【児童文学評論】 No.265 2020.03.31

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https://www.mag2.com/m/0000001208.html


【宣伝】

『レッツはおなか』(ひこ・田中:文 ヨシタケシンスケ:絵 講談社)

 シリーズ4作目。自分が、かあさんのおなかから生まれたと知ったレッツの悩みは深い。

4月9日発売です。よろしくお願いします。(ひこ・田中)

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スペイン語圏の子どもの本から(15)

IBBY(国際児童図書評議会)では、2年に1度、「世界のバリアフリー児童図書Outstanding books for young people with disabilities」を選定しています。現在最新のリストは2019年のもので、世界各国の40点が選ばれています。初めてこのリストを見たときに目を引いたのは3つのカテゴリーです。カテゴリー1は、障害のある子どもたちのための特別仕様の本。カテゴリー2は、特別仕様ではないけれども、誰にでも読みやすい(ユニバーサルアクセス)絵本、カテゴリー3は、障害を描いたフィクションやノンフィクションです。それぞれ、for(ための)とwith(共に)とabout(ついての)という言い方もあります。障害に関する本と言っても、このように分類して考えると、また新しい発見があります。

 今回は、このカテゴリーで言えば1に分類される、「南米チリの作家が作ったけれども日本生まれ」という変わり種の絵本をご紹介します。


『いっぽんのせんとマヌエル ピクニックのひ』(マリア・ホセ・フェラーダ文 パト・メナ絵 星野由美訳 偕成社 2020.1)

 マヌエルくんが家族と車でいなかにピクニックに行った日のことを描いた絵本です。どこが特別仕様かというと、文章の上にピクトグラム(言葉を絵で表現した絵文字)が添えてあるのです。

 実はこの絵本は、2017年に刊行された『いっぽんのせんとマヌエル』(同 偕成社)の続編です。著者のフェラーダさんが、自閉症を持つマヌエルくんと知り合ったことから生まれた作品で、最初の本はチリで出版されて、日本で翻訳出版されました。が、今回の本は、同じ登場人物、同じコンセプトを持つ続編として、日本で作られた絵本です。

線が大好きなマヌエルくんが、何かを見るとき、いつも線をさがすことを知って、フェラーダさんは、せんをたどっていくお話を考えたとのこと。また、ピクトグラムについては、『ピクニックのひ』の巻末で藤沢和子さんが「では、なぜ、ピクトグラムがついているのでしょうか? それは、おかあさんが本につけたピクトグラムを見ることで、マヌエルくんは、本に書いてあることがよくわかるようになったからです。文章にそえられたピクトグラムは、文字やお話の内容の理解を助けます。」と説明しています。

『ピクニックのひ』では、いなかに行ったマヌエルくんが、ヤギや馬、うさぎやカブトムシ、木の葉、風など、いろいろな動物や自然と出会います。

短くリズミカルな文、多くを書きこまないシンプルな絵も、理解しやすさにつながっているのでしょう。自閉症に限らず、文字で読むのが得意ではない、障害のある子どもたちにも、まだ文字を読まない小さな子どもたちにも、ピクトグラムとともに楽しめる絵本ではないかと思います。

巻末には、マヌエルくんのお母さん、マヌエルくんの療育者、ピクトグラムに詳しい藤沢和子さん、作者のマリア・ホセ・フェラーダさんの文章もあります。

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IBBYの日本支部であるJBBY(日本国際児童図書評議会)では、2019年のIBBYバリアフリー児童図書40点をそろえた展示セットを準備し、2020年4月から2021年3月の間に、巡回展「世界のバリアフリー児童図書展――IBBY選定バリアフリー児童図書2019」を開催してくださる団体を募集しています。下記のページで詳細をご覧のうえ、どうぞご応募ください。

https://jbby.org/exhibition/barrierfree-ten/post-7291

(宇野和美)

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◆ぼちぼち便り◆ 

 

コロナウイルス感染防止のため、3月の読書会は実施されませんでした。そこで、今回は、「ほるぷフォーラム」(絵本子育てセンター)に連載記事の中から過去1年間に出版された絵本の紹介文を再構成して転載させていただきます。

 

『ルブナとこいし』 ウェンディ・メデュワ/文 ダニエル・イヌュ/絵 木坂涼/訳 BL出版 2019年2月

 ルブナはとうさんと二人で難民キャンプに来ました。とちゅうで、小石を拾い、ペンで笑顔を描きました。ルブナは「こいしちゃん」に何でも話しました。ある日、キャンプにアミールという男の子がやってきました。ルブナはアミールにこいしちゃんを紹介し、友だちになりました。しばらくして、ルブナはとうさんとキャンプを出て暮らすことになりました。空想豊かな絵がルブナとアミールの心の様子を巧みに描いています。

 

『おにいちゃんとぼく』ローレンス・シメル/文 フアン・カミーロ・マヨルガ/絵 宇野和美/訳 光村教育図書 2019年2月

 「ぼく」が友だちのカルロスとの付き合い方とおにいちゃんとの付き合い方を比較しながら両方の楽しさを伝えている絵本。一人っ子のカルロスの家ではおもちゃの兵隊で遊び、おやつの間そのままにしてまた、遊びます。ぼくの家では「なんでも置き場がきまってる。どこにあるか、おにいちゃんがわかるように」と書かれています。そして、ぼくは、おにいちゃんが暗闇でも本が読め、いつも犬と一緒で、記憶力が抜群であることをうらやましく思っています。「障がい」という言葉を一切使わずに多様性を楽しむことを伝えた絵本。

 

『牧野富太郎ものがたり 草木とみた夢』 谷本雄治/文 大野八生/絵 田中伸幸/解説 出版ワークス  2019年3月

 江戸時代の終わりごろに生まれた牧野富太郎は、子どものときから草や木が大好きで、いつも山で観察をしていました。大人になるまで観察を続け、仲間と雑誌「植物学雑誌」を創刊し、新種の植物を発見しました。けれど、学歴のない富太郎をうとんじる人たちが出てきて、富太郎は貧しい生活をしなければならなくなります。それでも富太郎は研究を続けます。造園家でもある画家が植物に夢中な富太郎像を、愛情をこめて描いています。

 

『マチルダとふたりのパパ』メル・エリオット/作 三辺律子/訳 岩崎書店 2019年3月

 パールの学校にマチルダという転校生が来ました。二人はかけっこも木のぼりも泥遊びも好きで、すぐに仲良くなりました。パールはマチルダにはパパが二人いることを知り、「おとうさんが ふたりなら、たのしさも 2ばい」かもと思いながらマチルダの家に遊びに行きます。活発で好奇心に満ちたパールを明るい色とデザイン性に優れた絵で表現し、ゲイカップルの家族に出会うパールの様子を自然に描いています。

 

『夜のあいだに』テリー・ファン&エリック・ファン/作 原田勝/訳 ゴブリン書房 2019年6月

 グリムロック通りの「こどもの家」の前でウィリアムがフクロウの絵を描いていると、植木職人のおじいさんが通り過ぎました。次の日の朝、「こどもの家」の前の木は、フクロウの形に刈り込まれていました。それから毎晩、通りにはネコ、ウサギ、ドラゴンなどのトピアリーが増えていき、人が集まってきます。公園がトピアリーでいっぱいになった後、おじいさんは去り、ウィリアムにハサミが残されます。繊細な線で描かれたトピアリーが美しく、芸術が人々の心を結びつけるというメッセージが読み取れます。

 

『フシギなさかな ヒメタツのひみつ』尾﨑たまき/写真・文 新日本出版社 2019年5月

 タツノオトシゴの仲間「ヒメタツ」を紹介した写真絵本。ヒメタツは、体の色を周囲の色に変化させることができ(擬態)、尾を手のように使うことができます。そして、オスは、メスの卵をお腹の袋(育児のう)に入れて、孵化するまで育て続けます。水俣の海で撮影された写真は、ヒメタツの赤ちゃんが生まれる瞬間など思わず見入ってしまいます。文は読者に語りかけるようで、わかりやすく、生き物の不思議を感じることができます。

