【児童文学評論】 No.249  2018.12.31

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西村醇子の新・気まぐれ図書室(36) ――六日のアヤメか十日のキクか──  

 この「気まぐれ図書室」をみなさんがお読みになる頃には、2019年に突入していることだろう。ただ、書いているのはクリスマス前なので、時期外れの部分はご容赦を。

 最初に、相模原市の書店が行っている「サンタプロジェクト・さがみはら2018」の話から。これは病院や児童ホームでクリスマスを過ごす子どもたちに、サンタがわりに本を贈る趣旨で、少し前にくまざわ書店から始まったとか。2018年の場合、くまざわ書店相模大野店に、ブックファースト・ボーノ相模大野店、ACADEMIA(くまざわ書店アリオ橋本店)、三省堂書店海老名店の計4店舗が協力店、事務局は相模女子大学の人間社会学部浮ケ谷研究室が担当している、とチラシに書かれていた。

 システムは簡単で、プロジェクトの趣旨に賛同した人が、子どもの性別と年齢だけが書かれたメッセージカードから1枚を選び、その相手に贈る本を購入。その場でカードには(匿名の)一言メッセージを書き添え、書店員からラミネート加工した「サンタ認定証」を受け取る。書店ではその本とメッセージカードをラッピング。事務局が後で子どもに届ける。

 昨年もこのサンタプロジェクトのタテカンを店頭で見たはずだが、認定証をもらった記憶がないから、プロジェクトには参加しなかったのだろう。今年は参加し、サンタさんになった。

 システムは簡単でも本選びは手こずった。贈ろうとする相手がどういう事情を抱えているのか、どんな性格や趣味なのかわからない。財布とも相談しながら、自分の好きな比較的無難(そう)な本を選ぶ。1人目は定番のクリスマス絵本(五味太郎の「まどからおくりもの」)、2人目は『飛ぶ教室』、3人目は、世界ショートセレクション8巻目の『名探偵ホームズ 踊る人形』(千葉茂樹訳、ヨシタケシンスケ絵、理論社2018年6月)となった。

 ホームズについては、「探偵」ものが好きな子なら読んだことがあるかもしれないとは思った。でももしまだなら、本家(!)シャーロック・ホームズをきちんと押さえておいて損はない。それに、「まだらの紐」は知っていても、「ワトソンの推理修行」は知らないよね。

 理論社のこのシリーズは、どれも各巻の訳者が短編選びからおこなっていて、嬉しいことに、その意図や狙いは訳者あとがきに書かれている。最後に挙げた「ワトソンの推理修行」は、一般のホームズ作品集には含まれない外伝にあたるそうだ。科学捜査の発達した現代とはひとあじ違う、観察と推理に基づくホームズ流の謎解きを、受け取った相手は楽しんでくれただろうか。

  *

 ミステリ心(?)が刺激されたので、ジュディス・ロッセル作『海辺の町の怪事件』(日当陽子訳、評論社、2018年12月)を手にした。「ステラ・モンゴメリーの冒険1」とあって、3部作の1冊目だった。活字は黒がふつうだが、この本では少し青みがかった色が使われ、細かなペン画のイラストも同色。作者ロッセルはオーストラリアに住む作家・イラストレーター。同じオーストラリアの作家ジャッキー・フレンチ(『ヒットラーの娘』の作者)が書いたノンフィクション数冊に挿絵をつけてもいるようだ。

 物語は、19世紀イギリスが舞台ではあるが、世にも不思議な物語や世にも怖い物語風というか、現実を少し誇張した人物と出来事が満載である。孤児のステラは、3人のとても厳めしいおばたちに育てられている。現在は健康志向のおばたちと保養地のホテルに長期滞在中。ところがステラがこっそり温室で息抜きをしていると、宿泊客の老紳士が小さな包みを隠した。さらに、老紳士が不気味な一団に襲われるのを見かけた後、ステラは紳士からこのいわくありげな包みを預かる。そして誘拐されたり、事件に巻き込まれたりする。

 保養地の桟橋には、シニョール・カッペリとネコたちによるパーフォーマンスや、手品やイルージョンを操るスターク教授のショーといった面白そうな出し物の広告が並んでいた。ステラは、教授に幻視をさせられていた少年ベンから、自分も「フェイ」だと教えられる。


  「ばあちゃんが、いってたんだ。フェイは古い魔法のこだまみたいなもんだって。妖精や巨人や魔術師がいたころにくらべたら、もうあまり力がない、ちょっとだけの魔法だって。」(71ページ)


