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40代で退職〜理学療法士を志した理由と臨床を離れた理由

私は昨年度まで12年間、理学療法士として整形外科クリニックで働いていました

社会人としては理学療法士ではなく、トレーナー(リハビリ助手)がスタートでした。

回り道までして国家資格である理学療法士となり、なぜ40代という転職の困難な年齢で辞めてしまったのか。

理学療法士が現在おかれている状況も含めて記していこうと思います。

トレーナーとして社会人をスタート

私は元々、スポーツトレーナーを志していました。

中学から大学まで陸上競技に熱中し、その中で最も大事な高校3年生の時、足首のケガでインターハイ出場の目標は達成できませんでした。

ケガをして悔しい思いをした経験から、そんな選手をサポートするスポーツトレーナーになりたいと考えたのがきっかけ。

しかし、体育大学受験にことごとく失敗、何となく受験した地元の新設大学に入学しました。

社会情報学部社会情報学科経済情報学専攻という、体育学とはかけ離れた学問を学習すればするほど、当然スポーツトレーナーへの夢は大きくなります。

その間も陸上競技には熱中し、何となくモヤモヤした気持ちのまま大学を卒業しました。

夢を諦めきれず、スポーツトレーナーになるため専門学校に入学し上京。

しかし、専門学校のレベルの低さに焦り、1年で退学を決意し、就職活動をすることに。

幸運にも現在では全国的にも有名な整形外科病院にトレーナーとして採用されました。

24歳でようやく社会人となります。

はじめは仕事を覚えることに精一杯でしたが、だんだんトレーナーという仕事の理想と現実の違いを目の当たりにしました。

勤務しているのは医療機関、やはり医療資格のないトレーナーでは活動制限が大きくありました。

実際にはトレーナーとは名前だけ、理学療法士の指示のもとに運動指導をするのが仕事内容でした。

有名な病院だったこともあり患者数が多く、多忙な日々を過ごす中で次第に心身のバランスは崩れていきます。

頭痛が頻繁に起こり憂鬱な気持ち、内科、心療内科と渡り歩き、うつ病と診断されました。

上司にうつ病と診断された旨を伝えると、

「明日にでも辞めてもらって良い。」

という言葉。

結局、研修期間も含めて、初めての社会人生活はわずか半年間で幕を閉じました。

なぜ理学療法士を志したのか

うつ病となり2年間、まともに仕事のできる状態ではなくバイトをしては辞め、また新しいバイトを探すという苦しい生活をしていました。

そんな苦しい日々の中で、ふと考えたことがありました。

自分は誰かに感謝されたこと、必要とされたことがあるだろうか?

思い返すと一度だけありました。

それは、トレーナーとして整形外科病院に勤務していた時、

リハビリを担当していた女性が退院する際、

「あなたがいたからリハビリを頑張れた。ありがとう。」

プレゼントと共にそんな言葉をいただいたのを思い出しました。

もう一度、病院で仕事をしたい。

そのためには医療資格が必要になる。

出した結論は、理学療法士として整形外科に勤務することでした。

同時にうつ病になったことにも何か意味があると感じていました。

理学療法士は身体の専門家ですが、心のことにも目を向けることのできるようになれることが自分の強みになる、そう考えます。

働きながら受験勉強を始め、地元に近い養成校の夜間部に合格することができました。

理学療法士としての充実した日々

養成校に入学し、昼間は整形外科でリハビリ助手をしながら夜間学校に通う日々を3年間過ごしました。

4年目は1年の半分近くは実習期間となり、そのあとは国家試験の準備となります。

この4年間は振り返ると、特に体力的に苦しい日々でしたが、目標が明確だったことで心のバランスを保ち乗り切ることができました。

無事に国家試験に合格し、理学療法士資格取得というスタートラインに立つことに。

この時ばかりは人目もはばからず泣きました。

就職先はもちろん整形外科。

理学療法士はなることがゴールではなく、なってからがスタートです。

養成校で学んだことだけで患者の症状を改善させることなどできるはずはありません。

休日には勉強会、セミナーにお金を払って足を運び、様々なことを学ぶことが必要になります。

もちろん、日々、論文や書籍を読むこと、臨床での経験も学びになっていきます。

私自身、回り道をしてしまったという思いから、休む暇なんてない、とにかく人の何倍も学び同じ世代の理学療法士に追いつかなければと自分を追い込んでいました。

多くの悩みや苦しい経験から導き出した答えである理学療法士の仕事。

毎日、充実したものになっていました。

理学療法士のおかれている状況、そして心境の変化

理学療法士の経験が10年を超えた頃、直接収入につながらないような勉強を続けて何か意味があるのだろうかと感じ始めていました。

そんなとき、ある実習生を担当する機会がありました。

その時の出来事が私の心境を大きく変えることになります。

また、現在、理学療法士は国家資格とはいえ恵まれた環境にあるわけではありません。

理学療法士の報酬は国の決定した診療報酬の点数により決定されます。

この診療報酬の点数、リハビリテーションに対しては改定ごとに悪化の一途。

超高齢化社会に伴う医療費の増大、リハビリテーションの科学的根拠の希薄さなど、様々な背景があると考えられます。

今後も診療報酬の点数が上がるとは考えにくく、理学療法士をはじめとしたリハビリテーションに携わる職種の待遇は悪化することが予想されています。

このような状況の中で将来への不安は生まれないはずがありません。

しかも、勤務先は個人経営のクリニック。

退職金制度もなく、ここ数年は昇給もほとんどない状況でした。

そこで出した結論は、理学療法士、認定心理士、うつ病、取得した資格や経験をライターとして発信することでした。

もともと、人に雇われることに向いていないと感じていたこともあり、フリーランスとして在宅を中心に仕事ができないかと模索していました。

ライターとして食べていくにはまだまだ手探りではありますが、うつ病を寛解させることを優先しつつ、少しずつ前進していきます。

この記事が一人でも多くの方の参考になればと願っています。

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