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母の日と母の事こと

私の母はお嬢様だ。

別にお金持ちというわけではないが、小学校から私立の学校に通いクラシックバレエをずっとやっていた。

私は母とは合わないとずっと思っていた。
反抗期の頃はめっちゃ反抗したし、宗教にハマってるし、スピリチュアルな事ばかり言うので何言ってるか良くわからなかった。

だけど、私は母の影響でクラシックバレエを始めた。
父と母が習わせてくれたピアノ教室は18年も通った。

両親共に、私がやりたい事には反対した事は一度もない。

ずっと母が好きじゃなくてあんな人になりたくないと思っていた。
良く怒り、ヒステリックになるからだ。

でも、段々と年を取ると私も似たようなところがある事に気付いてくる。
昔に母が話していた事をのちのち私は別の視点から知る事になる。
それはビジネス書で言っている事だったり、心理学で研究されているものだった。

母が話す事の入り口がスピリチュアルだったので当時は全く意味がわからなかった。

「自分がなりたいと思ってなくても、本当は自分がそう思ってるんだって」

離婚する時に母から言われた言葉だ。
マジで意味がわからなかった。こんな結末を望んでるわけがない、と心の底からそう思っていた。

でも、今になって私は交流分析の本を読んでいる。
交流分析とは自分で決めた脚本を自分が歩んでいるというものだ。
気になったら読んでみてほしい。
「あなたが演じるゲームと脚本」 杉田峰康 (楽天に飛びます)
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この本にも同じような事が書いてある。

結局親子、似てくるもんだ。

今ではバレエをやっていた母の影響でバレエを始めた事を嬉しく思っているし、母は母なりに私の事を思って色々やってくれている。
そして何より、母が全然ヒステリックじゃなくなったのだ。

ある時から、何故か雰囲気がガラっと変わった。

今世紀最大の驚きだったが、今の母の方がイキイキしてて楽しそうだ。

宗教も私は全く興味がなく「私には音楽があるから(音楽に救われてるから)」と言っていたが、ある時ふと思った。

母にとっての宗教とは、音楽が好きで音楽に救われる感覚や憧れの人を見て”あぁいう風になりたい”と思う気持ちと何が違うのだろう・・と

日本では”宗教=怪しい”という法則が成り立っているが、キリスト教の影響を大いに受けているし、音楽を聞いたり絵を見たり、誰かの綴った言葉に救われる事と大して変わらないと思っている。
音楽や絵が芸術、もっというと世界には宗教の影響を受けているものが多い。

親の趣味なんだと思う事で私も少し救われた部分がある。
小さい頃から周りに隠さなきゃいけない事だったからだ。

どんな形だったにせよ、母が変わった事には間違いない。

今思い返すと、あの時もあの時も私の事を思ってくれていたのだなぁと嬉しい気持ちにもなる。

決して良好ではなかった母との関係も、”別に普通”になってきた。
どのぐらい良好じゃなかったかというと、高校3年の時に限界を感じて私は祖母の家に引っ越すぐらい良好じゃなかった。

今は”普通”。
仲良しで一緒に旅行に行く、買い物に行くという関係ではないが、これはこれで心地良い距離感だ。

直接言えないのでnoteに綴ったが、いつか照れ臭いけど”ありがとう”と言える日が来るといいな。




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