ってくるのだ。
今で言うボーナス。
きっと当時も久しぶりに帰る子達はお土産を買い、迎える子達のために豪華な食事を用意したり、一緒に遠出をして出掛けたりしたんだろう。

きっと日本人のDNAに刷り込まれた帰省本能のように。

この本能のように刻まれた長期休暇の過ごし方を封じられたストレスは大変大きいと思う。

この過ごし方も年々変わってきている。

仏教で言う諸行無常とは、全てのことは移り変わるものとする。

ただ俺たちは変わらないものがある。

かくばかり偽りばかりの世の中に子の可愛さは真なりけり

変わるとか変わらないとか、この世は矛盾だらけだ。
この矛盾を見つけて楽しむ事が今の俺にとって1番楽しい時間です。

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