ヲタクと老いと親世代の老いについて
そもそもとしてこのnoteはヲタクの観点から老いや健康を考える為に始めた筈なんですが、最近は主軸が外れてきてしまっているのを自覚している。私はユーツーバーはヒカキンさんくらいしか知らないので動画界隈には全く詳しくないのだが、ファンがよく言う「前の方が良かった」というのはきっとこういう感じで徐々にそれていってしまうから起きる現象なのだろう。しかし私が未だに焦がれて止まないどうしようもないクソ男オブザ加持リョウジはこう述べている。「生きるってことは変わるってことだ」実に清々しい正論である。幼少の砌より嗜んだ山ちゃんの激渋ボイスで言われたら、きっと私は壺でも絵画でも水素水でも何でも買ってしまうだろう。私は妹に唆されて年間六千円会費のおディーン様のファンクラブに加入しようか真剣に迷った位にはスノッブな女である。
話がだいぶ逸れたので本題に戻そう。さて、最近割とビックリしたことがあった。端的に言えば、割と見知った身内が知らぬ内に離婚していたというごくありふれた話である。しかして大して衝撃は無い。何故なら私も同じく戸籍を汚してしまった同士だからである。個人的プライバシーに関わるので離婚の理由や内容についてはここでは申し上げられないのだが、もう他人なのだから身内の配偶者のウゲゲッなエピソード位は披露しても良いだろうか。いや、させて貰う。
今はもう全くやってないというかそもそもidやパスワードすら忘れたFBで、身内周辺らと繋がったことがあった。きっかけは祖母の葬式や何やらで数年ぶりに再会しテンションが高まってしまったからである。今から思えば冠婚葬祭による非日常が齎すハイトリップ謂わゆる躁状態だったのである。ド田舎あるあるですが、人が亡くなったというのに法事の時だけやたら元気なおばさんっておるやん?この呪われた土地に骨を埋めるしかない私も、いずれはアレに成り果てる運命だと思うと悲劇としか言いようがない。
そういう訳でFBで繋がってしまったのだが、私はヲタクの迫害を受けてきた世代の†背徳の十字架†を背負ったヲタクなので、パンピに対して見せる配慮にはかなり自信があった。なのでFBにはせいぜい出かけた際の食べたもの位しかアップはしなかった。ところがどっこい、私の親戚は何故かそろいも揃って上京し、ナウでヤングな文化と生活に水が合ってしまい古き因習の支配する地元になど全く見向きもしない陽キャの浮かれピーポォなのである。当然FBに上がる情報はどこそこのカフェ〜に行っただの綺麗な夜景を見ただの、コンビニや街灯すらほとんど無い環境の人間からすれば、丸でヴェルサイユ宮殿の貴族の如く華やかなりしものである。これには都落ちして第三身分に落ちぶれた哀しきプロレターリアも、渇いたチベスナ顔をするしかない。いかに文明が優れた世界を見せつけられても、それは良い。だが、投稿数がけたたましいのだ。まるでブログ時代のしょこたんである。何か重要な知らせがあるかも知れないからとオンにしたた為に鳴り止まない通知。見知らぬ天井ーーー。
正直私は他人にそんなに関心が無い。下品な話だが、何を食っても飲んでも所詮は同じ穴から同じ物が出る。どこそこのオシャンな美容院で髪を切って貰っている最中の写真を見て確信した。そうか、彼ら彼女らと私とはもはや人種が違う。確かに血の繋がった筈の身内なのに、圧倒的に違う自己肯定感。私には到底理解が出来なかった。私はそっと通知をオフにし、ゆくゆくはアプリも消した。もし本当に大事なことがあれば親や他の親戚経由で入ってくるだろう。そもそも数年に一回会うか会わないかの身内なんて、もはやこち亀の中川のお父さんではないか。そうしてFBからすっぱり足を洗い、アメリカの方角を剥きながらザッカーバーグに中指を立てた私だったが、当時はツイ廃だったので決して身内に劣らぬSNS中毒だった訳なので、まさに五十歩百歩とはこのことである。
そういった流れの中で身内の配偶者も身内に負けず劣らずのパーリィピーポォだった訳で、その投稿をうっかりみてしまいことがあった。その中で激烈に覚えているのは、都内の電車内で酔っ払ったか何かをしてすごい格好で寝ている人を写真に撮り、FBにアップしていたことである。そもそもとして赤の他人を勝手に撮るのは盗撮だし、あまつさえそれをネットに晒して仲間内でネタにするなど悪趣味が過ぎる。個人の人間性というのは、ほんの僅かな一瞬にこそ表れる。私は意外と倫理観のしっかりとしたヲタクなので、この一見で身内の配偶者が一切生理的に無理になってしまった。というか、歳上なのにヤバくない⁈ネットリテラシーとかないのかな⁈かな⁈と、ドン引きしたのだ。先に述べたザッカーバーグ氏と縁を切ったのも、この一件があったのがかなりの要因の割合を占めていたわけである。ほんまに引くわ、マジで...人として...な!?
