23区内をホームタウンとするチームについて考えてみたら、いろいろととっ散らかってしまったのですが、なんとか強引に纏めてみました、というお話

先日、久しぶりにプレミアリーグに行ってきましたよ。お目当てはウエストでは今後、まず見ることのないであろう横浜FCユースだったのですが、なかなか見応えのあった試合でした。さすがはJリーガー育成組織同士の試合。プレーの質や強度の高さはもちろん、何よりも手を使ったような悪質なプレーがほぼなく、選手もベンチも審判も観客もみんながストレスに感じない、素晴らしい試合でした。常日頃から競合いの際に手を使わないことを徹底されているのでしょう。実に素晴らしい指導者だと思います。このような流れがもっとあらゆるカテゴリーにまで広まれば、日本のサッカーのレベルも一気に上がるでしょうね。そんなことをふと思ったわけです。

今日はJユースのお話、ということではなくそのJユースのトップチームであるJクラブを目指して活動している、それも東京23区内のチームについてのお話です。と、その前にまずは東京におけるJクラブの現状についてお話してみたいと思います。
Jリーグが始まった当初、東京都内にはJチームはありませんでした。というか、本当は読売クラブからJリーグに参戦したヴェルディが旧国立競技場をホームスタジアムにしたいと言ったところを、当時のチェアマンが頑なに拒絶。仕方なくヴェルディは川崎市をホームタウン、等々力競技場をホームスタジアムとすることで落ち着きました。しかし、その後も国立競技場にホームスタジアムを移したいチーム側となんとしても阻止したいJリーグ側との攻防が続きます。そしてついに、その攻防は1998年シーズン終了後、ヴェルディ川崎の親会社である読売新聞が撤退。その後は日本テレビが引き取る形で決着を見ます。
それと同時並行して、旧JFLに所属していた東京ガスサッカー部がJ2の創設を含む、プロとアマチュアとを完全に切り分ける(当初はそうでした)Jリーグアクションプランを機に、Jクラブへの移行を表明。東京都をホームタウンとしたJクラブがここに誕生することになりました。
当初、23区内のいつくかの会場でホームゲームを開催していましたが、駒沢はともかく江戸川陸上や夢の島競技場という、今ではとてもJリーグを開催できないであろう会場での開催が多くありました。そんなホームスタジアムのない「ジプシー状態」を解消させたのは、2002年の日韓W杯でした。W杯に合わせて2001年に完成したものの、日韓共催となったために会場から外れてしまった東京スタジアム(味の素スタジアム)をホームスタジアムとすることで、東京都内でようやく「真っ当な」ホームスタジアムを手にすることが出来ました。
しかし、そんな東京スタジアムをもう1チームがホームスタジアムとして触手を伸ばしていました。それは、Jリーグ創設時から東京をホームタウンとすべく奔走していたヴェルディ川崎でした。読売新聞から日本テレビに親会社が変わったヴェルディは、FC東京がホームスタジアムを東京スタジアムに移す同じ年に、ホームタウンを川崎市から東京都に移転することを発表、Jリーグ側もそれを承認したことで長年の願望がようやく叶った形となりました。それを可能にしたのは何より、川崎市に本拠を構えるJクラブ、川崎フロンターレが誕生したからです。元々は富士通サッカー部として旧JFLで活動していましたが、先ほどのアクションプランを機にJクラブ化を図り、ヴェルディ川崎のホームスタジアムだった等々力競技場をホームスタジアムにすることになったからです。チームがあったのは武蔵中原の駅近くの川崎工場ということもあり、地元密着のチームが生まれたということで、練習場の一部が掛かるヴェルディよりも地元色も強く、仮に移転したとしても川崎市に迷惑をかけることもないということだったのでしょう。案外すんなりと決まったな、という印象でした。

というのが、今の東京にあるJクラブ誕生の大まかな流れです。こうして同一会場をホームスタジアムとする2チームが存在するという、やや歪な状態が生まれたのです。
この両チームは共にホームタウンを「東京都」としていますがホームスタジアムは共に調布市、練習場はFC東京が小平市、東京ヴェルディは稲城市とどちらも23区外。活動エリアも23区内の一部では行われていたとしても、その主なエリアはやはり23区外です。名義上は「東京都」をホームタウンとしてはいるものの、世間一般的に「東京都」と言われてイメージする東京都23区内をホームタウンとしているとは言い難いのが現状です。

