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道端で「差別主義者!」と罵倒された

 3月末日、異動する人たちへの最後の挨拶のために、私は職場に向かっていた。余っていた有休を取得し、いつもより2時間以上遅れて行く通勤路は自由を実感させてくれる。

 普段の出勤時には履かない、お気に入りのadidasのSuperStarを履き、この上なく晴れやかな気持ちだった。

 あと一息で職場に着くところで、後ろから気配を感じた。バイクが私の自転車と同じスピードで近距離を走っている。気のせいかと思ったが、運転手がものすごい形相でこっちを睨んでいる。

「どうしたんですか?」と私が聞くと「は!すっとぼけるのかよ!」と。
全くわけがわからない。

「人を見てやってんだろ?エヘンエヘンってよ!」と言われてようやくわかった。

その人の前を通るときに私がした咳払いが、その人をバカにするために向けられたものだと思ったらしい。

 リアルで私を知っている人はわかると思うが、私は咳払いのクセがある。当然誰かに向けてするものではない。誤解させてしまったのは申し訳ないので説明しようとしたその時、

「この差別主義者ー!差別主義者ー!差別主義者ー!」

とその人が連呼し出した。

私がいくら「あなたに向けてした咳払いじゃないですよ」と言っても、

「人を選んでやってるんだろ?そういうの差別って言うんだよ!この差別主義者ー!」としゃべり続ける。

その場から去ろうとしたがバイクでついてくるので、「自分は咳払いのクセがあって・・・」とさらに説明しようとするが、

「高校生にも言ってるけどよ、わかりやすいんだよ。人を差別して楽しいのか?差別は楽しいのか?」と、全く会話が通じない。

生徒にもこんな絡み方をしているのかと思った途端、私もヒートアップしてしまい、「いいかげんにしてください!こちらはあなたのことなんか視界にも入っていませんでしたよ!」と大声を出した。

その瞬間、私の心は急速に萎えて、それ以上何も言えなくなってしまった。

必死に誤解を解こう、正当性を認めてもらおうとしている自分に気づいてしまったからだ。

なぜ、誤解をされている相手に喧嘩腰で対応してしまったのか。

あるいは適当に受け流すことができなかったのか。

なぜ穏やかに、時間をかけて対話できなかったのか。その日は仕事も休みで時間なら十分にあったはずだ。

その答えは明白だった。

会話が成り立たない赤の他人からでさえ、差別主義者と誤解される不快感に、私は耐えられなかったのだ。

生徒には常々、「安心、安全、快適ばかり追求してはいけない。不安、危険、不快を受け入れるところに自由がある」と言っている。

しかし安心、安全、快適にどっぷり浸かっていたのは自分だった。

 世の中の多くの人が出勤する時間に出勤し、教員という同じ職業の人たちと働き、高校生という若さ溢れる人たちと関わり、ほぼ定時で上がり、こどもを迎えに行く毎日が当たり前になっていた。

自分が今いる領域は本当に恵まれている。そしてそこから外れている人はいつでもどこにでもいる。そういう人たちが生きやすくなる世の中にするにはどうしたら良いのか。

そんなことをいつも考えているつもりだった。でも私は自分の発した言葉の通り、そういう人を「視界に入れない」ようにしていたのだ。

おっさん、ごめん。今度見かけたらわざと咳払いするよ。だからまたブチ切れて追いかけてきてよ。

今度は道端じゃなくてさ、近くの公園でじっくり話そう。

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