【コラム】「健やか」を目指すほど「不適合」になってしまう
それなりに年を取った事で、自分にとっての「健やか」な過ごし方を少しずつ掴めてきた感覚があります。
例えば締切に次ぐ締切を乗り越えたタイミングで、ストレスの発露で食べすぎちゃうから、そういうタイミングで食べすぎないよう食料をあまり家に置かないようにしよう、とか。
自分も知らなかった自分の取り扱い説明書がどんどんクリアになってきて、書き足されていって、ストレスを溜めすぎない方法、迷った時はこっちを選べ、とか。
自分なりの手法が確立してきます。
でも自分なりの手法を確立すればするほど、自分が社会や一般的な考えとはそりが合わない、不適合者である事が浮き彫りになってきている気もします。
恋愛ひとつとってみても、少しずつ少しずつではありますが、自分のやり方がわかってきて。
「心をいかに乱されず、それでいて楽しい時間を過ごす」為に自分がどうすべきか、の手法が確立されてきました。
ざっくりいうと「相手にもたれすぎない」とか「自分を軸に考える」みたいな事なんですが、その手法に則って動くと、周りから「それは良くない」とか「相手の気持ちわかってない」とか「もっと行動しないと」とか。そんなお叱りを受けたりもします。
その一般論は百も承知で、でもその一般論だと心が「健やか」にならなくて、常に心がざわめいて、恋愛にもたれすぎてしまうからやらないのですが、恋愛にしても何にしても、一般論が自分に当てはまらない事実が、自分が不適合である事を再認識させてきます。
仕事におけるこだわりも、それは他者から見たら面倒くさい考えで、「もっと効率の良いやり方がある」「その考え窮屈じゃない?」なんて言われ方をする事もあります。
確かに一般論で考えると。このやり方は自分の首を絞めていて、それでいて今の言葉でいう"タイムパフォーマンス"も悪い行動なのかも知れないのですが、自分にとってはそのこだわりを持って仕事に挑んで、上手くいったら嬉しくて、上手くいかなかったら悩んで、みたいな事が、何よりも健やかなのですが…
一般論とは違う考えだし。またまた不適合なのです。
とはいえ一般論を無視して、この考えに凝り固まりすぎているといわゆる「老害」になっていく気もします。
色んな意見を聞いて、聴いて、試して、感じて、挫折して、取り入れて、を繰り返さないといけない。
日々をより「健やか」に生きる為に。
どんどん肉体も衰えて、記憶力も悪くなっていくのに、全然上手く生きられない。
もっと「健やか」に生きたい。
その為には日々色んな事を試して失敗しないといけない。
そうやって手に入れた自分なりの「健やか」は一般論で見たら不適合と言われる。
この輪廻から抜け出す日は来るのでしょうか。
とりあえず自分の取り扱い説明書をもっとクリアにすべく、noteを毎週書いています。
自分の健やかと、一般的な幸せがちょうど重なる日を目指して頑張って生きていきます。
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