 ベンによると、魔法の力は家族にひきつがれるもので、ステラにも何かしら親から受け継いだ不思議な力があるはずだという。でもステラは母親のことを何も知らない。いっぽう、殺された老紳士はいつのまにか木に変わっていた。老紳士に、開封しないようにと警告された包みに邪悪なものを感じたステラは、怪しげな教授には渡すまいとする。だが、教授は力をもったおとな。子どものステラがかなうはずもなく、結局、包みを奪われる。ところがその中身は、教授が期待していたものとは異なっていて・・・

 孤児院に比べれば、保養地のホテル暮らしは恵まれているように思える。しかし3人のおばの教育方針は極端に保守的で、ステラはピアノの練習では間違えるたびに手をたたかれ、姿勢を正すレッスンでは、頭に本を載せて歩かされ、脱走がばれるとお茶や食事抜きにされる。現代ならこれらは虐待であろう。ただしステラはけっしてこんなしつけに負けていない。同年代のベンや旅芸人一座の女の子たちと打ち解けられるし、あきらめずに何度も状況打破を試みている。

 物語は教授がやっつけられ、閉じこめられていたステラがようやくおばたちのもとに帰るところで終わる。ステラがこの後も自分のアイデンティティ探求を続けると予想できるので、つぎの巻も読みたい気持ちになる。

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 ロッセルの作品にはドイツ・ロマン派のE・T・A・ホフマン作品のかすかなこだまが感じられた。そしてホフマンといえば、1816年に彼が発表した『くるみ割り人形とねずみの王様』は、れっきとしたクリスマスもので、バレエや音楽でも有名だ。この話をディズニーが『くるみ割り人形と秘密の王国』のタイトルで映画化し、日本では2018年11月末公開された。村山早紀文、北見葉胡絵の『くるみわり人形』(ポプラ社2018年11月)は、E・T・A・ホフマンの作品を短くわかりやすく書きなおしたもので、映画の公開を含め、この図書室では時期的に「六日のアヤメ」となった。

 余談だが、この「世界名作童話」シリーズの『アラビアンナイト』(濱野京子文、篠崎三郎絵、ポプラ社2018年3月)にも収められている「アラジンと魔王のランプ」を元にした実写版映画がアメリカで作られている。(日本での公開は2019年6月とか)。

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 ロッセルの『海辺の町の怪事件』は部分的にアイルランドの伝承を利用しているようだが、アメリカのキャサリン・アップルゲイトは、アイルランド発祥の、樹に願いごとをする慣わしをモチーフにしてアメリカの町の話を書いた。それが『願いごとの樹』(尾高薫訳、偕成社2018年12月)である。

 移民の多いこの町では、樹齢216年のレッドオークに、毎年5月1日に願いごとを書いた紙きれや短冊、端切れなどを、吊るす慣わしがある。オークの木陰には、壁やドアの色以外そっくり同じ二軒の家が建っていて、青い家と緑の家と呼びならわされている。その青い家にイスラム系の家族が越してきた。青い家の少女サマールはこのオークに、「友だちがほしい」というメッセージをつるした。隣の緑の家には同じ小学校に通うスティーブが住んでいるが、二人とも恥ずかしがり屋らしく、言葉を交わせないでいる。

 さて、町のなかにはこの家族に反感をいだき、そのことをあからさまに行動に移す人びとが現れた。ある子がオークの樹に「出てけ」とナイフで彫ったのも、その影響だった。この一件が契機となり、2軒の家とそこに立つ樹の所有者フランチェスカは、前々から検討していた樹の伐採を、5月1日を目前とした時期に、本気で実行に移そうとする。だが、それに反対する人たち。もちろんオークと友だちになったサマールやスティーブもそうだ。

 ここまで述べてきたのは物語の背景で、肝心のことをまだ書いていなかった。それはこの物語の語り手が、レッドと名乗るこのオークの樹だということだ。オークの樹には、枝に巣をつくるもの、根元に巣穴を掘るもの、葉っぱに卵を産み付けるものなど、さまざまな生きものが家をつくっている。今もフクロウやフクロネズミ、アライグマ、スカンクなどがこのコミュニティに暮らす。レッドは、ここに住む限り隣人を食べてはならない、という申し渡し以外、彼らに干渉しないできた。また、友だちでもある若い雌のカラス(ボンゴ)とはよくしゃべるが、人間と言葉を交わす気もなかった。サマールがスティーブと友だちになれるように、自分が一肌脱ごうとするまでは。その間にフランチェスカは伐採業者を呼ぶと見積もりをさせ、青い家と緑の家のおとなたちに、樹の伐採を予告する。