 

『うみのあじ』たけがみたえ/作 あかね書房 2019年7月

 犬のべらは、なつことお父さんとはじめて海へ行きました。なつこたちが海に入っている間、べらはお弁当の匂いをかぎながら、荷物を見張っています。しばらくしてのどがかわいて海の水を飲んで大失敗。それから海の中をのぞいて、タコと目が合います。好奇心旺盛な「べら」の視点から海となつこたちの様子がいきいきと描かれています。

 

『ヒキガエルがいく』パク ジォンチェ/作 申明浩/訳 広松由希子/訳 伊藤秀男題字 岩波書店 2019年6月

 草原の中から「トン」という音とともに、1匹のヒキガエルが出てきました。「ト トン」と前に進むと、「ドンドン ダンダン」と後ろからたくさんのヒキガエルが続きます。ヒキガエルたちはビルの間をこえたり、金網をよじのぼったりして、月の中を池まで歩き続け、そこで、つがいになり、卵を産みます。韓国の太鼓の音と写実的なカエルの姿を通して「生きる」ことの意味が象徴的に描かれています。

 

『しょうぎはじめました』間部香代/文 田中六大/絵 文研出版 2019年5月

 学童保育で将棋を覚えた「ぼく」は、夏休みにじいちゃんに将棋を教えてもらうことにして、じいちゃんの家に遊びに行きます。じいちゃんは、丁寧に将棋のルールを教えてくれました。パパがやってきて対戦しますが、ぼくは負けてしまいます。けれど、帰る直前、じいちゃんと対戦して勝つことができます。家族三世代で遊ぶ楽しさが絵から読み取れると同時に、将棋の基本的なルールを学ぶことができます。

 

『チリとチリリ あめのひのおはなし』どいかや/作 アリス館

 くもり空のある日、チリとチリリが自転車で出かけると、雨が降ってきました。二人は「カフェあまやどり」でひとやすみ。お茶を飲んでレインコートを買うと、また自転車で進みました。しばらくすると、急に体が軽くなって、二人は雨が下から降る「さかさあめ」の上にいました。雨の流れる様子が水色の色鉛筆で描かれた柔らかな線で表現されていて、不思議で美しい世界が広がっています。

 

『カルメラのねがい』マット・デ・ラ・ペーニャ/作 クリスチャン・ロビンソン/絵 石津ちひろ/訳 鈴木出版 2019年9月

 今日はカルメラの誕生日。初めておにいちゃんと外出できるので大喜び。プレゼントにもらったブレスレットを鳴らしながら、コインランドリーへ。それから、願い事をしようと綿毛のついたたんぽぽを持って、おにいちゃんが友だちの家から出てくるのを待ちました。おにいちゃんは、妹をめんどうだと思っていますが、カルメラが転んで綿毛を飛ばしてしまった時、すてきなプレゼントをします。落ち着いた色彩のコラージュ画が魅力的。

 

『かみなのに』たにうちつねお/さく 大日本図書 2019年7月

 一枚の白い紙の写真と「かみなのに はねる」ということば。バッタの「やってみて」ということばに、紙を丸めて折って指で押さえて離すと、まるでバッタのようにぴょんと飛びます。このように紙を切ったり、破ったり、折ったり、丸めたりして、紙の性質を伝える仕掛け絵本。紙は、「はねる」「のびる」「こわい」「ちからもち」「かたい」と動物や虫によって紹介されています。細工が簡単なので、自分でも試したくなります。

 

『たいこ』 樋勝朋巳/ぶん・え 福音館書店 2019年10月

 イヌがたいこをたたいています。すると、子どもとカエルとライオンが順番に「なかまにいれて」とやってきました。たいこの音は「トントン ポコポコ ペタペタ ボンボン」とにぎやかになりました。すると、そこへワニがやってきて、「うるさいぞー」とみんなを追い払い、一人でたいこをたたきはじめます。追い払われたみんなはそうっと仲間に入りました。みんなでたいこをたたいて心がはずんでいく様子が絵から感じられます。

 

『「へてかへねかめ」おふろでね』 宮川ひろ/作 ましませつこ/絵 童心社 2019年10月

 そうたは、大好物のくりおこわを食べてから、じいちゃんとお風呂に入ります。じいちゃんはそうたの頭を洗ってくれて、いっぱい遊ばせてくれます。そして、「そろそろ あったまろう」と言います。すると、そうたは「へてか へねかめ かめかめ かめか・・・」という不思議な呪文を3回唱えます。呪文を唱えているときの絵が空想豊かで、一日たっぷり遊んだそうたが、お風呂であたたまった満足感が伝わってきます。

 

『コレットのにげたインコ』 イザベル・アルスノー/作 ふしみみさを/訳 偕成社 2019年10月

 コレットは引っ越してきたばかり。外へ出ると近所に住む兄弟に出会います。コレットは思わず、「ペットが いなくなっちゃって さがしてるの」と言います。すると、その兄弟は、ペットを一緒に捜してくれると言い、友だちのリリイに望遠鏡を借りに行こうと誘います。こうして、近所にインコの捜索隊ができあがり、コレットのウソはどんどん大きくなります。絵がコレットの気持ちとコレットの語るウソの魅力を描いています。

 

『チンチラカと大男』 片山ふえ/文 スズキコージ/絵 BL出版 2019年10月

 3人兄弟の末っ子のチンチラカは、王様に魔の山に住む大男から黄金のつぼを取ってくるように言われます。チンチラカはドリルとシャベルをもらって知恵を使って王様のためにつぼを手に入れます。すると、王様は今度は魔法の楽器のパンデゥリを手に入れるように命じます。山に囲まれた国ジョージアの昔話。大胆な構図でチンチラカの活躍をいきいきと描いた絵が魅力的です。

 

『おまつりをたのしんだおつきさま メキシコのおはなし』マシュー・ゴラブ/文 レオビヒルド・マルティネス/絵 さくまゆみこ/訳 のら書店 2019年12月

 星たちが「たのしい あそびも おまつりも、みんな おひさまの もとでしか みられない」から「おひさまの そらに ひっこししたいな。」と言っているのを聞いたおつきさまは、夜にお祭りをすることにしました。紙のランタンやたくさんの食べ物を用意して、みんな歌ったり踊ったりしてお祭りを楽しみました。メキシコ・オアハカ地方に伝わる物語。民族性豊かな絵が自然とともに生きる人々の暮らしをあたたかく描いています。

 

『目で見てかんじて 世界がみえてくる絵本』ロマナ・ロマニーシン/著 アンドリー・レシヴ/著 広松由希子/訳 河出書房新社 2019年11月

 黒い帽子に白フクロウが乗った蛍光ピンクの表紙を開くと、青い見返しの左に閉じた人間の両目があり、右には開いた両目が描かれています。この本は、「見るとは?」「色とは?」「イメージとは?」などの科学的な事象が洗練されたデザインと詩的な文章でユーモラスかつ哲学的に紹介されています。目が見えない人にとっての「見る」とはどういうことかも書かれており、画面の美しさは見ることの楽しさを実感させてくれます。

 

紹介しきれなかった本もたくさんあります。みなさま くれぐれも お大事になさってください。

 

<大阪国際児童文学振興財団からのお知らせ>

◆ 連続講座「目で見るイギリス児童文学の歴史」の続編を開催します

 

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、開催を予定していた3回連続講座「目で見るイギリス児童文学の歴史」の第2回(2月)と第3回(3月)が中止となりました。

その2回の講座を合わせた内容の講座を7月5日(日)に、大阪府立中央図書館 多目的室で開催します。講師所蔵のイギリス児童文学に関わる貴重なコレクションをご紹介いただきながら、イギリスの子どもの本の歴史についてご講演いただきます。

◎講座「目で見るイギリス児童文学の歴史」

講 師:三宅興子さん(当財団特別顧問)

内 容:

講義①「子どもの本の『第一黄金時代』」

講義②「20世紀イギリスの子どもの本」

 資料の展示・閲覧

開催日:7月5日(日13時~16時

会 場:大阪府立中央図書館 多目的室

定 員:60人(申し込み先着順)