Jリーグ発足から30年、東京にJクラブが誕生してから24年が経った2023年。東京と言えど依然として多摩地区にしかチームのない中、もしかすると早ければ今年にも、待望の23区内をホームタウンとしたJクラブが誕生するかもしれないのです。現在JFLで上位に位置しているクリアソン新宿です。以前にもお話しましたが、クリアソンがホームタウンとする新宿区にはJリーグの規定に沿ったホームスタジアムは存在しません。もしその状態で仮にJ3に参入したとすると、どこか別の会場を仮のホームスタジアムにするしかない上に、参入から5年以内に球技場タイプの新スタジアムの建設、もしくは着工、あるいは着工の見込み(もちろん公式な書面が必須)であることが条件となり、それが未達の場合はJリーグクラブの資格を剥奪されてしまいます。
現在、クリアソン新宿と新宿区とは包括提携関係を結び、互いに新宿区のさらなる発展を目指して共に活動しています。さらに地元の企業、特に伊勢丹新宿店などの新宿を拠点とする老舗企業と綿密な関係を築いています。そして、晴れてクリアソン新宿がJクラブとなった時に備え、新宿区は新スタジアムの建設予定地の策定などにはすでに取り掛かっていることでしょう。今年の成績を今後も維持できるかは分かりませんが、数年先には23区内のJクラブが誕生していることでしょう。

という前提を踏まえて、先日西が丘にクリアソン新宿vs東京武蔵野ユナイテッドの試合を見てきましたので、そのお話から…

9/9 JFL@味の素フィールド西が丘 クリアソン新宿 0-4 東京武蔵野ユナイテッド

今季は好調を維持しているクリアソンが「現状のホームスタジアム」西が丘に東京武蔵野ユナイテッドを迎えての1戦。今年は調子が今一つ上がらない武蔵野ですが、この日の武蔵野は打って変わって攻守ともにキレッキレでした。特にキレッキレだっだのは小口。前半32分のCK、ショートコーナーを受けた小林からのクロスをニアから頭で合わせて先制ゴールを決めると、41分にはやはり小林のFKをこれもニアで擦らしたような形でゴールを決めます。

ショートコーナーを受けた小林のクロス…
それをドンピシャでニアで合わせた小口。
ボールは綺麗な子を描いてゴールに吸い込まれる。
決められたクリアソンDFも呆然とする、見事なゴールでした。
2点目も小林から小口のホットライン。
ニアから狭いスペースを突いてのゴール。
これはキーパーも止められないですよね…

後半もその勢いは止まることなく、51分にこの日大活躍の小林から一宮、そして最後は石原のゴールで3点目。さらにその小林が4点目も決めて終わってみれば4-0の圧勝。クリアソンは「JFLにおける東京ダービー」で完敗。1400人以上集まった観客に勝利を見せることは出来ませんでした。

一宮からのパスを石原がワンタッチでシュート。
キーパーは反応できずにボールを見送るのみ。、
試合を決定づける3点目でした。
そしてベンチまで走った石原めがけて水を掛ける○○(伏字)
君たち、はしゃぎすぎです…(褒めてます笑)

試合の話をちょっとすると、去年の同じカードの時にも書きましたがこのチームは良くも悪くも「成山先生のチーム」であって、本当に強かった関西学院大学がインカレ優勝した時のように前線に呉屋(現柏レイソル)、後ろに井筒(徳島→クリアソン新宿で引退後はチームフロントとして活動)というスーパースターがいることが前提ということ。関東リーグで優勝、JFL昇格した時には後ろは井筒がDFを締め、前線には今も現役で活躍中の岡本が点を取り巻くっていたのですが、JFLに上がり井筒は引退、岡本も昨年は思ったほどの活躍もできずに残留するのがやっと。今年は成山監督の関学時代の教え子でもある米原がDFを締めているので守備は安定していますが、前線に関しては岡本は2列目に下がり、その代わりを今年入った佐野が務めていますがやはりまだ力不足の感はあります。何せ今期、1試合平均ほぼ1得点と慢性的な得点力不足です。ただ、守備に関してはこの日の4失点がほぼ稀で、多くても2失点までに抑えています。
もし仮にクリアソンが2位になったとしても、今年からはJ3との入替戦が待っています。その入替戦は2戦の成績のみで決着する形ではありますが、当然勝ち数が並べば得失点差の多い方が優位になりますし、それでも決着が付かなければ延長戦になり、最終的には「より多くの得点を挙げたチーム」が来シーズンJ3でプレーできることになるのです。たとえ1-0で勝ったもしても、0-2で負ければJ3には行けないのです。今のクリアソンの得点力不足は深刻な問題と言ってもいいでしょう。もちろん1位になれば自動昇格になるのですが、現状の順位では到底1位のHONDAには追いつかないでしょう。まあ、去年の成績を考えると今年すぐに昇格、と焦らなくてもいいのではないでしょうか。地道に実力を付けることが重要でしょうね。