そんな訳でその身内と配偶者は私とは丸で違う世界で暮らしているので、冠婚葬祭以外は会わないし情報は入ってこないので今はどうしているのやら...といった具合で最後に会ってから10年以上経ち、いきなり聞かされた訳である。
私は件の一件以外にも色々と親経由で聞かされていたので、別れるべくして別れたのでさもありなんという感じだった。そうは言っても多少はビックリはする。3組に1組は離婚する時代と言われてもピンと来なかったが、やはり統計というのは学術的に正しかったのだ。
そんな訳で身内の離婚にすっかりしょげてしまった身内の親、つまり私の伯母に充たる人なんだが「同居や介護の見込みがもう無いから」と、自らの老後に向けて今せっせと断捨離しているらしい。奇遇ですね、私も老いを見つめています!とは流石に言えず。私は空気は読めないが、きちんと機は読めるヲタクなのだ。元々誰もが知ってるような大企業で初めて女性で重役についたような有能な女性、謂わゆるバリキャリなので生来持ち合わせたパゥワ〜が凄いのだろう。我が子の一大事を断捨離で気分転換しようという、ネガティブな方向に行かずポジティブな方向に向かって良かった良かった。めでたしめでたし。
しかし待てよ...ということはほとんど唯一地元に残った私がこの伯母の面倒も見て行くのではないか?ホーリーシット。私は天を仰いだ。主よ、何故目の前に山しかないこの土地で生きるしかない哀れな私に試練ばかりお与えになるのですか?たまにはPayPay当たり二等賞くらいのラッキーは呉れてもよかろうものではないのか???
そういう訳で、私の将来の負担は更に増えた訳である。それもこれも地元に何も無いのが悪いのである。私は怒りの矛先を駅前の寂れたシャッター街とどこまでも続く畑や田んぼに向けることにした。これならば誰も傷つくことはあるまい。斯くして私の灰色の未来は、またまたほんの少しばかり墨を混ぜて濃いグレーになった訳である。正直泣きたい。泣いて、良いですか?ぴえん🥺
まあ色々愚痴ってしまったが、都会ん人(とかいんちゅ)には都会ん人なりの悩みがあり、悩みは消えないものであり、苦しみ続ける中でなんとか最大公約数という妥協点を見出すのが人生なのだ。そう思うしか、今は心の安寧が保てないのである。
何故こんな口調になってしまったからと言うと、U-NEXTで大好きなアニメ四畳半神話体系を見返してしまい、主人公である私のいかにも厭世的な文学青年的な口調が移ってしまったからで或る。私は影響されやすく流されて易い。そして、又非常に飽き易い。しかして、生きると云う事は変わると言う事で或る。私が令和六年になっても加持リョウジの呪縛から解けないままで居るように、キャベツの芯のやうに決して変わらぬ毟っても毟っても取れないアイデンティティこそが、その人本来の本質なのだらう。あゝ!無情!!!
ヘッダーお借りしました。そういや加持リョウジも農業を愛し、シンエヴァでは田植えシーンもありましたね。いい加減にエヴァの呪縛から解き放たれたい。ついでに因習が支配する土地からも逃げたい。頼むよいやマジで...な⁉️
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