参加費:2500円

*参加費には、第1回から第3回までの連続講座の内容をまとめた冊子を含みます。冊子は当日の講座のテキストとしても使用します。

主 催:大阪国際児童文学振興財団

※ 申し込みは、当財団HP〔参加申込〕から、または、電話、FAXで受け付けます。定員になりしだい終了します。


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西村醇子の新・気まぐれ図書室(44) ――異文化のスパイス──


 日本に限らず世界各地が、いま、新型コロナウィルスの影響を受けている。家にいる時間が長くなれば、気分も沈みがちになるというもの。そんなときは近所の図書館から面白そうな本を借りてきたいが、まさかの臨時休館(またもや延長された)で、それができないとは。

 アラン・グラッツの『貸出禁止の本をすくえ!』(ないとうふみこ訳、ほるぷ出版、2019年7月)の場合。状況は異なっていて、エイミー・アンのまえに立ちはだかったのは、「教育委員会」という「制度」が課してきた本の「貸出禁止」措置である。

 共働きの両親と2人の妹たちと暮らすエイミー・アンは、考えていることをすっと口に出せない。きょうだいのなかで姉だからといつも我慢を強いられ、不満を抱えている。でも何をいっても無駄だと諦めていたので、親に気づかれていなかった。そんなエイミー・アンが初めて行動を起こしたのは、ある愛読書が学校図書館で貸出禁止になったから。愛読書とは、E・L・カニグズバーグの『クローディアの秘密』である。(ご存知のように、クローディアは自分が抱えていたさまざまな不満を、計画的な家出の実行を通じて親にも目に見える形にしている。)エイミー・アンは学校司書に依頼され、教育委員会で子どもの立場から大好きなこの本の弁護をするつもりだった。でも、いざとなったら何も言えない。そして学校司書の反対を押し切り、委員会は11冊の貸出禁止を決めた。だが、一度圧力を受けてゆがめられた制度は悪い方に転がり続け、貸出禁止の対象はどんどん増えた。

 ストーリーのなかで子どもたちがさまざまに知恵を絞るところは、本書の面白さのひとつだ。まず子ども同士で本の貸し借りがはじまり、じょじょにエイミー・アンのロッカーを使った私設貸出図書館となる。足りない本はクッキーを焼いて集めたお金で購入。本を借りる子どもが増え、人目につく場所で禁止されている本を読む子も現れ、先生に見つかりそうになる。そこで、中身とは似ても似つかない書名のカバーをかける作戦が実行される。

 やがてエイミー・アンのロッカーが本で満杯になり、学校当局に発覚。彼女は登校禁止3日の処分を受けるが、仲間の応援を受けて教育委員会に「申し立て」すると決める。その作戦は、どんな本でもケチをつけようと思えばできると示すこと。当日までに思わぬトラブルもあったが、エイミー・アンたちは手続きにのっとった反論を教育委員会でおこない、最終的に追放されていた本を学校図書館に取りもどすことに成功する。

 貸出禁止になったと知って、子どもたちがそれらの本に興味をもち、読み合って意見交換することや、おとなの裏をかこうと仲間で知恵を絞ることはとても頼もしい。なお物語内で貸出禁止本とされるのは、じっさいに過去30年間に、アメリカで異議申し立てや貸出禁止措置を受けたことのある本だという。物語内に登場した本の一覧は最後に載っているので、じっくり眺め、なんなら読んでみてはいかが。

 現在制約を受けているのは、図書館利用者だけではない。各種のライブやコンサートの観客・聴衆は、中止や延期が続き、つまらないと思っていることだろう。一部はネットやテレビで配信されているが、生の体験にはかなわない。そうか、こんなときは音楽小説を読むのが、もやもや解消法になるかも。

 数年前だが、恩田陸の小説『蜜蜂と遠雷』は直木賞と本屋大賞をとった。その後映画化もされ、文庫本も出ている。作者は、浜松で開催される国際コンクールをモデルとし、架空のコンクールで競い合うピアニストたちを出場者4人に焦点をあてて描いていた。

 佐藤まどかの『アドリブ』(あすなろ書房、2019年10月)は、イタリアで暮らし、フルーティスト(フルート奏者)をめざす少年を描いた芸術家の成長物語である。この作品で佐藤が描く祐司は、恩田陸が光をあてた4人の背後にいた若者たちと、立ち位置が近いかもしれない。彼は、誰もがその才能を認める天才ではないが、音楽に魅せられ、悩みや迷いを経験していく少年である。

 祐司は10歳のときに聴いたフルートの音色に惹かれ、自分でも吹きたいと思う。まったくの素人だったが、音感があったおかげで国立音楽院のフルート科に合格する。指導者にも恵まれて上々のスタートをきるが、その後の道は平たんではない。中等学校と音楽院の両方に通い、それぞれの課題と練習をこなす二重生活は、予想以上にきついものだった。

 ところが、繰り返しフルートの技術を練習をしているうちに、祐司は宿題をやっているような気持ちを味わいはじめ、自分に限界が来たのかと怯える。それにフルートの買い替えを勧められているが、母に言い出せない。母は離婚後イタリアに残ることを選び、レストランで接客係をしている。裕司も家に経済的余裕がないとよくわかっていて、夏の合宿に参加の申しこみができない。そんなとき、合宿に行かれなくなった音楽院生が、競争率の高い2日間のマスタークラスの参加枠を無料で譲ってくれた。祐司はそこでマエストロの指導を受け、その言葉に打たれる。


  音を楽しめ。そして客も楽しませろ。/ そうだ。それが音楽だ。/ テクニックは必要だ。(中略)そしてテクニックを習得した者こそ、そのガチガチの殻を突やぶり、曲を自分なりに解釈して表現することができるんだ。(p154)


 祐司は音楽の喜びを取りもどしたが、つぎの方向性を決める段階でまた迷いにぶつかる。でも音色のよいフルートへの買い替えがかない、先生の推薦を受けてヤングオーケストラのオーディションを受けられることになった。祐司は仲間と音楽の解釈で議論を交わしたり、課題曲の演奏について模索したりしながら、オーディションの日を迎える……。

 書名の「アドリブ」にずっと引っかかっていたのは私だけだろうか。

 途中で壁にぶつかったとき、祐司の頭をかすめたのは、ジャズへ転向することだった。「アドリブ」のきくジャズのほうが、自由でよさそうに思えたのだ。その後、彼はガチガチに固定され、不自由だと思っていたクラシックにも、アドリブの要素があることを改めて認識している。物語は演奏者の立場に焦点をあてていたが、音楽の原点が音を楽しむことや、努力や犠牲を積み重ねたあとで自由な境地が得られることには普遍性があるだろう。

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 エリン・エントラーダ・ケリー作『ハロー、ここにいるよ』(武富博子訳、評論社2020年1月)はどことなく不思議な雰囲気をもつリアリズム作品。

 物語は、4人の中学生が章ごとに視点人物となって進んでいく。その1人で11歳のヴァージル・サリーナスは、自分をダメ人間だと思っている。フィリピン人の祖母は内気なヴァージルを理解しているが、彼が自分の悩みを素直に話せるのは12歳のカオリ・タナカである。ただ、日系3世で霊能者を自認するカオリに会いに行くとき困るのは、途中で、チェット・ブルンズこといじめっ子のブルに出会う確率がとても高いことだ。ブルがいつも他人に攻撃的に振る舞うのは、バスケットボールの入部テストに失敗する恐怖心や、犬をこわがる気持ちを人に知られまいとしているからなのだが。

 いっぽうヴァレンシア・サマセットは難聴で、補聴器を使うために人とテンポがずれることがある。そのせいなのか友だちを失い、いまは1人ぼっち。通級指導教室で一緒になっているヴァージルのことは、視野には入っていない。しょっちゅう悪夢をみるヴァレンシアは、過保護の親に言いたくないので、「霊能者カオリ」という人物に相談することにした。

