見出し画像

自伝小説 ままごとかあさん11 家族(7)

祖母とは対照的に

祖父は痩せていて

とても無口な人だった。


家のすぐ隣りに2階のある小屋があり

祖父はそこで機械部品にヤスリをかける

内職をしていた。

小屋の2階へ行くには

車庫の奥にある急な階段を登る方法と

家の窓から登る方法があった。

小屋に面している窓を開けると

下側の3分の2くらいが小屋1階

上側の3分の1くらいが小屋2階に

通じていた。

窓を開けてよじ登り

小屋の2階へ行き内職をするのが

祖父の日課だった。

ワタシもよく窓から小屋の2階へ行っては

祖父が部品を琢くのを眺めたり

磨いた鉄の粉を

磁石にくっつけたりして遊んだ。

小屋の2階は物語に出て来る

秘密の隠れ家のようで

幼いワタシのお気に入りの場所だった。


冬になると

古いだるまストーブが出された。

祖父はそのだるまストーブの火で

チャルメラを煮て食べるのが

好きだった。

ワタシもお椀を持ってきて貰って食べた。

祖父は小鍋のまま

ずずずっとすすりながら食べる。

だいぶ伸びて柔らかくなった

具も何も入っていないラーメンだったが

とても美味しかった。



祖父もあまり目を見てくれなかった。

「人の話を聞くときは目を見てって

先生が言ってたよ」

とワタシが生意気に言うと

祖父は何も言わずちらっとだけ

視線を合わせてくれた。

祖父の目はとても悲しそうに見えた。

ワタシには

当時飼っていた犬の‘’ぴち‘’が

怯えた時に見せる目と同じに見えた。

母にいってみたが

「そう?変なこと言うね」

で終わった。



大好きだった祖父は

ワタシが中学生の時に

肺炎で亡くなった。



昔の実家は取り壊され

別の場所に新しい家が建てられた。

新しい家の仏間に

昔の仏間から持ってきた祖父母の遺影と

様々な表彰状が飾ってある。

その表彰状の中に

戦後、国から贈られたものがあった。

‘’シベリア‘’

の文字。

祖父が戦争に行ったことは知っていたが

まさかシベリアで強制労働させられて

いたとは…。

本人も祖母も母も誰も話題にはしなかった。

祖父に聞いても決して何も言わなかっただろう。



長い時を経て

祖父の悲しい怯えたような目の記憶が

よみがえる。

その目の理由がわかった気がした。



つづく




サポートしてもいいよ~!と思った方、よろしくお願いいたします🙏活動資金とさせていただきます☺