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体験談|服部みれいロングインタビュー(前編)

本書を企画・編集した服部みれいが、冷えとり13年めとなった今の思いを語ります。

冷えとりをはじめたきっかけから、冷えとりを続けているわけ、都市生活とからだ・こころの関係性、あらためて感じる冷えとりの恩恵など。自分をどう見つめ、癒し、整えていくかのヒントに溢れたインタビューです!

休まず冷えとりを
続けているわけ


――あらためて、冷えとりをはじめたきっかけは?

30代前半、2000年になってからの5年間くらいというのは、仕事では雑誌の創刊と廃刊を経験し、プライベートでは結婚と離婚があり、本当に本当に大変な時期でした。夢が実って、実ったと思うと破れていく。なんでわたしばっかりこんなにうまくいかないんだろうと当時は思っていました。体調もずっと悪かったし、人間関係でも、大変なことが続いた結果、大きな病気になってしまって……。今思えば、全部、自分が起こしたこと、自分の内側の世界の反映だったとわかるのですが。


当時、そんな状況でも、わたしの中にはまだ消えない情熱みたいなものが残っていて、「もう一度雑誌を立ち上げよう」と思ったんです。と同時に、ある方に整体を教えていただき、そこで冷えとりに出合いました。もともと冷えとりのことは知っていたので、「あれか!」という感じでした。2007年の秋のことです。

まだその頃は、西洋医学も並行してうけていたと思いますが、アーユルヴェーダによる治療をすでにはじめていて、からだやこころが少しずつ変化していた。そのことも、すんなり冷えとりをはじめるきっかけだったと思います。とにかく迷いがなかったです。冷えとりを教えていただいたその日から半身浴をはじめ、すぐに冷えとり靴下を入手し、重ねばきをはじめました。靴下をはいて寝て、翌朝起きたとき、すごく部屋がものすごい臭いになり……。 くわしくは拙著『あたらしい自分になる本』(ちくま文庫)に書かせていただきましたが、とにかく、これはすごいことが起きているなと、感動しました。それから1日も休まず冷えとりを続けています。わたしにとっては、からだの治療の一環でもあるし、本をつくるうえでの体力づくりでもあるし、表現するものとしていい状態でいるための礎でもある。続けている理由はたくさんあります。


――冷えとりを休もうかなって思ったことはありますか?

一度もないですね。冷えとりソックスは1枚1枚がすごく薄くて、ふだんは8−10枚靴下をはいているんですが、ときどき、実験として、夏場に靴下を6枚ぐらいにしてみたりもするんです。そうすると、ああ、今の自分には6枚だと寒いなとか、わかってまた靴下を増やしたりして調整する。冷えとりをすると、「冷え」が自分でわかるようになる感覚があります。

わたしは「靴下4枚ばき」の期間がすごく長かったんです。今思えば、からだがすごく冷えていて、その冷えを出す力もなかったから、靴下を増やせなかったのかもしれません。増やそうという気も起きなかった。裸足でパンプスをはく、なんてことも当時は年に数回はあったかも。でも、「靴下4枚ばき」という種火で何年もじわじわあたためながら、ときどき高熱を出すなどのめんげん(好転反応)をいくつか経験したのち、あるタイミングで、自然と靴下の枚数をぐっと増やすことができたんです。

今も、海や川へ行ったらもちろん裸足になりますし、夏の最高に暑い日には、わざとわらじを裸足ではいて家事をしたりすることもあります。鍛錬、みたいな意味合いで。ただ、ファッションのため、とかそういう方向で裸足になるようなことは、ほぼなくなってしまいました。

今後もし、自分が完全に愛の状態になり、4つの我執(冷えとりでいうところのこころの冷え「傲慢・強欲・利己・冷酷」)がなくなるとか、ほぼ自給自足の生活になったら、靴下をはかなくてもよくなるかな、とは思います。移住したとはいえ(註:2015年春、東京・原宿から岐阜・美濃に移住)、今も車に乗ったり、都市的な生活をしていますし、冷え(頭と下半身の温度差)は感じるし、なにせこころの冷えもまだまだある。だから靴下を脱ぐ気にならないですけれどね。都市的な生活と冷えとりは、わたしの中でセットなんです。

――都市で暮らしていると、冬は外が寒くても室内は暑く、夏は外が暑くて室内が寒いなど、温度差が激しくて調整がむずかしいなと感じます。知らず知らずのうち、暑い・寒いと感じる機能もくるってしまう気がして……