 

その日の午後、死刑執行人があらわれた。(中略)トラックにのせられて大型の電動のこぎりが運びこまれ、切り株破砕機という不吉な名前のしろものまで登場すると、さすがのわたしも、これは大変なことになったと思いはじめた。(43章)


 レッドの「美しい枝のつくる木陰に立って」、レッドを切りたおす相談をしている人たち。「無神経にもほどがある。」と、レッド。さすがのレッドも、その夜は翌日のことで頭がいっぱいで、休めなかったと告白する。

 この図書室では紹介した物語の結末を語ることが多いが、この作品については、不寛容の時代にあって、希望を感じさせる予想外のことがオークの樹に起こった、と述べるにとどめたいと思う。

 ここで連想ゲーム風の余談を。ジョナサン・オージェの『夜の庭師』(山田順子訳、創元推理文庫、2016年11月)は、アイルランド人弟妹が、英国経由で新大陸に向かおうとしていて両親と離れ離れになり、ヴィクトリアの英国で寝泊まりできる場所と食べ物を求めて苦労し、ある屋敷で住み込み奉公をする話である。だが素性も不確かな二人の子どもを雇い入れるには、屋敷側にも相応の理由があった。近隣の人は誰も屋敷に近寄ろうとせず、また四辻で出会った語り部を生業(なりわい)とする老婆も、命が惜しければ行くなとまで2人に言う。それは、屋敷に寄り添うように立つ大きな木が、屋敷の中にまで枝を伸ばしていることと、その巨木の世話をする不気味な庭師と関係があった。

 そう、この物語もまた、アイルランド発祥の願いごとの樹をモチーフにしたと思われる、ゴーストストーリーである。なお文庫巻末の作者あとがきによると、作者は、背景としてアイルランドの大凶作と移民を利用。また創作面ではレイ・ブラッドベリや、ワシントン・アーヴィングの作品にインスピレーションを受け、バーネットの『秘密の花園』には弟妹を理解する助けを得たそうだ。ちなみにオージェはカナダの作家なので、この作品でカナダ図書館協会児童図書賞を受賞している。『願いごとの樹』とは対照的な不気味さいっぱいのダークファンタジーとして、『夜の庭師』は忘れがたい本だ。

 最近、低学年向けの作品で面白い本に巡りあった。

その1つが『みけねえちゃんに いうてみな』(村上しいこ作、くまくら珠美絵、理論社2018年11月)だ。

 小学2年生のともくんとおかあちゃん、それにネコの「みけねえちゃん」からなる3人(!)家族。パートに家事に忙しいおかあちゃんは、夕方のネコエクササイズ(挿絵がたのしくて笑える)中のみけねえちゃんに、ともくんをさがしに行って、という。たぶん公園にいるだろうからと。


「わかった。けど、あんまりわたしのこと、アテにせんといてな。いうたかて、わたし、ねこやねんから。」「ふつうのねこは、口答えなんてせんやろ」(4ページ)


 不満をおさえ、みけねえちゃんは「四本足で」走り、ともくんを見つける。最近自分のことを「うーちゃん」というようになった、ともくん。悩みがあるようだが、みけねえちゃんはときどき母親のスパイをするからと、打ちあけてくれない。そこでみけねえちゃんは、翌朝、学校で子どもたちの様子を観察する。ともくんは、いじめられて悩んでいるわけではないとわかる。でもほかの子が、教室の壁に張り出されている自己紹介のうち、名前のないのがともくんのだと教えてくれた。「うーちゃん」なんて言い始めたのも、名前の由来を調べる宿題にたいして母親が答えなかってからだった。

 ともくんの悩みを知ってみけねえちゃんは母親と向き合う。そしておとなでも、人に触れられたくない傷があったことを知り、代わりにともくんに、その名前の由来と、話すのがつらかった母親の気持ちを伝える。

 この物語ではネコはペットの領分にとどまらず、家族の一員としての役割を果たしている。人間とふつうに口が利けることから、「おとな」と「こども」両方を客観視し、関西弁でコメントしながら仲介役まで務めるスーパーねこちゃんである。こんなネコがいたらなあと思ったが、いやいや、我が家での待遇に不満だと言われたり、口答えされたりするのは嬉しくない。

