大学がこれまで授業以外で僕らに提供していたもの 〜オンライン授業の不満はオンライン授業そのものに向けられたものではない



   大学3年の春学期を無事に終了した。都内に拠点を置く多くの大学と同様、僕の通う学校も基本的に全ての授業がオンライン・オンデマンド形式を採り、我々はこれまでにない状況のもと学びを進めた。オンライン授業のシステム不備や学びの質の変容への不満、またそれに伴う高額な学費に関しての不信感等、学生の大学に対する満足感がこれまでになく低下していることは数字を見るより感覚として明らかだ。
   僕の通う上智大学は12日、「オンライン授業に関するアンケートの結果について」と題した声明を発表した。その中で気になる部分があったので以下に引用する。

オンライン授業全般については、とくに2年生以上では理解度・満足度ともに高く、「自分のペースで学習できる」「キャンパスに行かなくていい」というメリットを挙げる学生が多いことが示されました。 (上智大学HP 「オンライン授業に関するアンケートの結果について」)

   上智大学はオンライン授業の開始当初から折に触れて「オンライン授業に関しても上智ならではの質の高い教育を提供していく」という旨の声明を出してきたが、春学期が進むにつれてそれとは逆の現実が学生からは指摘されてきた。なのにどうして、このアンケートでは多くの学生がオンライン授業に満足しているとの結果が出たのだろうか。
    実際、このアンケート結果に対し疑問の声を投げかける人も少なくなかったが、思い返せば僕自身、このアンケートの中の「オンライン授業に対する理解度・満足度」に関する項目では決して悪くない評価をつけた。いや、どちらかといえば肯定的な評価をつけた。今期僕が受けたほとんどの講座は前年度から面識のある教授が担当する授業であったが、対面であった昨年度のものと比べ実際はほとんど遜色の無い内容を受講し、理解することができたと思ったからだ。レジュメはPDFで事前に提示され、プリントを授業中に回す手間も省け、板書は見やすく受講席によって教授の声が聴きづらいこともない。僕はオンライン授業は授業の質を下げるものでなく、寧ろ質と効率を上昇させるものであることにアンケートに答える中で気づいた。
   

   そしてもう一つ気付いたのは、僕が不満を感じていたのはオンライン授業そのものではなかったということだった。さらには気付かずにいた大学に通うことのメリットをこれまでになくはっきりと認識することとなった。  

はじめに平たく言って仕舞えば、大学に通うことで得られるのは「人脈」だ。以下には大学に通ってたからこそ得られた恩恵を個人的な体験も含めて綴るが、すべてはこの人脈という言葉から始まることを前置きしたい。
   

 最初に最もポピュラーな例を出したい。今年度の新入生の課外活動選定はオンラインとオフラインで大きな差がついてしまった。サークルや部活等学生の課外活動は授業開始直前の期間、学内の敷地で上級生が新入生を激しく勧誘することで新入部員を獲得していた面もあり、大学によってはキャンパス主導で新入部員勧誘期間を設けるなど、サークルにとっては1年で最も力を入れる時期となっていた。今春は多くの大学で勧誘期間は構内立ち入り禁止状態が続いており、各団体はオンラインでの勧誘に活動の場を絞られた。
   実感としては例年と変わらない勧誘期間だったかもしれない。オンラインであれど新入生は事前にある程度気になる団体の目星をつけているし、公認サークルが一覧となった資料を大学側から提示される。事実、活動の様子や団体の雰囲気は掴めていないが、とりあえずサークル等に加入したという新入生は少なくない。
  

 しかし、僕が思うに今年の新入生は例年の新入生と比べ、様々な出会いや体験の機会を逃している。
   従来の新歓は双方向的なものだった。新入生が自ら興味のある団体に目を向ける事は勿論、上級生が新入生をタダ飯・美男美女で釣ったり時には半ば無理矢理にでも勧誘したり、上級生が新入生に対してアクションがし易い環境があった。オンライン新歓となると、参加や加入の意思判断は基本的にすべて学生自身で行うこととなる。例年であれば学科で知り合った友人との付き合いであまり興味のない団体や、所謂「飲みサー」などと囁かれる怪しい集まりに少し顔を出す機会を持つことがある。飲みサーなんかに関わるはずのない学生が、友人との付き合いで飲みサーの人間と関わりを持つことは良くも悪くも、非常に有意義な体験となる。陰キャがウェイと関わる最もハードルの低い期間がこの新歓期だ(逆も然り)。
   意外にも、そんな所に出逢いなんてのは転がっていたりする。飲みサーにいる先輩が何か他の面白そうな団体を主催していたり、学外の真面目な学生団体で幹事をしていたりする。大学のサークルは思った以上に混沌していて、そのサークルのカラーに合わない人が入っていたりすることは決して稀じゃない。中にはサークルの勧誘のために、他のサークルに顔を出す不届き者もいたりする。基本的に新歓は行けば行くほど得だ。これは断言できる(加入するかはきちんと判断しなきゃダメ。断る勇気を持つこと)。
   このような意味で、今年の新入生は大学生活の始まりの場における出逢いの機会をかなり逃してしまったと言える。これは授業とは関係のない、「大学に通うことで得られるメリット」を失ってしまったことの一例だ。