DFの中心、ベテランの15番米原。
KG時代からの成山監督の教え子がDFを締めます。
セットプレーでは果敢に攻撃参加。
相手にとっては脅威となります。
米原と共にDFを支える39番鈴木。
流経大時代からの「うるさいプレー」は影を潜めてました(笑)
岡本も共に2列目でプレーする17番池谷。
積極的にボールを絡むも、やや空回り気味でした。、
1トップとして奮闘する33番佐野。
試合通じて積極的なプレーを見せたが、
武蔵野の堅い守備に阻まれて孤立するシーンも多かった。

と、試合は0-4と完敗でしたが、スタジアムの雰囲気は概ね良かったと思いますね。4点目を取られた時は流石にスタジアムが凍りつくような雰囲気にはなりましたが、流石にそのシチュエーションで明るく朗らかな雰囲気にはならないでしょうから当然と言えばそうでしょう。でも、試合終了後も選手たちへ温かい拍手が送られていましたので、ホームゲームとしては成功と言えるでしょう。
それもそのはずで、メインスタンドのホーム側には立見の人がいたくらいいっぱいだったのですが、そのスペースはクリアソンのスポンサー向けへの招待席になっていました。それぞれの名前には触れませんが、名だたる大企業の名前もチラチラ見受けられました。さすがは新宿区をホームタウンとするチームですね。おそらくこの日会場に来られた人の大多数は普段サッカーをあまり見ない、もしくは全く見ない方だと思います。そういう人たちをいかに巻き込むかが、チームの知名度と観客動員のアップに繋がります。知名度と観客数が上がればそれに伴いスポンサーも増えていきます。こうしてチームは成長していくのです。今のクリアソン新宿を見ていると、まさにその過程を着実に歩んでいるように思えます。
こんなことは新宿だからこそ、出来るのではないか?という指摘もあるでしょう。当然ながら全く同じことは他のところでは出来ないでしょうが、同じ流れに沿ってそのチームにあったやり方で地道に一つ一つクリアしていけば実現可能ではないでしょうか。
しかし、それよりも特筆すべきはフロント力。決して多いとは言えない人数にも関わらず、動き方の素早さに目を見張ります。先ほどからの繰り返しになりますが、特にホームタウンである新宿区とはまだ関東リーグ時代の2020年に包括提携協定を結び、新宿区を代表するスポーツ団体として活動しています。地元新宿の老舗でもある伊勢丹新宿店も早い段階からスポンサーとしてチームの活動に協力していて、クリアソン新宿がJFLの昇格が決まった時には百貨店の屋上からJFL昇格を祝う垂れ幕が掛かったくらいです。それを見てクリアソン新宿というチームの存在を知った人も多いかもしれません。JFLクラス、いやそれ以下のクラスでこれだけ先手先手を打って、あの手この手と動いていけるフロントというのは、これまでファジアーノ岡山くらいしかなかったのではないかと思います。それくらいフットワークが軽く、しかも適切な手を打っていると思います。あとは「現場が結果を残すのみ」と言えるでしょう。
また、去年今年と開催された新国立競技場でのホームゲームには1万人以上の観客があったのですが、その客層には外国の方も多数いたとのことでした。世界的にも有名な歓楽街でもなる歌舞伎町を有する新宿らしく、客層も多国籍ということなんでしょう。日本人とはまた違ったサッカーを楽しむ文化を持っている彼らにとっては、勝ち負けも大事でしょうがそれよりももっと大事なものがあるはずです。そうした価値観を許容するクリアソン新宿の存在が、日本に新たなサッカー文化を根付かせるのに一役買うことに期待したいものです。

では次に、クリアソン新宿よりも戦力補強能力は上回っているのに、関東リーグの中位以下に止まっているチームのお話です。

9/9 関東リーグ1部@東京国際大学坂戸キャンバス第2グラウンド 東京国際大学FC 0-0 南葛SC

朝1の羽田便で東京入り。そこから電車を4本乗り継いで、この日の最初の現場である東京国際大学坂戸キャンバス第二グラウンドに向かいます。東武東上線に乗ったのっていつ以来だろうか?などと思いながら、少なくもその数少ない一回は同じとこに行く時なんだよな、などと思いに耽ったり…(笑)

いつ以来ぶりか分からない東武東上線。

途中の坂戸でさらに東武越生線)に乗り換え。坂戸のホームでこんなのを悠長に撮ってたら、危うく乗り損ねそうでした(汗)

危うく乗り損ね案件になりそうだった元凶。
あいかわらず、何撮ってんだか…(笑)

