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【コラム】いつから裏方気質になったのか。

放送作家という仕事をしています。構成作家とも言います。
どんな仕事なの?どんな事をしているの?といった質問はよくされますが、テレビやラジオだと企画出したり、台本書いたり。
YouTubeだと企画出しに加えて編集したり。
またイベントやお笑いライブにも作家がいて、イベントの流れだったり、ゲームコーナーのルール考えたり台本書いたりもしています。
ざっくり言うとテレビやラジオやYouTubeなどエンタメにおける、いわゆる「裏方」の仕事です。

構成作家を目指した理由やきっかけは色々とあるのですが、ふと振り返った時に、何をするにしても裏方的な役割を選ぶ傾向にあるな、と気づきました。

例えば学生時代。誰もが?憧れるバンド。
楽器やるなら?バンド組むならどのパート?みたいな話でもベースがドラムがやりたかったし、1番やりたくないのがボーカルでした。
(ちなみにFが押さえられなくて辞めました)

他にも昔『FINAL FANTASYⅪ』というオンラインゲームをやっていたのですが、このゲームでは自分がモンスターと戦う際の職業を選べます。
戦士とか侍みたいな的を倒す事に長けた職業でプレイする事も出来るのですが、僕は白魔道士という味方を回復したりサポートしたりする役が楽しくて、その職業で長くプレイしていました。

大人になってからも、「バンド組むなら?」とか「ゲームの世界に入ったらどの職業選ぶ」とか「このアイドルグループでいうと誰になりたい?」みたいな質問で飲み会やら何やらで盛り上がる事もあったのですが、表に立つ人はボーカルを選んでいたし、勇者を選んでいたし、グループにおけるセンターの方を選んでいたのですが、僕はベースやドラムを選んでいたし、僧侶を選んでいたし、右端ないし左端だけど味のある方を選んでいました。

業界に入ってからは当然番組やイベント、どれにおいても裏側を気にするようにはなるのですが、ずっと前から後衛にまわる気質があったのだと思います。

そんな傾向があるのが最近になってわかったのですが、いつからなのかは自分でもわかりません。
でも生まれもってではないのかな、とは思っています。
というのも幼少期に親戚一同が介した時に兄弟いとこ5名で撮った写真があるのですが、その写真では他の4人が向けられたカメラに照れる中、僕だけが笑顔でダブルピースしてました。
この頃に上の質問をしたらボーカルや勇者を選んでいたのかもしれません。

大きなきっかけは思い出せません。
でもなんとなく…学校や通っていた少年野球で明らかに人気のある人、上手い人がいて目立つ事は叶わない、目立つ人間ではないと子供ながらに悟ったのかな、という気もしています。
運動も勉強も出来ないし、目も悪かったし、天然パーマだったので。メガネとパーマは色々言われました。
言われて傷ついた記憶こそないのですが、当時のこれらは全ての自信を失わせる要素だった気もしています。

いつから裏方気質になったのか。
もし死ぬ時に自分の走馬灯を見れるとしたら、どの時期にその気質に目覚めたか?見届けてから死にたい。
最期まで覚えているようにこのnoteに記しました。

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