馬鹿という呪縛と副産物
幼少より優秀な兄が居たせいかかなりの頻度で比較されその度に馬鹿扱いを受けてきた。
兄弟のいる方ならあるあるだと感じる程には歳を重ねてきたが今でもその呪縛から抜け出せずにいる。
ただ自身に全く非がないかというと馬鹿扱いに甘んじていた節もあり馬鹿なので勉強をしても意味がない教養も知性も私には縁遠いモノと楽を選んだのではないか、そんなことも頭をもたげる
ただあの時確実に存在した劣等感を抱かせる言葉の暴力を吐いていた自称大人の面々はそんな事も露知らず今も人生を営んでいるのだろう、
大人になるにつれ馬鹿は馬鹿なりに頑張ろうと決心し様々な分野に手を付け本を読み話を聞きコミュニケーション能力を鍛えようやく人並みな仕事と生活を手にしてふと頭にわいてくる・・・「馬鹿だから」と・・・折に触れ思う事が度々ある。自身を卑下したりヒロイズムの類ではなく単純に「私は馬鹿だから」と・・・
何故だろうと考えた結果自身の生き方がそもそも馬鹿は馬鹿なりにという後ろ向きな出発だからではないかと、様々なことを学ぶことも経験することもできたが色々な事が上手くいけばいくほどマイナス面を隠しながら誰かに馬鹿と悟られないように生きなければと怯える事になる
結局ネガティブな心の在りようは代償として常に自分は馬鹿であるという影がそっと嘲笑を漏らし続ける事になる
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