乗ること6分。この日の現場の最寄駅、西大家駅に着きました。途中から雲行きが怪しかったのですが、駅に着くととうとう雨が…。「傘はあるけど晴雨兼用なのであまり差したくない、小雨だし今日の現場は確かスタンドに屋根があったはず」ということで、傘も差さずに東国大のグラウンドに到着。まあ、ここはいつ来ても規模感が違う、といっても2回目ですなんですが…(笑)

銀行の前とかによくある、デカい石の銘票(笑)
うん、あいかわらず規模感がおかしい…(笑)

この日のカード。実は8位vs9位という今期最大の「関1残留サバイバルマッチ」となってました。とはいえ9位の南葛SCが勝点15、東京国際大学FCか勝点17と、とても降格のかかるような成績ではないのです。なぜそうなったかというと、最下位の流経大ドラゴンズ龍ヶ崎が怒涛の勝点1という、もう何世紀も前から降格が決まってたんじゃないかと思うくらいの成績だからです。飛んだとばっちりですよね(笑)
ということて、この日負けたら2部降格が濃厚となる南葛SC。序盤こそは17番の佐々木の縦突破でチャンスを作りましたが、15分も過ぎるとそこからは東京国際大学FCの一方的な展開となります。

東国大FC13番在間のラストパスは…
ゴール前で惜しくも9番樋口には合わず。
その樋口が放った豪快なシュートは…
南葛DFデビットソンが視野に入ったか、
ゴール上へと大きく外してしまう。
11番金田のロングFK。
大きく弧を描きながら…
惜しくも枠の外…
決定力がなかったので、南葛としては助かった前半でした。

前半の小雨模様から天気が一転、日差しも指してきた後半は一層、東京国際大学FCが体力勝負とばかりにガンガン仕掛けていきます。対する南葛SCも早い時間帯から積極的に選手交代をしてフレッシュな選手を入れているつもりでも、基本的に能力は抜群だが年齢層の高い選手も多く、体力負けするシーンも多々ありました。それでもDFの要、デビットソンがフィジカルを活かして跳ね返しピンチを逃れる。ハーフコートサッカーの様相を呈した後半も共にゴールを決めることができず、終わってみればどちらにとっても嬉しくない0-0のスコアレスドローで終わりました。

後半も東国大の怒涛の攻撃。
樋口の放ったシュートは…
キーパーのわずか先を抜けて枠の外。
樋口と競る南葛SCのDFデイビッソン。
危険を察知して果敢に勝負する強靭なDF。
攻めに攻める東国大FCも歯が立ちません。
ようやくデイビッソンを外した!と思ったら…
放ったダイビングヘッドはこれまた枠の外へ…
後半ATに入った36番小西のサイド突破から…
低いクロスを上げるも…
中に走り込んだ樋口には合わず…
ことごとくゴールに嫌われた東国大FCでした。

正直なところ、南葛SCはよくドローで終われたよなという内容でした。それもこれも最終ラインでことごとく跳ね返していたデイビッソンのおかげでしょう。ただ、この戦い方で激戦の関東1部を勝ち抜けられるかというと非常に甘い認識でしょう。いくらビッグネームが名を連ねていたとしても、実際見てみるとチームとして機能していないし、機能してないなりにも他を圧倒するくらいずば抜けているかというと、そういうことでもない。非常に中途半端な戦力レベルです。幸い、最終戦に負けなければ残留できる可能性が高いですが「良かったね」でいいわけがないのです。フロントはあの手この手を打って、クラブの価値を高めようと努力していますし、Jリーグで活躍した代表クラスの選手獲得も可能にしている戦力補強にしても、個人スポンサーという形で工夫をしながら行なっているのです。その手法についての詳しい話は以下のリンクを参照してください。なかなか興味深い記事ですので一読の価値はありますので、ぜひご覧ください。

さらに、23区内のクラブ最大の懸念材料でもあるスタジアム問題についても、葛飾区や区議会議員などに掛け合って区内に新スタジアムを建設しようという動きが持ち上がっています。これに関しては他のどの23区内のクラブよりも先んじて動けていると思います。その努力たるものは素晴らしいです。
ただ戦力補強に関しては、自分で個人スポンサーを見つけられるくらいの選手だと、ある程度実績はあるけどピークを過ぎた選手がメインになってしまいますし、周りがその選手と実力差の激しい若い選手ばかりだとチームのレベルは一向に上がりません。どうしても若い選手の成長待ちになってしまいます。そのことは今年の3月4月に見たJFLの浦安や沖縄SVで証明されていますし、ここでもそれについては言及しました。南葛SCも同じ轍を踏んでいると言えるでしょう。チームの将来を考えると、今野や関口、大前などではなくDFの裏を何度も抜け出した17番の佐々木のような若い選手メインで構成すべきでしょう。ピークをとっくに過ぎた走れない選手ばかりのチームが勝てるような、そんな柔な強度のリーグではないということをしっかり認識して、来年以降の補強プランを見直すことが急務でしょう。
チームの性格上、リアルに「夢を売ること」を宿命づけれたチームであることは分かっていますが、それでも現実に即したチームプランに軌道修正する必要は大いにあるでしょうね。まずは来年、1部で中位から優勝争いに絡むくらいのレベルまで持っていけるようになってもらいたいです。