 ヴァレンシアが初めてカオリを訪ねたその日、カオリのほうでは、いつも約束を守るヴァージルが時間通りに現れないことを心配していた。

 それより少し前、カオリを訪ねる途中でブルに捕まったヴァージルは、リュックを奪われ、古井戸へ放り投げられた。でもリュックの中には、大事なペットのモルモットがいた。ヴァージルはペットを助けようと古井戸に降りたものの、外へ出られなくなっていた。

 自分がヴァージルを窮地に陥れたとも知らず、ブルは森でヘビを捕まえて英雄になろうと企てる。その頃、カオリはヴァレンシアといっしょに、ヴァージルの行方を探し始めた……。こうして森のなかで4人の道が交差し、それぞれの人生が少しだけ変わる、とうのがこの話である。

 章ごとに視点が変わるのはよくあることだが、物語に独特のテイストをもたらしているのが、ところどころで使われる言葉を含め、フィリピンの文化だろう。たとえば井戸の暗がりでヴァージルは暗闇の生きもの<パア>の存在を感じ、運命を知らなかった女の子<ルビー>の声をきく。そしてヴァージルが<ルビー>に語るのも、小さなパウリートの話。どれも、もとはと言えばヴァージルがフィリピン出身の祖母から何度も聞いたものだ。(あとがきの説明によると、)これらの話はフィリピンの民話を土台としていて、なかには作者の創作も含まれているとのこと。なおアーティストのIsabel Roxasがイラストをつけている。翻訳書でも同じだと思うが、表紙や日本語奥付にはなぜか、その表示がなかった。

 2018年7月/8月号の「ザ・ホーンブック」誌に、ニューベリー賞を受賞したときのエリン・エントラーダ・ケリーのスピーチが掲載されている。それによると、ケリーの母はフィリピン生まれで、渡米後にアメリカ人と結婚した。ケリーは次女で、彼女が育ったルイジアナ南部には、ほかに黒髪のアジア系の子どもがいなかったため、周囲から浮いた存在だったという。だからこそ、自作に登場する内気なヴァージルや友人のいないヴァレンシアのように、孤独感をもつ人たちが、自分の本でその気持ちを減らせることを願っているという。原題の「ハロー ユニヴァース」は、宇宙の仲間である私たちに向けたメッセージとして、今、まさにぴったりだと思う。


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 新藤悦子の『アリババの猫がきいている』(佐竹美保絵、ポプラ社、2020年2月)を手にしたとき、まず惹かれたのはタイトル。でも佐竹美保が物語の凖主役ともいえる人や猫、モノたちを描いていることも大きな魅力になっている。

 シャイフは生後7か月のペルシャ猫のオス。「長老族」の猫なので、猫語だけでなくペルシア語や英語、今では日本語も読めないが話せる。3か月前から言語学者でイラン出身のアリババと暮らすようになり、猫語と日本語で話をする。

 アリババが1週間ほど海外へ出張することになり、シャイフは民芸品店<ひらけごま>に預けられた。店のオーナーの石塚さんは、世界中を旅して品物を仕入れているので、店はバザールに似ていなくもない。

 物語の大半は、シャイフが石塚さんの持ち帰った各地の民芸品と夜中に交わす会話で占められている。そもそも長老族の猫は、バザールでモノたちの希望を聞き、ふさわしい買い手を見つけるのに一役買っていたそうだ。シャイフもモノたちから毎晩、それぞれの身の上話や故郷自慢、秘めた願いをきき、先祖と似たような役回りを果たすことになる。いっぽう、<ひらけごま>近くの日本語学校に通うナグメ(母がイラン人)やタケル(日系ペルー人)は、シャイフに会いに店に遊びに来はじめ、結果的にモノたちの夢を叶える手助けをする。

 出張を終えたアリババがシャイフを連れ戻しにきた日、前から珍しいタイルを欲しがっていたコレクターも店にやってきた。シャイフはアリババにタイルから聞いたその願いを伝える。そこでアリババは、コレクターには「あなたにふさわしいものは、べつにありますよ」と意訳し、相手に別の品を買うように勧めた。アリババは、昼間は<ひらけごま>で過ごしたいというシャイフの希望を叶えようと、店の近所へ引っ越しまでした。

 民芸品はそれぞれの事情から故郷を離れる運命をたどっていた。それはそのまま、各国の情勢の変化でもあり、身近にある外国文化を感じさせる。また、店にたどりついたモノたちの願いがかなう様子は、読み手にいくぶんかの安心感をもたらすだろう。

 いとうみく作、田中映理(えり)絵の『まいごのしにがみ』(理論社、2020年2月)もまた、画と物語が切り離せない64頁の絵物語である。なにしろチケットや名刺、地図などのヴィジュアル情報が物語の展開に欠かせないのだ。

 かくれんぼをしていたぼくは、知らないおじさんに声をかけられた。気づくと、いっしょに遊んでいたはずの友だちの姿がない。いつのまにか置いていかれたのだが、トロいぼくにはよくあることだった。おじさんは死神と名乗り、ぼくの家の近くの公園を探していた。ぼくは案内してあげようと思うが、学校の先生に注意されてるし、「しにがみは いい人じゃないもん。っていうか、人でもないじゃん」(p15)と、断った。すると死神は、それは差別だ偏見だとまくしたて、自分は情にもろいせいで営業成績が悪いと愚痴までこぼす。ぼくらは似た者同士みたいだ。それに、人の気持ちを考えなさいとか、思いやりをもちなさいというのは、ふだん先生に言われていることだ。ぼくの頭はこんがらがったが、相手の希望通りに道案内をする。途中で、死神はしおれていた道端の草花に水筒の水をあげて元気にした。でもそれは相手が人ではないから。それに気づいたぼくは、死神の役目を思いだし、涙する。すると、涙に弱い死神は……。

 思いやりをめぐるやりとりが、説教味なく面白かった。物語はダメなぼくにも取り柄があることを活かしていて、オチもそれを踏まえていることを述べておく。

 廣嶋玲子の作品を続けて読んだ。

 1冊目は現代の子ども向けの冒険物語で『トラブル旅行社(トラベル)――砂漠のフルーツ狩りツアー』(コマツシンヤ絵、金の星社、2020年3月)。

 食いしん坊の大悟は、家族で飲むはずのジュースをつい1人で飲みほしてしまった。このままでは怖―い姉ちゃんにばれる。なんとかしてジュースを手に入れなくては。

 そんなとき、大悟が出会ったのが、問題を解決する旅を提供してくれるという触れこみの「トラブル旅行社」。そこでいわれるままに契約した大悟は、言葉を話すミミズクを案内役に、砂漠での旅を始める。彼に与えられたミッションは、アリババパパイア、ドクロザクロ、ドコダココナッツ、スルタンマンゴーの4つを見つけること。

 幸い、大悟は塩を運ぶ隊商に入れてもらうことができた。最初は文化の違いにとまどうことだらけだったが、特技の料理の腕をふるったおかげで、「探索者」であることも認められ、最終的にミッションを達成する。戻ってみたら、こちらの世界では2分後だった。

 大悟は「食」を介して異文化にうまく適応できた。また、危険に遭遇したときは、手持ちの道具を利用するだけでなく、機転も利かせてなんとか乗り切っている。なんとも頼もしい限りだ。言い忘れたが、波乱万丈のこの物語もまた、絵に展開が助けられている。

 もう1冊の『失せ物屋お百』(ポプラ文庫2020年2月)は江戸時代がベース。妖怪たちの世界と人間の世界が交錯するところは、同じ作者の<妖怪の子>シリーズと似ている。

 かつて、お山を統べる夫(男神さま)の度重なる浮気に腹をたてた妻の女神は、夫の鱗衣から鱗(ウロコ)を百枚近くむしりとり、人界にばらまいたという。化け狸は、主(ぬし)である神さまに鱗を1枚でも届けたいと、江戸までやってきた。だが雑鬼にたかられて倒れる。そこを助けたのが「化け物長屋」に住むお百だった。

