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祖父の店を継ぐということ

喫茶店「積(せき)」

80年代から2000年代にかけて、祖父は自宅に喫茶店「積」を営んでいました。青と赤の四角形が均等に並んだクッションフロア、白いプラスチック製のガーデンチェア、ステンドグラス風のシールが貼られたガラス。ラジカセから流れるFMの沖縄民謡に合わせて歌う祖父。その店内はチープでありつつもハイカラな雰囲気がありました。そして茶葉や鰹節、健康食品なども販売しており、店内はいつも豊かな香りに包まれていました。

もらった看板

「積」はただの飲食店ではありませんでした。常連客との会話を大切にし、祖父の人柄が行き交う温かな空間でした。一人ひとりとの交流を大切にし、誰もが心地よく過ごせる居場所を作り上げていました。祖父の優しい笑顔と温かみのある声をよく覚えています。

この喫茶店の名前「積」には、「良いことも悪いことも全て積み重ねていけば素晴らしい」という祖父の人生観が込められていました。戦争や高度経済成長期を経験した祖父は、そうした時代の中で得た教訓を大切にしていました。この「積」という言葉は、私がいじめに苦しんでいた頃にも、大きな支えとなりました。

祖父の言葉は単なる慰めではありませんでした。人生の全てを受け入れ、それを糧に成長していく力強さを教えてくれていたのです。しかし、祖父がこの「積」という言葉に込めた本当の意味を、私が完全に理解しきれているわけではありません。祖父が体験した時代背景や、培った人間関係を全て知り尽くすことはできないからです。  

「お店を継ぐ」という祖父の言葉

幼い頃、祖父から「大人になったらこのお店を、どんな形でもいいから継いでほしい」と言われました。幼児期は意識しない言葉でしたが、思春期から青年期と年齢を重ねるごとにその重みが実感できるようになってきました。祖父の願いを継ぎたいと感じるようになりました。

当時、祖父の手伝いとして私はコーヒーの配達や量り売り、レジ打ちなどの仕事を手伝っていました。
学校や市役所に行き、日曜日の朝は桜坂の希望ヶ丘公園の頂上で祖父の友人に囲まれつつラジオ体操を行い、終わりに大きな水筒に淹れたコーヒーを紙コップで配っていました。

孫を配達に行かせる理由

大人たちは「子どもにコーヒーの入れ方を教えても無駄」と言っていましたが、祖父はそんな声に構わず、熱心に私にコーヒー作りを教えてくれました。その過程で、私は祖父の優しさと、教え込むことへの情熱を垣間見ることができました。

実際に美味しく作れたのはコーヒーではなくココアだけでしたが、コーヒー作りの工程を通して、祖父の人となりや教え方を学ぶことができたのです。彼の教えは技術の指導にとどまらず、人生の大切な価値観をも伝授してくれていたような気がします。

祖父への恩返しの気持ち

祖父が亡くなってから年月は経ちましたが、感謝の気持ちを形にするために、私はTシャツを作ってみました。「どんな形」が良いのか、長い間考え続けていましたが、最終的に「形から入る」ことにしました。完璧を求めるあまり行動できなくなることが多い自分にとって、拙くてもいいからまずは行動することが大切だと感じたのです。

このTシャツには、龍の絵を描きました。祖母が祖父が亡くなった後、「登竜門」の絵を何枚も描いていたことが理由です。本来の意味とは違うものの、祖父が痛みのなかで亡くなったことから、苦痛から解放されて自由で雄大な龍になって見守っていて欲しい、という願いを込めて描かれたものでした。

登竜門

祖母の絵では鯉だった祖父ですが、私の中で祖父の存在はとても大きいものです。強さと優しさを象徴する龍の絵は、私にとって祖父への思いを込めるのにふさわしいものでした。

このTシャツを作ることは、祖父への感謝の気持ちを形にする一歩です。売るつもりはなく、ただ自分の心の中で祖父への恩返しを果たすためのものでしたが、知人からの反響が大きく、気持ちが済むまでは公開し続けようと思います。祖父の教えと共に生きることができれば、と思います。

おわり

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