持ち前の攻撃力を封印して守備に追われる6番三原。
経験豊富なベテランだが、走力の衰えが見られました。
サイドから何本かいいクロスを上げた下平でしたが、
前半途中からはその動きも鳴りを潜めてしまいました。
後半途中出場でキャプテンマークを巻いた7番関口。
攻撃を期待されたはずですが、その期待には応えられず…
フレーム内に三原(6番)、関口(7番)、そして今野(15番)の姿が…
ビッグネーム以外で一番躍動していた17番の佐々木。
しかし、単独で行かざるを得ない場面も多く、
途中からは東国大DFに抑え込まれました。
デイビッソンとコンビを組んでいた5番梶塚。
数少ない非J経験者のスタメンとして奮闘していました。

23区をホームタウンに定めた最初のチームってたしかここでしたよね?

フロントの実効性としては決して悪くないのですが「ちょっと惜しい」南葛SC。そんな「ちょっと惜しい」を長年続けているチームが、同じ23区内にまだあります。「元祖」23区内からJリーグを標榜した東京23FCです。先日見に行った試合についてはすでにお話ししていますので、以下のリンクに目を通しておいてください。

23区内をホームタウンにしてJリーグを目指すと標榜した最初のチームが確かここだったように記憶しています。その当時はまだスタジアム規定もそんなに厳しくなかったこともあり、今もホームスタジアムとして使用している江戸川陸上競技場をメインにすれば、成績さえ伴えばそんなに時間もかからずにJリーグもあるんじゃないかな?と思っていました。出てきた当時はそれくらいの勢いがあったんです、近年の東京23FCしか知らない世代には想像もつかないでしょうが(笑)
特に勢いがあったのは2011年から2016年くらいまででしょうか。2011年はキング・オブ・トーキョーことアマラオを監督に据え、東京都1部リーグで優勝。さらにその年出場した全国社会人サッカー大会でも優勝、地域リーグ決勝大会への出場を決めました。その地域決勝でも予選リーグで2連勝しながら、最終戦に負けたために予選敗退、惜しくも決勝リーグ進出を逃しました。今から思うと、この年が一番成績が良かったんですよね…。その後、関東リーグでも1部で上位に入るようになり、2016年には再び地域リーグ決勝大会に出るも、またも予選敗退となりました。地域CLはこの2回だけしか出場していません。そして全社はというと、2011年以降は優勝はおろか、地域CLへの出場権を獲得できるベスト4にすら入らなくなってしまいました。
その後、他のライバルチームの後塵を拝するシーズンが続き、2019年には2部との入替戦で辛うじて残留(相手は東邦チタニウムでした)、さらにその翌年には最終戦でいろいろと物議を醸す事件を起こしたりと、坂道を転げ落ちるように状況が悪くなっています。今年も残留争いに巻き込まれていますが、前回入替戦回りになった原因を作った、JFLから降格した流経大ドラゴンズ龍ヶ崎が今年断トツの最下位で2部に降格するというのは、なにか因縁めいたものを感じますね。
そんな、成績に関してはやや残念な東京23FCですが、元々の理念やチーム運営は先見性があったんです。今では複数のチームで採用されている、チームがスポンサー企業に選手を紹介して、その企業で働きながらサッカーを続けていき、サッカー選手としても社会人としても一人前に育てるチーム方針を最初に打ち出したのは、確かこのチームだったと記憶しています。昔からサッカー選手の引退後の処遇について危惧していた私としては、このやり方が広く受け入れられたらもっとサッカーを続けられる選手が増えるのではないか?と思っていたところに、東京23FCがそのような方針を打ち出したので早くから注目していたのです。実際に東京23FCのそのやり方は正しくて、同じ東京をホームタウンとするクリアソン新宿や東京ユナイテッドなどでも採用されていることを考えると、実情に即したやり方と言えるのでしょう。
ただ、トップランナーを走っていたはずの東京23FCが今は完全に他のチームの後塵を拝している裏には、なかなかホームタウンとなる主たるエリアを限定できなかったことがあるのかもしれません。今では江戸川区を中心としたホームタウンエリアのビジョンを打ち出してますが、名前が示すように最初は「23区内全部」をホームタウンにしようとしてた節がありました。その後、北区を中心としたスペリオ城北や前述した葛飾区をメインに活動する南葛SC、新宿区のクリアソン新宿に文京区をホームとする東京ユナイテッドとあちこちでJリーグを目指すチームが出てきたことで、当初の23区全域が不可能になって江戸川区ということを表明したという後手感が見られるのです。
もっと言うと、元々使用していた江戸川区陸上競技場も、今はラグビーリーグアンのクボタスピアーズ船橋・東京ベイのホームスタジアムという方が印象が強く、さらに今年からはそのクボタスピアーズがネーミングライツを買って「スピアーズエドリクフィールド」という名称になっています。それだけならまだしも、肝心の成績もクボタスピアーズは昨シーズンはDivision1でリーグ順位は2位ながら、最終成績は優勝。江戸川区としては、成績も伸び悩む東京23FCよりもリーグアンで優勝したクボタスピアーズの方をメインに打ち出したいと考えるのも無理はないでしょう。なかなかもって、残念極まりないです。更に追い討ちをかけるように、隣の浦安市にはJリーグを標榜していないものの、JFLで活動するブリオベッカ浦安もいます。もはや完全に影の薄い存在になってしまいました。
とはいえ、このまま終わってしまってはもったいない。もう一度原点に帰って、チームの存在意義はなんだったのかを見直して復活してもらいたいものです。