 お百は左の眼が青いせいで生みの親に疎んじられ、人びとに化け物とののしられ、さんざんな人生を送ってきた。青い左目には人には見えないものを見る力があるので、かろうじてそれで暮らしをたてている。ところが狸の話で、それもこれも、母親のおなかにいたときに左目に鱗の1枚が入りこんだせいだと知り、お百は怒り狂う。そして鱗は返さないと言う。狸は(お百に焦茶丸と呼ばれる)居候となり、家事をしないお百の世話をしながら、鱗を取り戻す機会を待つことにした。お百のもとへ持ち込まれる依頼はいわくつきの探し物が多いし、人間の醜さを示す事件もたびたびある。だが、いつの間にか、焦茶丸とお百の間には通いあうものができていた。

 この話、面白かったので、シリーズになってほしいが、さてどうなるか。

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 シリーズといえば、創元推理文庫から出た白鷺あおい『シトロン坂を登ったら』(東京創元社、2020年2月)には、(大正浪漫 横濱魔女学校1)というシリーズ名がついている。主人公の花見堂小春は、大正時代の横浜で30人余りの生徒が学ぶ、横濱女子仏語塾に学ぶ女学生の1人。私塾の必修科目はフランス語に薬草学、そしてダンス(実態は箒による飛翔術)。人間と妖魅(オバケ、妖怪のたぐい)が混じって、みな西洋式の魔女になる勉強をしている。小春自身、首がながーく伸びる、抜け首である。

 ある日、地元紙の記者をしている(年上で)甥の周太朗が、言葉を話すヒョウらしき生きものの噂をもたらす。その正体が気になった小春たち。そのころ、近所の大きなお屋敷から申し出があり、南米から持ち帰ったとかいう珍しい絵画を見学するため、女学生たちはこのお屋敷を訪問する。やがて、そこでとんでもない冒険に巻きこまれるとも知らず。

 書名にあるシトロン坂は、ネット検索した限りでは実在しないようだ。物語中の説明によると、かつて、横倒しになった荷車からシトロン(檸檬)が大量に転げ落ちたのが坂の名の由来だそうだ。いかにもありそうなこんな話や、山手の地理文化が物語にうまく絡められている。もっと興味深いのは、この作品が同じ作者の『ぬばたまおろち、しらたまおろち』以下3部作の世界とつながっていることだ。つまり、魔女学校はその後筑波に移転し、規模も大きくなり、名称もディアーヌ学院となった。学院の前身となる横浜時代を描くのが『シトロン坂を登ったら』というわけだ。3部作中でもタイムスリップが起きていたが、ここでも、絵のなかの世界が別世界とつながっているらしく、その後の展開が大いに待たれる。

 今月取り上げた本は、どれも異文化がスパイスになっている──はず。絵本には触れられなかったが、本日はここまで。(2020年3月)

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三辺律子です。


先月こちらを書いたときには、まさか一か月後にこんな世界が訪れているとは思いもしませんでした。

まさにディストピア―――と思ってしまいながらも、3月25日付朝日新聞の國井修さん(世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)戦略投資効果局長)のインタビューを読んで、ハッとさせられました。少し長いけれど、引用します。


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以下、途中から引用(https://digital.asahi.com/articles/DA3S14415328.html

【「 」が國井さん、――はインタビュアー】


「……世界で様々な感染症の流行を見てきて、先進国にも広がってパンデミックになる病原体がいつ出るか、という問題だと思っていたので、その意味では驚いてはいません」

 ――ではどう感じたのですか。

 「途上国では新型コロナ以上の威力を持つ病原体が多く流行してきましたが、世界はそれほど真剣に取り組んできませんでした。それが主要7カ国(G7)が当事者になるとこんな反応になるんだなと。少し冷静に見ています」

 ――先進国が無関心だったと?

 「1990年代に現地調査に行ったアフリカのエボラ出血熱を思い出します。当時、致死率は90%以上ともいわれましたが、薬の開発や資金協力を訴えても、先進国はそれほど本気になりませんでした。先進国で流行しない限り、製薬会社や研究者もあまり関心をもたないのです。ソマリアにいた時も内戦と干ばつに加えて、コレラが大流行しましたが、国際社会からの十分な支援はもらえませんでした」

 「三大感染症というたった三つの病気で1日約7千人が亡くなっています。患者はマラリアだけでも年2億人以上ですが、大半がアジア、アフリカなどの低・中所得国なのでそれほど騒がれません」

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 ここだけが國井さんの発言の主旨ではないので、くわしくは全文を読んでいただきたいのですが、やはりわたしは、「それが主要7カ国(G7)が当事者になるとこんな反応になるんだなと。少し冷静に見ています」という言葉に、わかっていた「つもり」ながらも、胸を突かれました。

 この「当事者」という感覚を持つのは、本当に難しい。それはわかっているし、わたしに言えることなんてないのですが、でも、「他人事」を「自分事」にしていくために、本が果たせる役割は(時には、とても小さいかもしれないけれど)あるのではないかと思いました。

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〈一言映画紹介〉(*公開順です)


『チャーリーズ・エンジェル』

 ご存じチャーリーズ・エンジェルの再々々(くらい?)映画化。今回彼女たちが立ち向かうのは、新開発されたエネルギーを兵器化しようともくろむ男たち。いやもう、スカッとします。そうそう、「チャーリー」の意外な素顔(正確には後頭部だけど)も明かされます。


『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』

 若き天才と称賛されるグザヴィエ・ドラン監督。29歳という若さでこの世を去ったスター俳優ジョン・F・ドノヴァン。彼の謎に満ちた死を、彼と文通をしていた11歳の少年ルパートの視点から描きます。ドラン自身、子どものころレオナルド・ディカプリオにファンレターを送ったそう。母と息子の関係にドランらしい切実さも感じつつ、初の英語作品だけになんとなくハリウッド的なムードも漂うような。


『ペトルーニャに花束を』

 舞台は北マケドニアの田舎町。職なし、恋人なし、外見も平凡でやや太めの32歳ペトルーニャが、女人禁制の伝統儀式で幸せの十字架を手にしたところから物語は始まる。最初は「意識低い系」だったペトルーニャが少しずつ、本当に少しずつ変わっていくのがいい。こちら、監督にインタビューさせていただいたので、近々記事にまとめます! どうか無事上映されますように。


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以下、ひこです。

【絵本】

『ランカ にほんにやってきた おんなのこ』(野呂きくえ:さく 松成真理子:え 偕成社)

 ランカの一家は日本にやってきます。両親が働くためです。日本語がわからないまま日本の学校に通うランカ。話せない、読めない。孤独なランカ。

 上履き、給食、体育、学校生活の違いもランカをとまどわせます。

 そんなランカと日本の子どもたちが少しずつ近づいていく。

 海外からの子どもたちに日本語を教えている野呂さんは、子どもの気持ちを丁寧に描いています。


『空とぶ船とゆかいななかま』(バレリー・ゴルバチョフ:再話・絵 こだまともこ:訳 光村教育図書)

 ウクライナの昔話です。

 空飛ぶ船でやってきたら王女を結婚させてやろうという王様のおふれ。世界一のまぬけと言われる若者が、空飛ぶ船を手に入れてやってきます。困った王様は色々難題を出しますが、若者の仲間たちが特技を活かしてそれをクリア。傲慢な王様に一泡吹かせます。


『へんかしら そうかしら』(内田麟太郎:作 高部晴市:絵 すずき出版)

 バッタのバッターがいてもいいでしょう。お茶を飲むかぼちゃだっていますよ。銅像のゾウだっていますし、そうなんです。いいんです。それで。この抜け具合は内田さんならでは。高部さんの絵とも相性ばっちり。


『そらいろのてがみ』(ながしまひろみ:さく・え 岩崎書店)

 ユキの家のポストに空色の封筒。空色の便せんには、「もうすぐ はるがきます」。

 そうしてはるの風と香りと柔らかい温もりと。

 季節は流れ、またお便り。「もうすぐ なつがきます」。

 誰がよこしてくれる便りなのかは、絵本の中でなんとなくわかってきますが、季節の移ろいをとてもうまく受け止められる絵本です。

 主人公の名前はユキですから、冬が楽しみですね。そこが素敵な終わりです。


『ひかりのぼうけん』(マリー・ヴォイド:作・絵 俵万智:訳 岩崎書店)

 ベティは夜が大好き。だって、灯りをともしてゆっくり絵本が読めるから。洞窟に入るのを怖がるクマのコスモの絵本。中からでてきたコスモと一緒にベティは夜の冒険に。暗いのなんか怖くないよって。暗いから月明かりもきれいだよって。森を抜けると、絵本の中にあった洞窟。ベティはコスモと一緒に入ります。

 一番奥で、灯りを消しての表札。さすがのベティもドキドキ? 灯りと消すと!

