私は誰かの人生のSubtitleくらいでいたい

Official髭男dismのSubtitleを聴いた。
一時停止するほど引き付けられた歌詞がある。

「救いたい救われたい」
「正しさよりも優しさが欲しい」

ちょうどこの曲が解禁される数時間前。
過去を思い出す出来事があった。
知らず知らずのうちに蓋をしていたから、
もう何が辛かったのか、苦しかったのかも
詳しいことは全然思い出せないのに、
思い出さないようにブレーキがかかるのに、
涙だけは出てしまうような、そんな記憶。

その頃の私は、何も上手くいかなかった。
家庭の悩み。それだけで片付けられるほど
大人じゃなかったし、それを押し殺して
学校で笑えるほど強くもなかった。
一言で言えば「不安定」。
家庭の悩みに他の悩みが連鎖して、
ようやく友達に相談できたとき、
「振り回されてしんどい」
「重すぎて一緒に背負えない」と言われた。
何も間違ってなかった。
私が不安定で振り回してしまった。
不安定になるほど1人で背負い込んだくせに
結局重すぎる悩みを我慢しきれず突然に
投げてしまったから。

今はすっかりタフになって、
記憶の蓋が開いても泣かずにいた私が、
Subtitleが解禁されて再生し、この歌詞に
たどり着いた途端、堰を切ったように
涙が溢れた。
あの頃の私は、誰かに一緒に悩みを
背負って欲しかったわけじゃない。
ただ優しさが欲しかっただけだったんだ、と
気が付いたから。

今の私は、当時の自分のように
誰にも言えず何かを抱えている人に、
ただ優しさを渡す存在になりたいと思う。
そして私が救われたエンタメとの、笑顔との
架け橋になりたいと思う。
それは、誰かのためになりたいなんて
格好良いものじゃない。
当時の自分のためだ。
誰かを救いたい。
同時に当時の自分を救ってあげたい。
苦しんだ分だけ、あの頃のおかげで
今があると笑える自分でいたい。
過去の自分に誇れる自分でいたい。
救いたいと同時に救われたい。
Official髭男dismに全部バレている気がした。

誰かの人生のタイトルになるような
そんな大層な役割じゃなくていい。
人生を振り返ったとき、ああそういえば
あの時あんな奴がいたな。
あいつのおかげでちょっとだけ笑えたな。
そう思って貰えたらそれでいい。

私は誰かの人生のSubtitleくらいでいたい。

そんなことを考えながら1人でちょっと泣いた。明日朝起きてくせえこと言ってんなって恥ずかしくなりそうだけど、それもそれでいいや。明日の私「ごめんね、笑ってやって」。



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