最後に触れておかないといけない、あのチームのこと…

と、ここまで23区をホームとしてJリーグを目指すチームの話をしてきました。最後にやはり、あのチームについても触れておかないといけないでしょう。東京ユナイテッドです。

今年の初め、東京武蔵野ユナイテッドからの事実上の撤退表明をした東京ユナイテッド。ネットやいろんなところであれやこれやと言われてますが、それらについては特に触れません。触れたところでどうなるものでもありませんし、大多数の人たちはネガティブな話題にしか興味がないでしょうから、いちいち触れていても一切生産的な話にはならないから無駄だと思うので…。ということで、ここで触れるのは「なぜ東京ユナイテッドはこうなってしまったのか?」「東京ユナイテッドはなにをめざそうとしてるのか?」をちょっと考えてみて、今後の参考になればいいのかな?などと思っています。

そもそも東京ユナイテッドは文京区をホームタウンとして活動し、Jリーグ入りを目指していたわけです。しかし、これまでずっとお話ししているように23区内にJリーグの基準を満たすスタジアムは存在しません、新国立競技場を除いて。もっと言うと文京区でも東京ユナイテッドがホームゲームを開催しているのは、小石川運動場という周囲をビルに囲まれたような都心のど真ん中にある、サッカーをやるだけならなんとかなるようなグラウンドです。

都心のど真ん中に位置する小石川運動場。
向こうにはビルが…
こっちには歩行者用信号…
都心のほんの空いたスペースを活用したグラウンド。
スタンドは3段くらいの仮設のものでした…

