涼やかな風
朝、遅刻しそうになった。
顧客先での定例会議に行かねばならない。
やはり週休3日だ4日だなどとやってると、リズムが狂う。
ギリギリの時間に起きてしまった。
朝の通勤時間帯では滅多に乗らない路線に乗り、乗り換え駅で乗り換える。
通路の頭上の出発案内を見た。あと一分で特急が出る。
これに乗らないと本当に遅刻だ。階段を駆け上がり、ホームに急いだ。
「ドアが閉まりまぁす。駆け込みはご遠慮くださぁい」
あと一段というところで、駅員のアナウンスが耳に刺さった。
ご遠慮することなく、ドアを押さえながら満員電車に飛び乗った。ギリギリセーフ。
プシューッとドアが閉まる。
ふぅっと深く大きく息をつき、体をドアにもたれさせながら車窓を見た。
が、景色より先に目に入ったのが、ドアに貼られたド派手なピンクのステッカー。
まさか・・・。
恐る恐る後ろを振り返り、そーっと車内を見回した。
まさか・・・。
ド派手なピンクのステッカーが、車内にもこれでもかと言わんばかりにあちこちに貼られてる。
まるで「お父さんはゼーッタイ入っちゃダメよ」と拒絶する世の娘の部屋のドアのように。
『女性専用車両』
・・・ゲッ。ヤバッ。完全にやばい。
車内は、当たり前だが女性だらけ。
何もしていないのに、犯罪者を見るような鋭い視線が一斉に注がれる。
なに?このオヤジ。ヤダーっ、痴漢? ヘンタイ? スケベ? 目が絶対にそう言ってる。
そして、追い討ちをかけるように「えー、この時間帯、四号車は女性専用車両となっております。ご協力ください」。
だみ声が、間違いなく私の事を非難している。
んな事言ったってしょーがねぇだろ、乗っちまったんだから。助けてくれよ。
サッと窓の方を向き、スマホを取り出し、メールをチャカチャカ打つフリをした。さも、忙しいサラリーマンが、やむを得ず、本当に仕方なく、間違って乗りました、不可抗力です、スケベでもヘンタイでもありません、という風情を全力で醸し出すため。
遠くガラス越しに見える、隣の車両にいるサラリーマンのおじさんたちが、逮捕後に乗るパトカーから見えるシャバの光景とは、こんな感じなのだろうかと思うほど、いとおしく見えた。
戻りたい・・・。
ヘビににらまれたカエルのように、両手をホールドアップし窓に張り付き、八分間、死んだフリをした。
ツラい・・・。
たまに間違って乗るヤツを見かけ、あーあご愁傷様、と思っていた自分がやってしまった。
ようやく次の駅に到着。
ドアが開いた瞬間、急いでホームに降り立った。背後から、津波のように女性たちが降りてくる。津波をよけて、改札に向かってまた走り出した。
なんとか会議の時間に間に合った。
受付で入館のサインをし、会議室に向かう。
アブナいアブナい、と思いながらドアを開ける。ところが誰もいない。照明もついていない。あれ?会議室間違ったかな、と思い、周りの会議室を覗いてみる。どこにも誰もいない。おかしい・・・。もしかして時間まちがった?
仕方ないので、オフィス内にいる担当の人に電話した。
「あれ?いらしたんですか?今日、中止ですよ。メール見てません?ウチのボス、休みたいからって」
「中止・・・ですか?」
「ええ。また来週です。すみませんねぇ、わざわざお越しいただいて」
力が抜けた。今日はツイてない日だ。こんな日は働いてもロクなことがない。決めた。午前中はサボろう。そう決めて近くのカフェに行った。
涼やかな秋風が、顔を撫でて駆け抜けた。
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