 同じく小2の男の子の夏を描いたのが、いとうみくの『ぼうけんはバスにのって』(山田花菜絵、金の星社、2018年9月)。タクは毎夏、お姉ちゃんと山梨に住む祖父母のもとに行くことを楽しみにしている。でもタク1人では行かれないのに、今年、お姉ちゃんは中学の受験に備えて塾通いをするという。幸い、高速バスに乗れば目的地までは一直線だし、向こうでは停留所まで迎えに来てくれることになり、タクの1人旅にお許しがでた。

 喜びいさんで高速バスに乗ったタクだが、途中から隣の席には体の大きなおにいさんが座って動けなくなるし、うっかり寝こんだために停留所を通りすぎたかと思って心配。それに、途中のサービスエリアでトイレに行ったら、駐車場には同じようなバスが並び、どれが自分のかわからなくなっちゃった。

 心配性の子どもに限らず、ここに挙げたよう経験は誰にでもありそうだ。数時間のバス旅を、こんなにもはらはらする、等身大でリアルな「冒険」の物語に仕立てられるところに、いとうみくの物語作りのうまさがある。

 3冊目はいとうひろし『学校へ行こう──ちゃんとりん──』(理論社、2018年11月)。高速バスを使ったいとうみくとは異なり、いとうひろしはこうした設定をぬきにして、小学生の朝の風景だけで、日常からのささやかな逸脱を描いた面白い物語を展開させている。終始2人のやりとりで進行する、この物語の意表を突く面白さは、どうやったら伝わるだろうか。みごとな職人技といったら、おかしいかな。

 表見返しでは、画面の下一列にアリ(らしい)が左へと進んでいる。そのなかの1匹が上方の宇宙船らしきものに向かって進み、それを行列中の1匹が見上げる場面が描かれている。ここから物語が始まっていることは、言うまでもない。扉には登場人物2人の姿。次のページから絵と会話で進行する。吹き出しが示すのは、彼らの発した言葉や考えたこと。

朝、出がけに母親に「どこ行くの」と聞かれた子ども。「決まってんじゃない、学校よ、学校」と言い放つ。小学生がランドセルを背負って行くところといえば、学校しかありえない、と言いかけたところで、足もとのアリに注意を奪われ、アリについて行ってみようかと思う。すぐに自分の目的を思い出し、もう少しで迷子になるところだったと、思い返す。このように、決まりきったことを繰り返すルーチンを守ろうとするそばから、ささやかな懐疑が混じる。さらに、小学3年生の身ではやはり学校へは行かなくてはという義務感らしき思い。そこに性格の異なる友だちとのやりとりが加わり、2人の会話は縦へ横へ(?)ずれ、漫才さながらの掛けあいとなる。

 作者は学校へ向かうという、なんでもない日常の一こまを、大真面目に描きながら、極上のユーモア作品に仕立てた。スリラーではないこういう話で、ページをめくる手がとめられなくなったのは予想外だった。対象年齢を問わず、お勧めの1冊である。

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2018年最後の気まぐれ図書室を、『ダム──この美しいものすべてのものたちへ』(久山太市訳、評論社、2018年12月)で閉めたいと思う。まず注目したのは、レーヴィ・ピンフォールドが描くセピア色を基調とし、淡い水色や白で繰り広げられる空と湖、その岸辺に立つ男性と少女の表紙である。少女の手にはバイオリン、そして、少女が奏でる音に反応したように、彼女の頭上に6羽の鳥が飛んでいる。文を書いたのはイギリスの作家、デイヴィッド・アーモンド。イングランド北部に生まれた彼は、この地域を舞台にした作品で日本でも人気がある。

今回の舞台もイングランド北部ノーサンバーランド州で、キールダー・ダム(1975年着工、81年完成)をモデルとし、湖底に沈んだ村を音楽家の親子が訪れる静かな物語を紡いでいる。あとがきによると、谷間には実際にたくさんの音楽家が住んでいたそうで、歌手・作曲家の父マイクと、民俗音楽家として活躍している娘キャスリンが、湖に消える前の村と、完成後に訪れ音楽で満たした経験を、絵と文で描いたもの。