 夜のドキドキと、優しい光を描いた秀作です。


『世界魔法道具の大図鑑』(バッカラリオ/オリヴィエーリ:文 ソーマ:絵 小谷真理:日本語版監修 山崎瑞花:訳 西村書店)

 古今東西の物語に出てくる魔法道具を大掲載です。いや、まあ、楽しいわ。しかし、家には一つも持っていないのに気づかされもする。なんか、すごく残念。わし、魔法使えへんかったんや。


『おひなさまの平安生活えほん』(ほりかわりまこ あすなろ書房)

 おひなさまから見えてくる平安貴族の生活ぶりを詳しく描いた、おひなさま文化史絵本です。すみれちゃんとあかねちゃんがおひな様の世界へ飛び込みます。

 平安貴族への興味から、歴史への興味、そして文化への興味までが喚起されてきます。いいなああ、こういう描き方。


『旅でみる世の中のしくみ大図鑑』(リビー・ドイチュ:作 バルプリ・ケルトゥラ:絵 ポプラ社)

 自分のみの周りにある物がどうしてそこにあるかを、旅として描いた絵本。水、バナナ、チョコレート、GPS。生活を支えている物たちを、こうした見せ方で伝えるのは、とてもいい。世界も社会も繋がっていて、自分もその一員なのだと実感できます。

 一つ一つ、細かく解説していますよ。


『おもいでは きえないよ』(じょせふ・こえロー:作 アリソン・コルポイズ:絵 横山和江:訳 文研出版)

 おじいちゃんとの楽しい日々。そしておじいちゃんの死。それでも心に残るおじいちゃんとの思い出。

 おじいちゃんが作って残してくれたノートに少女は、おじいちゃんのことを一つ一つ描いていきます。


『ポコンペンペン ばけがっせん』(ザ・キャビンカンパニー:作 アリス館)

 きつねとたぬき。どっちが怖い顔をできるか合戦です。

合戦部分のページは、画面を三分割してあり、それを組み合わせていくことで686通りの顔ができあがります。アイデアの勝利。

すきな顔を作って合戦してくださいな。


『こもれび』(林木林:文 岡田千晶:絵 光村教育図書)

 木陰。草花たちは木漏れ日を待ちわびています。そんな彼らのささやきや思い。耳を澄ませた林が拾っていきます。それはまるで詩のようでいて、でも、日常の時間の中に溶け込んでいて、やっぱり詩でもあります。

 なぜかなかなか日が当たらないすみれ。日を浴びるたんぽぽ。それぞれがいて、それぞれの思いがある。

 もちろんそこに人間の生業を見ることも可能です。

 美しい。


『まひるのけっとう』(マヌエル・マルソル:作 中川ひろたか:訳 光村教育図書)

 ネイティブアメリカンとカウボーイが小川を挟んで決闘です。画面は両者の横顔をアップにして、大迫力! ですが、なんだか、だんだん、決闘をしている意味が脱臼されていき、それでも何度もしきりなおしをするけれど、やっぱりなんかあって、だんだん決闘しているのかどうかもわからなくなり……。

 訳文の言い回しもいいですね。


『おばけが ふくを なくしたら』(シャルル・ル・プレヴォ:文 カミーユ・ポメロ:絵 ふしみみさお:訳 光村教育図書)

 おばけのヒュルンとドロンが遊んでいたら、強い風が吹いてきてドロンの服を吹き飛ばしてしまいます。裸になったドロンは、おばけだからどんなものでも服に出来るので色々試します。

 発想がおもしろいなあ。オチもいいし。


『みならいうさぎのイースターエッグ』(エイドリアン・アダムズ:作・絵 三原泉:訳 徳間書店)

 イースターエッグに模様を描くのが仕事のウサギの家族。子ウサギはまだまだうまく描けません。シーズン前に家族旅行。子ウサギは色んな物にイースターエッグの模様を描くことを思いつきます。馬車でしょ、家でしょ。嫌い、かわいい。大ヒット。

 自信を付けた子ウサギくん、オリジナルの模様をイースターエッグに描きます。もちろんこれも大受けです!

 子どものやる気がとってもいいなあ。


『せがのびる』(やぎゅうげんいちろう:作 月刊「かがくのとも」3月号 福音館書店)

 子どもがどんどん大きくなるとはどういうことかを、やぎゅうがちゃんと語り、子どもに伝えていきます。ユーモアたっぷりですが、おもしろおかしくではなく、まっすぐに語ります。好きだな。


『線と管のない家』(森枝卓士:文・写真 吉田全作:写真 中村好文:絵 月刊「たくさんのふしぎ」3月号 福音館書店)

 ライフラインを外から引かずに、完全にエコシステムにした家を建てようと、森枝と友人の牧場主吉田と、建築士中村が、吉田家族の家を建てるまでを見せていきます。

 電気はソーラー。水は雨水濾過し、太陽熱で温水に。トイレの汚水は肥料に。

 見える形(当たり前か)なので、リアルにわかります。快適そうだ。

 いつも美味しいチーズをありがとうございます、吉田牧場さん。


『じゅぎょうに しゅうちゅう したいのに… ~感じ方のちがい~』(NHK Eテレ「u&i」制作班:編 西田征史:原作 鈴木友唯:絵 ほるぷ出版)

 アイちゃんの悩みは、教室で隣に座っているユウくんが落ち着かないこと。エンピツをコロコロさせたり、体操着をバンバンたたき続けたり。気になって仕方がありません。

 どうしてユウくんがそうなってしまうのか? 単に落ち着きがないんじゃなくて、というところを、シッチャカとメッチャカが伝えます。

 理解と寛容。それを優しく教えてくれます。


『ピーターとオオカミ』(降矢なな:絵 ペテル・ウフナール:絵 森安淳:文 偕成社)

 プロコフィエフ作曲の「ピーターと狼」の絵本版です。2019年の松本市での小澤征爾指揮で演奏されたとき、降矢さんの絵をスクリーンに映した企画を元に加筆、修正されたものだそうです。

 ピーターの知恵と狼の戦いが描かれますが、劇ですから、狼も結構かわいくて、愉快です。どの楽器がどの動物かの解説も入っていて、音楽の方も楽しみやすいですね。


『ちいさなしまの だいもんだい』(スムリティ・プラサーダム・ホールズ:文 ロバート・スターリング:絵 なかがわちひろ:訳 光村教育図書)

 橋で結ばれた水鳥が暮らす小さな島と対岸の哺乳類たち動物は仲良く暮らしていました。しかし、あるときがちょうたちは、島に対岸の動物たちが多くやってきすぎると文句を言い始め、会議をし、少数派のアヒルを押し切って、橋を壊すことに決めてしまいます。

こうして、島と対岸との交流は途絶えます。最初は快適でしたが、力仕事や、樹上の果物取りや、色々不便が出てきてしまいます。やっぱり色んな生き物が仲良くやる方がいいね。

イギリスのEU離脱パロディ絵本ですが、多様性の問題としても読めます。


『さくらがさくと』(とうごうなりさ:さく 福音館書店)

 さくらの花芽が出てきて、つぼみが膨らんで、咲き始めて、咲いて。と、人々が忙しく行き交う並木を定点観察のように描いていきます。わくわくし、心が開き、春と一緒に暖かい心が笑い、そしてやがて散っていくけれど、葉桜から新緑へと、希望が膨らんでいく様子。