真剣な話、文京でJをやろうと思うと冗談ではなく本気で東京ドームを使うしかないと言わざるを得ないのです。まず、そのことについてどこまで真剣に考えていたのかがそもそもの躓きの始まりでしょう。もっと言及すれば、同じような立地条件の新宿区でも以前にお話ししたように西側の落合や中井だと、それなりの土地は融通できそうですが、文京区内にそんな土地が用意できそうなところがあるのか?ということです。そこが、まずもって見通しの甘いところではないでしょうか。
では、なぜこのチームが文京区を拠点としたのか?そもそも、東京ユナイテッドの前身となるチームはLB-BRB TOKYOというチームで、慶應義塾大学サッカー部のOBチームとして活動していた慶應BRBがありましたが、練習場の確保が難しいということで、東京大学サッカー部のOBと「LB-BRB TOKYO」というチームを新たに結成することで、その東大OBの伝手を頼って東大のグラウンド(おそらく農学部グラウンド)を使わせてもらおうと企んだのがその理由、とされています。嘘か誠かは定かではありませんが、もしそれが真実ならば実に短絡的な話です。もし、本当に練習場のためというのであれば、練習場の一部が川崎市に掛かっていたから川崎をホームタウンにしたというヴェルディ川崎よりも酷い話です。
とはいえ、そこでJリーグを目指すと表明したのであれば、クリアソン新宿のように文京区内でなんとか出来ないかと画策するのが本来の筋ですが、東京ユナイテッドは何の縁もゆかりもない武蔵野市に進出して、資金的に苦しくてチームの存続すら怪しい状態であった東京武蔵野シティFCと業務提携を結び、Jリーグを目指そうとしたわけです。これまでの流れを見ている東京のサッカー関係者からすれば、非常に迷惑千万な話だったかと思います。武蔵野のフロントはそれでも当面のチーム存続への一縷の望みとして、その提携関係を受け入れたのです。
東京ユナイテッド側からすれば、何年か経った後にチームの拠点を武蔵野から文京区に移したいと考えていたかもしれません。でも武蔵野は新JFLの初期メンバー、オリジナルメンバーという超古株のチーム。JFLスタートからでも武蔵野市とは20年以上、それ以前の横河電機サッカー部からだともっと長い繋がりがあります。そんな横河電機やその流れを汲む東京武蔵野FCと武蔵野市との関係性がそう簡単に切れるわけがないのです。このチームのフロントの見通しの甘さがここでも露呈するのです。
さらに致命的だったのは、チームを合併した初年度。東京ユナイテッドから加入した選手の多くが、JFLのレベルになかなか追いつかず、チームの成績が一向に上がらながったことも大きなマイナスになりました。コロナ禍ということもあって、なかなかチーム練習ができなかった時期でもありましたが、それでもチームの状態が上向いてきたのは現場に横河武蔵野の元スタッフが入ってきてからでした。東京ユナイテッドの選手やスタッフ主体では、JFLを戦うには敷居が高かったようです。このあたりも見通しの甘さが見られます。

「失敗は成功の母」とはまさにこのこと

ここまで、東京ユナイテッドの過去を振り返ってみましたが、全体的に見られるのはフロントの見通しの甘さです。企画力はそれなりにはあるのですが、いざやってみると見通しの甘さからどれも失敗してしまうという、実に残念な結果に終わっているのです。そんな東京ユナイテッドですが、実はその失敗はサッカーではなくバスケットボールで活かされていると思うのです。
東京ユナイテッドが運営するB3所属のバスケットボールチーム、東京ユナイテッドは文京区、ではなく江東区を中心とした23区内の湾岸地域をホームタウンとして活動しています。なぜサッカーがホームタウンとする文京区ではなく、湾岸地域である江東区をホームタウンとしたのでしょうか。それには、サッカーでも見せた「活動拠点の選定眼」が関係していると思われます。
BリーグにもJリーグ同様、クラブライセンス制度があり、その中にはホームアリーナ規程というものがあります。B3なら収容人員2000人以上の体育館でOKですがB2、B1と上がるにつれてその要件が3000人、5000人と増えていき、さらに2024-25シーズンより新設の場合は最低でも5000人以上、8000人以上が望ましいとなり、既存のものでも将来的には10000人以上のアリーナが望ましいと変更されるようです。さらに、Jリーグと同じようにスイートなどの貴賓室やその他の施設も完備するようにと定められています。
当初は文京区でと考えていたのでしょうが、おそらくそれに見合う体育館が区内になかったのでしょう。そこで、そのような規模の施設のある湾岸地域をホームタウンにすることになったのでしょう。江東区には、東京オリンピックのバレーボールが行われた有明アリーナがあり、東京ユナイテッドはその有明アリーナをホームアリーナにしています。ここなら収容人員も15000人で、さらに貴賓室とかの施設もほぼ問題ないので、多くのBリーグクラブが頭の抱えているアリーナ問題も軽くクリアしています。今は有明のサブアリーナでの開催がほとんどですが、シーズン初年度である昨年の10月9日にメインの有明アリーナで行われたホーム開幕戦にといて、Bリーグ最多入場者数記録となる9295人を記録。バスケットボールチームとしての知名度を一気に高めることとなりました。「クラブにとって今、一番適切な場所」を選定するというスタンスは変えず、前回(サッカー)の失敗を糧に今回(バスケットボール)では成功に導いたと言えるでしょう。
さらに、チーム経営という点でもやはりサッカーで失敗したことを参考、修正してバスケットボールに活かしたケースも多いのではないでしょうか。また、ほぼ全てをプロ契約にしないといけないとはいえ、チームが保有する選手の数もサッカーの半分以下、もしかしたら1/3以下ですむので人件費もそんなに掛かりませんし、全国リーグでもない関東リーグ所属で、さらに興行を行うにはあまりにも施設が乏しすぎる小石川運動場では有料開催も行えません。しかし、Bリーグならアリーナ席だと最高8000円という高額チケットでの興行が打てます。収入面でもサッカーとは雲泥の差になります。
それらのことを考えると、サッカーで上手くいかなかったことをバスケットボールで修正して、そして成功に導いている東京ユナイテッドは、この中ではクリアソン同様、勝ち組と言えるのではないでしょうか。サッカーについては当面はこのまま現状維持したままで、もし仮にJFL昇格となればまた何か動き出すかもしれませんね。その時、どう動くのかが楽しみですネ。