一種の鎮魂歌であると同時に、みごとな自然賛歌にもなっているこの静かな絵本を、あなたもぜひご覧いただけますように。

いつもながら、たくさんの本をお送り頂き、ありがとうございます。図書室を訪れた方にも感謝します。来年もまた、どうぞよろしくおつき合いください。(2018年12月) 

 

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◆ぼちぼち便り◆ 


12月の読書会は毎年絵本を取り上げます。今年は、ヨシタケシンスケさんの『りんごかもしれない』(ブロンズ新社 2013年4月)を課題本に選びました。最初に「りんご」で思いついた言葉を1分間でできるだけたくさん考えて共有しあってから私が声に出して読み、その後、感想を語り合いました。おもしろいことに、13人の参加者の意見が真っ二つに割れました。とてもおもしろかったという人と、あまりおもしろいと思えなかったという人です。

 

おもしろい理由としては、発想が豊か。よくここまで思いつく。おいしいと思うまでの過程がおもしろい。1つものもをいろいろな方向から考える楽しさがある。概念くずしがあり、一つの価値観にとらわれている人は、この絵本のやりたい放題を楽しんで絵本を読んで解放されると思う。などの全体の感想とともに、特に好きだった点についても感想が述べられました。

 

りんごの心を思うという点がユニークで、読んでいる人がりんごの心を思うことで、おいしさが伝わるように思った。りんごが他の者になりたかったという点や、「ぼく」がぼく以外はみんなりんごかもと思う点は、アイデンティティと関連していておもしろかった。「らんご、りんご、るんご」などの言葉遊びが、子どもの自然の遊びとつながっていると思った。りんごの自主性が感じられる点がいいと思った。りんごの中がメカになっているページやりんごがさかなに変身するページやりんごが「ぼく」の行動を見ているというページは自分の発想外で印象に残った。

 

そして、結末にぼくが、食べて「おいしいかもしれない」と言ったことでほっとした。最初と最後に本物のりんごが出てくるという構成が作品にまとまりを与えている。裏表紙のカバーの折り返しにバナナを見ている「ぼく」がいて、いろいろなモノで同じ遊びができる。見返しにまで使わなかったアイディアが載っていて、一つだけ前後で異なるという点もユニーク、などの構成に関わる意見も出ました。

 

絵については、マンガ的。チャーリー・ブラウンを思い出した。単純で親しみがある。単純な線に顔の描き分けがあり、目の点の視線の角度で人物像が想像できる技術がすごいなどの意見があり、子どもが幼なければ何度でも読まされると思う。4歳ではややわからないようだった。小学生以上の方が楽しめるのではないかなど、読者に関する意見もありました。

 

一方、おもしろくないという意見の人は、一つはストーリーが展開しないことに対するもどかしさ、もう一つは、最後食べたときに「かもしれない」と自分の食べたものに対してすら自信がないという結末に疑問をはさむ人の二つに大別されました。ストーリー展開については、トリセツ(取扱説明書)のように感じた。加古里子の作品との類似性を感じるが、たとえば『からすのパンやさん』(偕成社 1973年)のパンのようなおいしさが感じられず、説明的に感じた。頭の体操のように思ってしまった。などの発言がありました。

 

私自身は、この本について、二つの意見の両方に「なるほど」と思う点がありました。

 

表紙には、レオナルド・ダ・ヴィンチのような設計図のようになっていて、考えることの楽しさが描かれています。そしてこの図から、考えるとは、時には実験し、時には寝ころびながら、想像し、発想をつなげ、転換させる、物をじっと観察し続けることだということがわかります。


「りんご」はアダムとイブが食べた禁断の木の実であり、りんごを食べたからこそ楽園から追放されたことを考えると、人間とは何かについて考えることの象徴とも読めます。アップル・コンピュータを想起すると、考え、発想を広げることこそが人間らしさであるという主張とも考えられます。

 

また、タイトルにある「かもしれない」は、自分自身の存在や社会の不安、「かもしれない」ということで広がる可能性を読み取ることができます。ヨシタケさんがインタビュー等で、場を荒立てない、怒られないようにする逃げの姿勢がご自身にはあるとおっしゃっていますが、多くの現代人が共有する気持ちを「かもしれない」は的確に表現し、食べたりんごの味にまで自信がないさまは笑いながらも怖さを感じるとも言うことができます。けれど、一方で、「おいしさとは何か」ということに疑問を持ち始めると、そこからまた、迷路に入り込むということであり、もう一度冒頭に戻る循環を感じさせ、これまでの多くの絵本にあった「結末をつける」ことを拒否し、考え続けることをよしとした結末のありように、既成の絵本への挑戦を読み取ることもできます。読書会のメンバーが指摘した以外にも、絵さがし的楽しさもあります。「りんご」の50音表に出て来る「らんご」や「るんご」は、表紙や他の絵にも登場するため、それらを見つけることの楽しさがあります。