確かに、都市生活の中では「自分という自然」を感じることが少ないかも。外側に刺激が多くて、「自分以外のもの」に意識を向ける時間がやたらと多いんですよね。田舎だと、外側にあるのは山とか川で、人がつくりだした情報が少ない。そうなると内側の自分に向かうしかないんです。人も少ないし、自分に意識が向きやすいのかも。「自分」を感じたり、自分でたのしさを生むことが必要になる。田舎にいても、田舎のルールにただどっぷり無意識にはまっていれば、また違うのだと思いますが、意識的に自然に近い暮らしを選択した場合、自分自身の在り方が全然違うように感じます。わたしの場合は、都市生活をしていたときよりも、より内観的になったように思います。


――都市で生活するには「自分」でいつづける方法が、何かしら必要かもしれませんね。

2000年代前半から、大都市圏ではオーガニックの食品やコスメが売れたり、ヨガのブームがあったり、呼吸や瞑想などに、みんなの気持ちが向きはじめて、その流れの中で冷えとりもどんどん注目されていったのかなと思います。あまりにも情報過多で、自然からどんどん離れていってしまったから、「人間という自然に戻る」動きが生まれたのかもしれないです。

今でも、東京へ行くと自然とハーブティ飲んだり、生アーモンドを買って食べたりします。田舎にいると空気や水がきれいだったり、生活のベースが整っているから、逆に「エビフライ食べようか」となったりします(笑)。いずれにしても、わたしにとって東京はハレ(非日常)で、岐阜はケ(日常)。東京はずっとハレだから、そこで暮らすために、「自然」に対して意識的に取り入れる工夫が必要になるのかも。岐阜での生活は、ベースが自然、という感じです。

冷えとりで
蓋がはずれた


――移住して、からだは変化しましたか?

月に一度、整体の先生に診てもらっていますが、緊張していてゆるんでいないからだの人は「自分」に気づきにくい、自分のことがわからないのだと聞きました。おかげさまで、からだが本当にいい状態だってほめていただいて。わたしは骨盤がすごく元気で若いそうです。感情と骨盤は関連していて、わたしは喜怒哀楽を出しきっているって感心されました。

そうやってほめられるたび、冷えとりのおかげだなって思います。まだまだ冷えは残っているけど、たとえば10年前の自分に比べたら、やはり冷えがとれているのを感じます。やたらと風邪をひいて寝込んでいたりしたのもなくなったし、花粉症もなくなりました。感情も存分に出せる自分になったから、こころもからだも元気なんだろうなって。以前は感情に蓋をして、元気風を装っていました。気をつかう人生だったから、からだはつらかったんじゃないでしょうか。今は、つらいときはつらい顔をするようになって、裏表がないからラクです。

――冷えとりで蓋がはずれたのかもしれないですね。

そうですね。それが健康の秘訣かなって思います。からだがゆるんだともいえるし、冷えとり的には血と気のめぐりがよくなったともいえるし、毒が減ってシンプルになったともいえるでしょうか。冷えとり以外にも整体やアーユルヴェーダ、断食などいろいろやったから、内蔵自体も前に比べて本当によくなったと感じています。

東京にいたころ、整体で診てもらっている最中に、腸捻転の逆(腸が正常な位置に戻る)みたいなことが起こったことがあったんです。腸の一部が癒着していたのが、ぷるんって戻ったような気がしたんです。そのときは死ぬほど痛くて歩けないほどでしたが、休んで半身浴したらよくなりました。

そのねじれは、時間をたっぷりかけてそうなっていったんだと思うんです。我慢したり、がんばったり、もっとやんなきゃ、世界をよくしなきゃとか、裏切られたり、傷つけられたり、誰かを傷つけたり……そういう不自然な力みが腸に集約されていった。それが冷えとりやそのほかのセルフケアのおかげで、ぷるんとほんらいの姿に戻ったのかなって。当時の整体の先生も、今まで全然動かなかった場所が動き出したっていってくれました。生活のベースに冷えとりがあって、ときどき施術してくれる方の力を借りて、性格のねじれを少しずつ少しずつゆるめて、元の自分の位置に戻していった感じです。

後編へつづく

(聞き手=アマミヤアンナ)

*『冷えとりスタイルブック』では、エッセイ「冷えとりが、じんわりたのしいわけ」(48ページ〜)と、「服部みれいが愛する服」(50ページ〜)をご紹介しています。ぜひ、ご覧ください!

服部みれい【はっとり・みれい】
文筆家、マーマーマガジン編集長、詩人。9年前に『冷えとりガールのスタイルブック』(主婦と生活社=刊)を企画・編集。主著に冷えとりの体験がくわしく載っている『あたらしい自分になる本』シリーズ(ちくま文庫)。近著に『わたしの中の自然に目覚めて生きるのです 増補版』(ちくま文庫)、『わたしと霊性』(平凡社)。冷えとり歴12年、靴下は8〜10枚以上、レギンスは1枚(冬は2〜4枚)、半身浴は1〜2時間。冷えとりしてよかったことは、気をつかわない、ほんらいの自分になったこと。

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