最後に…

実はこの記事を執筆中にいろいろな動きがありました。最後にそれらについて少し触れておきたいと思います。
まずはクリアソン新宿のJ3ライセンス交付です。当初から特例で交付されるのではないかとお伝えしていましたが、その通りになりましたね。非常に大きな一歩と言えるでしょう。また、サッカーサポーター界隈ではクラブ主導の応援形態など、いろいろと物議を醸していますが、応援形態に関してはNPBにおけるいわゆる「許可証制度」と同じようなものと考えればいいわけですし、そのNPBは応援団の許可制を導入してから全体の観客動員が増えたのです。ヤジや罵声、乱暴で荒くれ者のイメージの強かった昔の応援団から、今の許可制に切り替えることで、ライト層のお客を多く球場に呼びこむだけの効果があったのだと思います。野球場が怖くて危険な場所から、家族でも楽しめるエンターテイメントな場所に変えたと言えるでしょう。
今、家族層などのライトな観客のJリーグ離れが問題視されています。その背景には毎年のように繰り返されるサポーターによる暴力行為や威嚇行為、迷惑行為に嫌気を刺した人がどんどん離れていると考えられます(コア層でもその傾向が高まっていると思います)。そしてそれは、新たなライト層の獲得を阻む要因と言えるでしょう。そのライト層をうまく取り込んだのが東京ユナイテッドが成功したBリーグではないでしょうか。そういう意味では、クリアソンは数%のコア層ではなく90%超のライト層を取り込むことを視野に入れて、このような方針を打ち出したのでしょう。まあ尤も、まだサポーターらしい人たちがほとんどいないので、こういう方針を打ち出しやすかったのもあるでしょうが、それでも大胆な企画を打ち出す企画力と現在の問題点を解決する手を打つフロント力には頭が下がります。
問題のホームスタジアムのことですが、おそらくは西が丘がメインになるでしょうが何試合かは新国立競技場で行われるでしょう。通常なら付与されるスタジアムの例外条項はクリアソン新宿に関しては付与されないでしょう。あまりにも現実的ではないからです。また、J3の国立ホーム開催についても、Jリーグがあらかじめ押さえた日程を各Jチームにホームゲームとして開催してもらうのではなく、チーム独自で国立競技場を押さえて開催するだけのマネジメント能力を持ち得ていることをすでに証明しているので、その点でも問題ないでしょう。今回のライセンス交付に関しては「特例」と言われていますが、クラブの総合力を見ても決して特例とは言えないと思います、スタジアム要件を除いては。とうとう本当に「ピッチが結果を残すのみ」となりましたね。

そしてもう一つ。関東リーグ最終節の結果、東京23FCが2部降格となりました。
後期第7節、東京国際大学FCと引き分けた南葛SCが勝点16で9位、東京23FCはその時点では勝点21と5差ありました。しかし後期第8節で南葛SCが東邦チタニウムに勝利、栃木シティと打ち合いの末負けた東京23FCとの勝点差は2、引き分けた東京国際大学FCとは勝点で並びました。最終節の相手がダントツ最下位の流経大ドラゴンズ龍ヶ崎の南葛SCより、東京国際大学FCvs東京23FCの敗者が降格という流れが濃厚となりました。
そんな状況で迎えた最終節。南葛SCは2000人近く集まったホームゲームで3-0と圧勝。同時開催の東京国際大学FCホームの東京23FCとの試合は前半リードした東京23FCに対し、後半は東京国際大学FCのエース樋口のハットトリックで逆転。大逆転で東京国際大学FCが1部残留を決め、逆転負けした東京23FCの2部降格が決まりました。
今年、関西では地域CLの常連だったおこしやす京都ACが同じくDivision2に降格。共に新しいスタイルのサッカークラブの先駆者として活動した両チームの2部降格は、一つのサッカークラブのスタイルの衰退とクリアソン新宿や南葛SCのような新たなクラブスタイルの創生を意味しているのかもしれません。時代の変化に対応できないクラブはやがて衰退していくということなのでしょう。急に気候が秋めいてきた今、そんなことをふと感じてしまいました。

追伸
東京23の降格が決まった今、宮田くんとか神田くんとか原科くんとか東くんとか…、来年どうするんだろうか…

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