 とても美しい。

 少し残念なのは、歩きスマホの会社員が常に描かれていること。現実にいるのはわかりますが、ここに必要だったかしら? そこだけが残念。


『ケーキ』(小西英子:さく 「子どものとも燃焼版」4月号 福音館書店)小西の描く食べ物は危険だ。その表情があまりにおいしそうで、食べたくなる。いつもそうなのだ。で、今回はケーキであるからして、血糖値が気になるお年頃としては、気をつけないとだめなのだ。ああ。今日くらい、いいかあ。


『ぴったりこ』(木坂涼:文 及川賢治:え 「こどものとも0.1.2」4月号 福音館書店)

 動物の親子がぴったりこです。木坂の言葉のリズムに反応してか、及川の絵はまさに親子がぴったりこ。簡単そうだけど、これ難しいよ。立体感を見せる線がうまく活かされている。うん。いい絵だなあ。


『おひめさまになったワニ』(ローラ・エイミー・シュリッツ:さく ブライアン・フロッカ:え 中野怜奈:やく 福音館書店)

 コーラ姫をりっぱなプリンセスにするために、両親は厳しくそだてます。こんなのちっとも楽しくないと、コーラは妖精に願いを掛けるのですが、やってきたのはなんと、シュークリーム大好きのワニ。コーラは自分と入れ替わってくれたらシュークリーム食べ放題と約束。お姫様の衣装を着た、まあ、かなり無理があるワニってのが、まず笑えます。で、もちろんばれてしまいますが、王様とお妃様はワニにお仕置きされて大変。一方解放されたコーラは、自由の喜びに浸ります。さてさて、お話の結末は?

 楽しいぞ。


『プレストとゼスト リンボランドをいく』(アーサー・ヨーリンクス:文 モーリス・センダック:文・絵 青山南:訳 岩波書店)

 元々絵本ではなく、センダックがロンドンフィルが演奏するわらべうたのために描いたプロジャクションのための絵を、友だちのヨーリンクスといっしょに絵本に仕立てた作品です。従って、10枚の絵には繋がったストーリーはなく、それを二人ででっち上げたんpで、その時点でもうナンセンスなわけです。

 プレストとゼスト(実はこれヨーリンクスと、センダックが互いを呼び合っていたあだ名)はおいしいケーキを食べたくて、生きたくはないリンボランドへと出かけます。そこでは砂糖大根の結婚の準備で忙しく、しかも結婚式が終わらないとリンボランドからでることはできない! で、結婚式のお祝いにはバグパイプのプレゼントはかかせないと知った二人は、それを持つ恐ろしい怪物バンボの元へと出かけます。

 なんだかよくわからない展開が、おもしろいですね。この無理矢理感がすてきですよ。もちろんセンダックの絵ほどそれにふさわしいものはない。


『まめちゃんとまじょ』(はまのゆか 教育画劇)

 まめちゃんの友だちの魔女ジュモンさんが魔法の杖をどこかに忘れてしまって、二人で探す絵本です。指揮棒や、絵の筆や、編み棒を魔法の杖を間違えたりしますが気にしない気にしない。きっと見つかるって。

 まめちゃんの自由で明るい性格が清々しいですね。


『ようこそ! ここはみんなのがっこうだよ』(アレクザーンドラ・ペンフォールド:作 スーザン・カウフマン:絵 吉上恭太:訳 すずき出版)

 学校にやってきて、授業が始まる。地理、音楽、お絵かき、昼食。描かれている子どもたちは多種多様。そうして、どのページでも最後の言葉は「みんなのがっこうだよ」。

 気負うことなく、人種、宗教を越えて楽しく遊び学ぶ子どもたちの姿は、心を温め、解き放ってくれますよ。


【児童書】

『空猫アラベラ』(アティ・シーヘンベーク・ファン・フーケロム:作 野坂悦子:訳 Sola)

 文庫サイズのかわいい絵物語です。

 八年前に死んでしまった猫のアラバラ。実は猫は飼い主に会いたくなったら空から戻ることが出来るのです。空を飛ぶかごに乗って戻っていくアラベラ。そうそう、空猫を見ることができるのは、猫だけですから、飼い主にもわかりません。

 空へ戻るのに必要なかごを置き忘れたり色々失敗はありますが、猫たちには歓迎されて、飼い主と一緒に眠れて、大満足。

 でも、飼い主の方が、気配を感じるのか、さみしさが募るのか、だんだん元気をなくしてしまいます。もう一度明るくするには、猫を飼うしかない!

 本当にかわいい小さな本に、優しいお話と、あいらしい猫たちがえがかれていて、贅沢な一冊ですよ。


『てのひらに未来』(工藤純子 くもん出版)

 中学生の琴葉の家は旋盤工場。そこで働くことになった天馬。彼は母をいじめていた祖母と、母をまもらなかった父を憎んでいて、家を飛び出したのをある校長が預かって、琴葉の父親に雇うように頼みに来ました。実は父親もまた中学生のこと家を継ぎたくなくて家出したのをこの校長に助けられたのですが、その縁もあって引き受けます。

 もちろん、ラブストーリーも展開していくのですが、それがとても実感を伴うのは、この物語がこの国の歴史や今の時代を背景としてではなく彼らの恋と関わるように描いているからです。つまり、「2人の世界」に閉じてしまわない。考えてみればどんな恋だってそのはずなのですが、ついつい現場は舞い上がってそれを背景に追いやってしまうことが多いです。地に足がついているのが、この物語のいいところ。

 ぎゅんと捕まれました。


『リスタート』(ゴードン・コーマン:作 千葉茂樹:訳 あすなろ書房)

 13歳のチェースは家の屋根から落ちて一切の記憶をなくしてしまいます。どうして屋根に上っていたかは最後に明らかになりますが、それは置いておいて、彼が学校に行くとみんなが逃げる。憎しみの目も感じる。彼は学校のアメフトのスパーヒーローなのですが、同時に学校一番のいじめっ子で、多くの生徒を苦しめていたのでした。その記憶が全くないチェースはとまどいますし、とてもいいやつで弱い子を助けるし、それで昔の割る仲間は半信半疑だし、いったいどうなるのか?

 深刻な問題をエンタメもたっぷりに考えさせてくれる秀作です。


『ソレルとおどろきの種』(にこら・スキナー:作 宮迫宏美:訳 パーパーコリンズ・ジャパン)

 ソレルは一生懸命働いてくれている母親を喜ばそうと、校長が始めた従順ないい子になる競争に夢中になります。一位になれば旅行もプレゼントされるからです。

 裏庭の柳の近くのアスファルトが割れて、ソレルは種の入った封筒を発見。その種は頭に植物を生やす魔法の種だったのです。なぜ? どうして?

 不思議の謎と、学校での自由のあり方と、親子のコミュニケーション齟齬、エコロジー。贅沢なほど素材を詰め込んでいながらライトで楽しい物語に仕立てている腕は確かです。


『ぼくたちは卵のなかにいた』(石井睦美:作 アンマサコ:絵 小学館)

 リョウ、ナオト、ミサキ。12歳の三人は親友。彼らの世界は卵の中にあります。水平線はあるところまで行けば行き止まり、おそらく空中もそうです。しかし、そこは穏やかで、悪は存在せず、悲しみもない幸せにあふれた世界。守られた世界でしょうか。

 13歳の誕生日、子どもたちは選択せねばなりません。ここに残るか、出て行くか。出て行けば閉じた空間ではなく、新しい異世界が待っています。

 リョウとミサキは出て行くことを選択し、ナオトは残ります。

 誕生日、ワープのようにして突然、リョウは異世界へと転送されます。そこは、憎しみを知るための世界でした。そしてそこからまたワープした先は私たちの世界。すべての記憶をなくしたリョウは、同じ顔立ちで失踪してしまった少年陽の家に、その陽として住むことになります。けれど、どうしてもほんとうの両親とは思えない。自分は誰なんだろう。

 実は陽の両親もリョウが陽ではないことを知っていて、それでも、子ども代わりに彼を陽として扱っていたことがわかります。

 自分は誰なのかを、どう決めればいいのか? 卵の世界は本当にあったのか?

