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海老フライロックンロール

電気を消した暗い部屋。デスクライトだけがぼんやり光っている。
モニターだけが煌々と光っている。

今日も一人ポチポチパソコンをいじっている。
控えめに言って楽しすぎる。


自分のやりたいことをもくもくと一人でやる楽しさに気づいてしまった。

大学1-2年生の時は楽しさの基準が「周りとあそぶこと」「周りと同じ趣味をもつこと」だった。
コロナ渦でオンライン生活が続く中友達が少しずつできて、ありふれた楽しみに憧れ、それに少しずつ染まっていったあのころ。

それはそれで楽しかった。
サークルに入っていろんなところに行ったし、いろんな体験をさせてもらった。人間関係もいろいろあって、それで勉強させてもらうこともたくさんあった。

ただ、人と関わるときには絶対に相手が存在する。
俺は無意識に気を回してしまうし、心配性な性格もあるので、
「今俺はこういう風に言ったんだけどこれでどういう風に思わせたかな」
「あの時のこれはこうだったかな」
「なんかあの時の飲み会誘われなかったけどなんか意味あったのかな」
など、人と関わるとこの手の勘ぐりをいつまでも繰り返してしまう。

正直言ってもうあきた。

だれだれがどうだとか、あいつがおもろいおもんないだとか、視野が狭い人間から下されるくだらないジャッジとかにいつまでも振り回されたくない。


こないだ友達から飲み会の誘いがあった。仲良い同期との飲み会だったので、正直とてもうれしかった。
しかし、とある奴が飲み会用のLINEグループを抜け、また別の奴が「今忙しいからリスケしてm(__)m」などとほざいてきて、誰がどこまで乗り気だったのかわからんが、結局中止になった。

「またこんなんか」となんかため息をついた一方で、「金浮いたし外でなくていいのめっちゃいいな」とか思っちゃう自分がいた。

全然人付き合いが嫌とかではない。ただ、意味のないことが嫌なのだ。

月に2-3回開かれる同じ友達との飲み会を渋ってしまう。
そこそこ仲良くなった友達から「あ、じゃあこの日は?」「この日なんか遊ばない?」みたいにポンポンスケジュール抑えられるのが苦手。

俺は人付き合いを投資としてみているところがある。
最終的にたくさんの友達と長く仲良くできたらゴール。

ある程度合わないと思うことがあっても、しばらくは(それこそ投資のように)我慢し、大きなリターンが返ってくるのを辛抱強く待つ。
これはリターンないなと思った瞬間は手放す。
これを続けて最近ようやっと安定した穏やかな人間関係が築けるようになった。

これからも長く付き合える友達はたくさんほしいし、そのために必要なこと、そして個人として楽しいことはやりたい。
でも、「じゃあこの時なんで遊びに行ったの?」と聞かれて「うーん」とつまってしまうような時には遊びに行きたくないのだ。


こうして「意味のないこと」を少しずつそぎ落とした結果今の生活がある。
もともと一人が得意なんだと思う。一人でいるととっても居心地が良い。誰に気を遣うでもなく、ただやりたいことをやっていればよいから。(さすがに家族には気を遣うので家の手伝いはするけど)

どこにも出かけず引きこもってギターでも弾いて。最近ではDTMで曲を作ることを覚えて。部屋の中で鳴らす音。最高にロックじゃんか。

こうして俺はぼっちになっていくのか。

しかしこう見えて寂しがりなので、ぼっちは嫌だ。

…やっぱ連絡ほしい。


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