なぜ出産したかったのか、を再考する

三姉妹の親だとわかると、「三姉妹、よいですねー」と、やさしいお言葉をいただくことがある。

しかし、知られていない真実がある。うちの三姉妹に登場しない、息子もいる。正確には、いた。

私は流産を繰り返す、不育症だった。不育症とは、連続して流産を繰り返すことを指す。今の生殖医療技術がなければ、誕生しなかった娘もいる。つまり、うちの三姉妹は全員が自然妊娠によるものではない。自然に出産まで至った娘もいれば、ホルモン注射を腹に打って、腕にホルモンパッチをはってと、ホルモン剤をふんだんに使って妊娠初期を乗り越えた娘もいる。そして、自然妊娠でも体外受精妊娠でも、途中で心停止に至った赤ちゃんたちもいる。あえて複数形で書く。不育症の私の場合、産めた子どもの数よりも、死んだ子どもの数が多いからだ。

不育症治療のため、原因特定として死児の染色体検査をしたこともある。その検査結果、染色体の数と構造には異常がない、46XY、つまり健常な男児だったと告知されて、泣きながら出勤へと電車に乗った日もある。検査をしても、原因が特定できず、私の心は闇落ちした。勿論、心停止に至る先天的異常は、たとえば染色体の数と構造だけが原因ではないので、心停止の本当の理由は一生わからない。その息子はもう、いないことだけが記憶として残る。

ちなみに、職場で、この当時の私の状況を共有して、一緒に泣いてくれた男性上司がいる。また、私との仕事上の関係がないにも関わらず、不育症の相談に乗ってくれた女性上司もいる。私は、彼らのpeople managerとしてのpassionを一生忘れることはないと思う。こんなプライベートな、会社の利益が出ない悩みに、時間をかけて、本気で思いを寄せてくれた人を尊敬する。こういう傾聴力と信頼がある人に、私もなりたいと思う。

不育症の私ゆえ、キャリアの中で、出産が手段ではなく、目標になっていた時期がある。流産を繰り返し、死児の結果までつきつけられて、私は無事一人目を、そして二人目以降も、出産までこぎつけることがKPIのような、目標になっていた。なお、ホルモン値など数値化できるものも一定数あるので、本当にmetricsを作成しようと思えば、データを突き合わせてできる。何の意味もないが。

私は以前のコラムで、脳と子宮がお花畑だった、と昔の自分のことを揶揄した。大都会の東京で、結婚しなくても、出産しなくても、自分の努力と選択で賢く生きていける時代に、なぜ私は、仕事を始めて早々に、結婚や出産することを正義だと思ったのか、と反省しているからだ。結果的に、三女を産んでからの多忙さに困り果ててしまうのだが、三女を産んだ後から、私は根本的な事実を悟った。仕事や職場などモノは変えられても、子どもは変えられない。産んだ子どもを放棄するのは違法である。まっとうな社会人であればあるほど、産んだ子に責任を持つのは当然となる。

夫も私も、失った命をとりかえしたかった、その本能的な使命感が、無事出産させることに自身を駆り立てたのだと思う。しかし、必死だった私は忘れていた。産むのは手段であり、ゴールではないということを。産んでからが20年スパンでのプロジェクトの始まりだということを。それが三人産めば20年プロジェクトが三回続くということを。

不妊、不育は闇のように、過度のストレスがかかる領域である。時にそのせいで、自分の存在意義を認識できなくなる時がある。でも、雨は必ず止み、空は必ず晴れる時がくる。

私は三姉妹の親なので、娘が産み時について悩む時が来るかもしれない。その時、私が過干渉な毒親にならないように、そして、娘の選択が尊重されるような社会になっていることを願う。

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