   さて、新歓は基本的に新入生にフォーカスした例だったが、全学生に関わるオンライン授業の弊害としては、アカデミックな出会いの場の喪失が挙げられる。

   僕個人の体験を例にあげよう。昨年度の秋の授業でゲストスピーカーが登壇する機会があった。イギリスの大学で教鞭をとる女性の先生だったが、人権意識をベースにして現代日本の課題をとらえる手法に僕は感銘を受けた。講義のあと、僕はその先生(A先生とする)に話しかけに行くと連絡先を交換することができた。それ以来、A先生が主催する勉強会や講演会の誘いを受け、その度に様々な問題意識を持つ学生や社会人と出逢うこととなる。いま僕が働く職場もA先生をハブにして知り合った学生に紹介してもらった会社だし、マスコミの最先端に立つジャーナリストの人達とも話す機会を得ることができた。当然、誰かと関わる中で何時も人から何かを頂くようではいけないので、僕自身も自分の専門領域をさらに深めようとする。ギブアンドテイクの中で自分が少しずつ変わっていくことを実感するのは悪いことではない。
   昨年度までは 学生と講師の関係を深めるだけではなく、同じ講義を受けた学生との交流も盛んに行うことができた。一般教養科目の授業では、学部学科学年問わず様々な学生が集まるため、ワークショップなどグループディスカッションを行う授業では実に多様な学生と意見を交換する機会を持つことができた。その交流は授業内に留まらず、僕の専門領域ではない分野をテーマにした学習会を聴講したり、音楽の趣味が合う学生と出会えば一緒に御茶ノ水でギターを物色したりなど多岐に及んだ。
   オンライン授業は一方通行の講義形式の授業には向いているが、双方向のコミュニケーションにはいくつか障害がある。特に、先に述べたようなA先生との出逢いはオンライン授業では生まれにくい。オンライン空間は公共性が高く、講師との親密なコミュニケーションが取りづらいからだ。学生との交流に関してもそうだ。ブレイクアウトディスカッションでのグループワークを導入する授業もあるが、それもブレイクアウトルーム内での公共性が強い。授業後も色々と話を聞きたい学生がいたとしても、公共の、誰もが会話を聴ける場で個人的な会話を始めることや勧誘することは憚られる。当然のことながらオンライン授業での受講生の連絡先等個人情報は守られているため、学生同士はその場限りでの交流となる。これは非常に勿体無い。オンライン授業はその学びが授業時間とそれに付随する課題のみで終結してしまうのだ。

   このようにここまで見ると僕は決して授業を受けるためだけに大学に行っていたのではなかったことを改めて認識した。寧ろ、僕が大学(生活)に期待していたのは前述の様々な刺激的な体験や出会いであったのだということも。「オンライン授業」そのものに対する不満は実はそれほどのものではなく、学生が求めているのはこのような大学に行くことで得られる学びであったのだろう。
    日本社会における大学教育がその立場を危うくしている現在、コロナ禍がさらに追い討ちをかけ「若者が大学に行く意義」を虚無に返そうとしている。よって、大学が大学たらしめるためには、学生に対面授業に劣らない刺激的で魅力的な機会を提供することにあるだろう。(当然、ここでいう刺激的や魅力的とは決して快楽的な即興の代物ではなく極めて人道的で学問的な刺激を指す。)多くの学生は実践的な学びと人との交流、課外活動や施設利用者が制限された大学と、通信制大学・教育との明確な差異を見出せていない。否、見出すことは今のところ不可能なのだろう。今、日本の大学教育は歴史上極めて重要な岐路に立っている。これまでの常識に囚われない大胆で抜本的な改革・投資を今こそ行うべきではないだろうか。

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