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Ep2 リチャードの福音

通園バスで走り去ったムスメを、リチャードと眺めていた。ムスメの名前はなんていうんだ?ジュリだよ、と答える。ジュリアスシーザーのローマ暦か。いい名前だな。一息ついて、リチャードは続けた。

私にもムスメがいるんだ。三人いる子供のうちの長女の話をしてもいいか?
Ph.D(学術博士号)を3つも持っているんだ。獣医学、鳥インフルエンザ、そして、タスマニアデビルの癌研究らしい。さすが教師の娘だけあってアカデミックだ。それにしても、タスマニアデビルの病気の研究とはファニーだねぇなどと話していると、リチャードは、長女は実は養子なんだ、と切り出してきた。彼はエピソードを続けた。

ある日家に帰ったら、知らない女の子が妻とソファに座っていたんだ。7歳ぐらいの女の子だ。状況を飲み込めないでいると、妻が言ったんだ。「この子は今日からうちの娘よ」って。予告も相談もなくだ。驚いたさ。驚いたことは確かさ。でも、妻の決めたことを非難したことはこの人生一度たりともない。だからこの時も、君がそう決めたんだったらそうしよう、と言ったんだ。妻が決めることはいつも家族のことを思ってのことだから、迷う必要なんて何もないんだ。

その女の子は、両親が癌になってしまい、娘の将来を心配したその二人がリチャードの奥さんに子供を託したらしい。奥さんは一人目の子供を流産で亡くした経験があった。だから、女の子を迎えることは自然の成り行きだったそうだ。

少し遠い目でリチャードは続けた。娘はいいよな。いつまでも家に帰って来てくれる。男だったらそうはいかない。家を出たらそれっきりだ。電話なんかもめったにかけてこない。これからも楽しい日がずっと続くな。ただ、金はせがんでくるぞ。パパ~って甘えながらな。男の場合は逆にママから金をもらって、それを別の女に貢ぐんだ。はは、ケン、貯金しとけよ。

リチャードはさらに続けた。娘はとっくに結婚したんだが、結婚式の時、ほら、花嫁と父親はみんなよりもちょっと遅れて会場に入るだろう?そこで娘と出番を待っていたら、彼女は私にこう言ってくれたんだ。「パパ・・・7歳の時、私はとっても不安だったんだよ。でも、あの日パパが部屋に入って来て、私はパパを見た瞬間に、怖いという感情がスッと消えたのよ。いままで育ててくれてありがとう」と。

おっと、そろそろ時間だな。じゃあ授業に行ってくるよ。ソファから立ち上がり、リチャードは行ってしまった。ものの15分ほどの会話だったのに、リチャードの人生の大きなチャプターを垣間見せてもらった。朝から幸福な気持ちに包まれたよ、リチャード。

画:久保雅子 www.masakokubo.com/


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