不妊様だった時代を振り返る

三児の母だと、多産だと思われるようだが、三児を得るまでに10年かかったし、不妊治療に合計300万円を使った。100万円を越えた辺りから、会計年度か違うから、とか言い訳しながら、支出の割に結果が出ない事実が怖すぎて、金額を頭が計算しなくなったので、実際の治療費支出は不明だ。

そして、時代が違えば、私は産めなかったかもしれないと思う。生殖補助医療がなかったから、という理由だけでなく、私自身が出産時に大量出血死したかもしれない。事実、三途の川を渡りかけた。30代、次女の出産時に、胎盤がはがれず、大量出血で死にかけたが、現代医療のおかげで緊急手術が行われ、私は生還した。あの時、2L超えて出血している私に、片手で腹部を圧迫しながら、もう片手で胎盤剥離を行った、安室奈美恵似の産科医のことを私は忘れない。アムロ先生、と妊婦健診時、私は心の中で呼んでいたが、まさか、アムロ先生が私の救命医になるとは、出産後までわからなかった。

この経験もあって、益々、私は、妊娠・出産は、何があるかわからないという漠然とした不安をもった。生還したんだからめでたい、と単純には思えない。私一人の身体回復ならまだしも、生還したら24時間体制で母乳育児が待っているのだ。大量に失血した人が、下から悪露を流しながら、毎日腕から黒い鉄液を注射されているのに、自分の血液で作られた母乳を子に授乳しているのである。鉄の注射は黒い。すばらしく自虐的な本能だ。命を残すために、貧血なのに、本能的に母乳が製造されていくという。妊娠、出産、授乳は、全てのお母様を賞賛すべき、大変な仕事なのだと痛感した。

そして、しばらく時がたつと、出産で死にかけたのに、また子どもが欲しいと思い始めた。これは本能だったのかもしれない。私が理性の強い、経済合理性を考慮しながら生きる性格だったら、子どもをもつのをあきらめただろう。私はあきらめきれず、再び、三人目をめざして、不妊不育治療に通う、不妊様になった。

あほらしい、と当時を振り返れば思う。自分の理性のなさ、都心で子育てと仕事を両立することの困難さを考えれば、自分が人生のハードルを上げれば上げるほど、生きにくさにつながるというのに。そして、これが自分一人の人生に比べて、子どもの数が増えれば増えるほど、保護者としての負荷が増えていき、生きづらいと思おうが、自分の人生のリセットボタンを押せなくなる。

二人目出産で失血死しかけたのに、三人目を望むなんて。無理ゲーに課金するような、私の本能。私は物欲が低いので、ガチャ、スパチャ、ゲーム課金含め、課金行為を一切してこなかったのに、当時は自費だった生殖補助医療には相当課金してきた。課金という感覚さえ、なかったのかもしれない。必要経費のような感覚だったのかもしれない。

しかしながら、結果的には、三人子どもを持てたことは、自分が残した遺産になるとしたら、良かったのかもしれない。一から人を育てるという仕事が、どれだけ大変で充実するかということを三人分学ばせてもらっている。日本は、育児に対して自己責任論が強いが、社会で、子どもを持つということが、負債ではなく、投資だという感覚を持ってもらえればよいなと思う。






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