 13歳論ではないですが、そこに大人との節目を見る作品です。


『ぼくにだけ見えるジェシカ』(アンドリュー・ノリス:作 橋本恵:訳 徳間書店)

 フランシスは、ファッションに興味があって、裁縫も得意ですが、そのために男の癖にといじめられ、自分のことがいやになっています。そんな冬の日、ノースリーブの女の子がベンチの隣に座ります。え? 冬だよ。フランシスが気づいたのを知ってその子、ジェシカは驚きます。だって彼女は幽霊だったからです。

 こうしてジェシカは幽霊だけどフランシスがファッションに興味があるのを認めてくれる初めての友だちとなります。

 そして、登校拒否のアンディ、引きこもりのローランドと、ジェシカが見える子どもが見つかっていきます。なぜ彼らだけジェシカが見えるのか? ジェシカをあの世に生かせるためか、それとも逆に、ジェシカが彼らを救っているのか?

 自分が自分であることの意味を描いています。


『雷のあとに』(中山聖子:作 岡本よしろう:絵 文研出版)

 小学五年生の睦子は、自分の名前が気に入らない。というのは、お母さんの目はいつも兄の貴良に向いていて、睦子という地味な名は、兄と仲睦まじくの意味で、いつも兄中心だと思うからです。

 睦子には親友がいたのですが、いつの間にか新入生の子と仲良くなってしまい、彼女はひとりぼっち、それもあって、ハルおじさんの家でよく時間を過ごしています。ハルおじさんは、母親の亡くなった兄で、彼の家が空いたままになっているのです。

 ハルおじさんは子どもの頃から心臓が弱く、親は彼にかかりっきりで、睦子の母親はかまわれなかったことがだんだんわかってきます。だから彼女は貴良に愛情を注いでいるのですが、それは、自分の親の繰り返しであることが見えていません。

 物語はそんな親に兄と思うと気づいていく様子を丁寧にえがいています。

 親との距離の取り方、付き合い方を学んでいく睦子。

 学校友だちと違って家族は結びつきが強いと思われているだけに、大変なのです。

 秀作です。


『学校がなくなった日 中国の子どもたちと戦争』(中由美子:編訳 素人社)

 8編の短編が収められています。内2編が1930年代で、残りが1949年以降です。

 占領下の中国の子どもの視点(一作品は朝鮮の子ども)から描かれたそれらは、侵略国人であるわたしに痛く、けれど、考えの幅を広げてくれます。


『きみが、この本、読んだなら』(「ざわめく教室編」と「とまどう放課後編」の二巻 戸森しるこ他 さ・え・ら書房)

 八人の作家が、それぞれお気に入りの本を素材にして書いた短編集です。作品を読んで、そこに出てくる物語を読む。ここから読書の森へとスタートです。フィクションによるブックガイドともなりますね。


『窓』(小手鞠るい:作 小学館)

 中学2年生、窓香の元にアメリカから大型封筒が届く。それは亡くなった母親マミーが綴った窓香への手紙形式のノートだった。彼女の両親は、8歳の時に離婚して、マミーだけがジャーナリストの勉強をするためにアメリカに残ったのだ。ノートにはそれ以降の母親の活動と、窓香への思いが書かれていた。

 大学院で勉強をしながら戦場カメラマン(大型封筒を送ってきた人物)のアシスタントとして目撃したイランやウガンダでの子どもの姿を語る母親の手紙の中身と、幼い頃にアメリカで暮らしていたから英語が堪能なためにいじめられ、自分を偽って生きるようになっている窓香の成長していく姿とが交互に示されていきます。

 子どもと別れないと自分が望む生き方をできなかった母親と、自分を探している娘の物語。


『ぼくたちがギュンターを殺そうとした日』(ヘルマン・シュルツ:作 渡辺広佐:訳 徳間書店)

 敗戦直前のドイツの村には、難民たちがやってきて、その子どもたちとフレディは遊ぶようになる。その中でギュンダーという、少しのろまな子がいるのですが、彼をみんなでひどくいじめてしまう。

 その発覚を恐れた彼らはギュンターを殺そうとする。

 戦争が殺害の敷居を下げてしまった時代の子どもたちにとって、それは自分たちが生き延びるための選択の一つになっていた。

 作者の体験から生まれた物語です。


『うちの弟、どうしたらいい?』(エリナー・クライマー:作 小宮由:訳 岩波書店)

 お父さんが亡くなり、お母さんが失踪し、12歳のアニーは弟のスティーヴィーと、おばあちゃんの家で暮らしています。

 弟は、悪い友だちとつるんで、色々しゃれにならないこともやるので、アニーは弟にかかりっきりです。おばあちゃんはただ叱るだけ。そんなとき、赴任してきたストーバー先生が弟の担任となり、アニーの相談相手ともなり、弟の心も柔らかくなっていきます。けれど、家の事情でストーバー先生は学校を休むこととなり、また弟は荒れ始めます。アニーはおばあちゃんに隠して、弟を連れてストーバー先生に会おうと列車に乗るのですが、果たして会えるでしょうか? そして弟の心は?

 弟の気持ちも、アニーの気持ちも、おばあちゃんの気持ちも、とてもよくわかります。彼らがどう理解し合えるか、「家族」として受容しあえるかが描かれています。


『おいかけっこのひみつ-しましまとたてがみ-』(いとうひろし ポプラ社)

 走りに自信のあるシマウマはみんなと離れてのんびり草を食む。走りに自信のあるオスライオンは、メスに任せず、お遊び気分で草食動物を追いかける。

 そんな二匹が出会い、追いかけっこになります。お互いなかなかやるなと感心していましたが、あんまり早すぎたので、シマウマのシマが取れてしまう。これじゃあ、仲間の元に返れないと、シマを探すシマナシウマ。と、あった、あった。というか、シマがライオンの体に! ライオンはライオンで、これでは仲間の元に返れないと困ってしまって、相談の末、今度はシマウマがライオンを追いかけてシマを移す計画、だったんだけど、シマじゃなくたてがみがシマウマに……。どうしましょう。

 と、混乱が続いていきます。

 さてさて、落ち着く先は?

 哲学書であります。


『はるかちゃんが、手をあげた』(服部千春:作 さとうあや:絵 童心社)

 小学校に入学するとき肺炎になって1週間遅れてしまったはるかは、すでに出来ているクラスの子たちにとけこむタイミングを失い、話せなくなります。家では話せますが、学校だと声が出ない。2年生になった今ではみんなも慣れてはるかをそのまま受け入れています。でも、はるかは話したい。話したいのに話せないのはつらいです。

隣の席になったあきらが積極的にはるかに関わってきます。それではるかも声がで世相になりますが、あきらが病気で休んでしまい……。

はるかのこまかなこころの揺れが丁寧に描かれています。

そうそう、『やましたくんはしゃべらない』(山下賢二:作 中田いくみ:絵 岩崎書店)と一緒に読めばいいですね。


『氷の上のプリンセス ジュニア編5』(風野潮:作 青い鳥文庫)

 全国中学スケート大会を制したかすみ。これでシーズンは終了! のはずが、世界ジュニア出場選手の一人がけがをして急遽代役に。

 今年の開催場所はフィンランドの南向かいにあるエストニアの首都タリン。そして、そこでかすみが見たのは4回転を跳ぶロシアの選手だった。うろたえるかすみ。どうする?

 そうかあ、アクシデントの末とは言え、もう世界ジュニアか。成長しましたね。もはや孫娘を見るおじいさんの境地でありますよ、わたしは。


『異能力フレンズ2 呪いの手紙』(令丈ヒロ子:作 青い鳥文庫)

 星降菜と居想直矢、堀内優大の三人は、それぞれ異能力を持っています。降菜は電気、直矢は思念、優大は物を動かす。彼らは学校には通っておらず、月光寺に住職が運営する月光スクールに通っています。

 偶然は母校の後輩がいじめられているのを知り、それを助けようと奮闘します。が、そればかりか、彼女へ呪いの手紙が送られてきて……。

 シリーズがいよいよ本格的に動き出しました。


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