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先生 ~「カギロイの午後」より~

最近
めっきり減ってしまった
先生と呼ばれる人たち

と言ってもこれは
肩書きの話ではない。


知識を与えてくれる先生  教師

病を癒やしてくれる先生  医師

心を育ててくれる先生   自然

一体何の先生なのか
さっぱり分からない先生  政治家


こういう類いの先生なら
今でもたくさんいるだろう

そう、良くも悪くも。


元来、
先生と呼ばれる人たちは
総じて物知りだ


しかし

どの先生に尋ねても
わからないことが
ひとつだけある。


そして

その答えを
知っている先生が
ひとりだけいる。


それが...「私の先生」



先生は
無口で 気難しくて
その答えを知っているのに
簡単には教えてくれない


それでも私は
先生と過ごす時間が 好きだ



この不思議な部屋で
時間は、行きもせず戻りもせず

ただ立ち止まる


カギロイの午後……


認識の波打ち際で 満潮に達した言葉
その色々の温度が 私の足下に打ち寄せてくる



そうして

待ちかねたように
静物たちは語りはじめるのだ

牢獄に繋がれた言葉たちが
次々に解放されてゆく


朧な光となった私は、漸くそれを目撃した


 
空気のように分厚い 
「存在」と「不在」の二重扉


その向こう側で
先生、あなたは一体



どこへ行ってしまったのですか?

何を待っているのですか?



すべての現象に付随する
この不可解なるもの


もうここに、
確かなものなど 何もなくて……


それでいい。




この詩は私のnote友達、【lily】さんへのオマージュです。

彼女は先日、【藤原佑月】さん名義で、電子書籍『リストランテ・マリオネッタ』と紙書籍『カフェ・マリオネッタ』を発売されました。素晴らしい作品ですので、もう読まれた方も多いのではないかと思います。私は、電子書籍なるものに疎いので(時代遅れでお恥ずかしい)、紙書籍『カフェ・マリオネッタ』のほうを一冊頂きたいと申しましたところ、後日lilyさんは、匿名郵便で配送してくれました。

私は早速読ませていただきました。この『カフェ・マリオネッタ』は、短編集でありながら、すべての作品を通して何か統一された空気感が漂っている、そんな印象を受けました。そして、個々の作品はどれも突拍子もないような設定では決してなく、あくまで日常的な場面からスタートしているにも関わらず、気がついたら自分が不思議な世界に迷い込んでしまったかのような感覚を覚える、そんな「仕掛け」が随所に散りばめられているのです。私たちが現実と思っていることが果たして本当に「現実」なのだろうか。日常のすぐ隣に、薄い扉ひとつ隔てて「非現実」が確かに存在する。私たちは実は、この「現実」と「非現実」を無意識に行ったり来たりしているのではないか。lilyさんの物語には、そんな思いを起こさせる「魔法」がかけられているような気がいたします。

私が『カフェ・マリオネッタ』の中で、最も印象に残っており、一番好きな作品は「カギロイの午後」というお話です。まだ読まれていない方もいらっしゃると思いますので、あえてここで詳しい内容を書くことはいたしませんが、私はこの物語に流れる何とも言えない厳かで張り詰めたような空気感が大好きです。と言ってもそれは決して押さえつけるような緊張感ではなく、心地良い思索の旅へと私を誘ってくれる「大きなもの」を感じられる、そんな世界観なのです。lilyさんが表現されようとしている世界を、私が正確に受け取ることができたかどうか、全く自信はありませんが、この作品から感じたものを私なりの解釈で言葉にしてみました。


lilyさん、
せっかく素晴らしい作品を届けていただいたのに、ろくに御礼もせず、感想もお伝えせず、無沙汰をしてしまい、本当に申し訳ございません。そういえば、書籍のお代金と配送費用もお支払いしておりませんでしたね。noteの「サポート」機能でお支払いさせていただきますね。何ともだめだめな大人でお恥ずかしい限りですが、これに懲りずにこれからもお付き合いいただければ嬉しいです。

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