 

見開きでたった一つの絵で構成されているページは「このあと りんごは どうなるんだろう。なかまを よんで みんなで ふるさとに かえるのかもしれない。」というページのみです。もし、これがクライマックスだとすれば、「未来」「仲間」「ふるさと」「旅」がキーワードです。「ぼく」の心の中とも言えるSF的なシーンは見ていて飽きず、読者はりんごともに、これらのキーワードについて、じっくり考えることができるようになっています。

 

「りんご」は、形、色、言葉、時間、空間、擬人化など、縦横無尽に発想が展開していきます。その展開がページをめくるたびに行ったり来たりする様子に、ネットサーフィン的な感覚を味わいました。一方で、づくし絵的でもあり、コマ割りや漫符があることで、マンガ的でもあると思いました。線画であることで、りんごが自由に変化するのが自然に感じられます。それがとてもおもしろいのですが、私自身は、一つのことを発想すると、そこからどんどんのめり込んでいくタイプなので、やや思い付きの連続(読み取れていないだけかもしれませんが)に物足りなさを感じました。

 

この絵本には、アップルパイやアップルジュースのように、りんごが加工されたものや、種や花などはなく、目の前の物体としての「りんご」のみについて語られています。赤くて丸くて、「りんご」と名付けられたものが対象です。一冊の絵本で全ては語れないとしても、個人的にはどこかで発想がこちらへも伸びれば楽しかっただろうなと思いました。

 

ヨシタケさんはこの作品が絵本第一作であり、編集者とのやりとりの中で生まれたと語っていらっしゃいます。それ以降の作品を読みながら、ヨシタケさんが絵本作りの挑戦を重ねていらっしゃることを感じると同時に、編集者の重要性にも気づいています。「自分がこどもの頃好きだった絵本の要素をぜんぶ入れよう」「自分がきらいだった絵本の要素はぜんぶ入れないようにしよう」(https://www.1101.com/yoshitake/2017-05-18.html)という思いを持ち続け、絵本の可能性を模索し続けて新しい絵本を創り続けて欲しいと思いました。

 

今年も一年お世話になりました。来年もみなさまにとってよい年になりますように。読んでくださってありがとうございました。(土居 安子)

 

*以下ひこです。

【絵本】

『ウルスリのすず』(ゼリーナ・ヘンツ:文 アロイス・カリジェ:絵 大塚勇三:訳 岩波書店)

 原書(1945)の色味に近づけた改版。

 スイスの絵本です。

 ウルスリは山の子。山羊の乳搾りや水くみなど家の手伝いもします。楽しみは鈴行列のお祭り。カウベルを子どもたちが鳴らしながら練り歩き、春を迎えるのです。

鈴を借りる順番が最後になったウルスリには一番小さな鈴が渡されました。ひどくがっかりしたウルスリは、山小屋に大きな鈴がおいてあったのを思い出し、がんばって山を登っていきます。鈴を手に入れたのはいいけれど、親たちが心配して探しているのも知らずにウルスリは眠ってしまい……。

子どもの達成感がいいですね。

こうあるであろう、こうあってほしい展開にほっとします。

 ウルスリと妹のお話、『大雪』(ゼリーナ・ヘンツ:文 アロイス・カリジェ:絵 生野幸吉:訳 岩波書店)も併せてどうぞ。

 

『わたしのおじさんのロバ』(トビー・リトル:作 村上春樹:訳 あすなろ書房)

 唐突に、なんの理由も説明もなく、家の中でロバがおじさんと暮らしています。で、本当にそれだけを描いた絵本です。

 ロバにはおきにいりのいすがあって、おきにいりの映画もあって、冷蔵庫からいろいろ出して食べて。

 おじさんに向かっていろいろポーズもしますが、おじさんは全く気にしていません。ってか、気づいて欲しいロバですが、ひょっとして気づいていない? それとももう慣れきってしまって、反応なし?

 それでもロバは快適に暮らしているのでいいんですけど。

 なんだかいい塩梅の共存なのか、ロバが住んでいるのが幻想なのか。まあ、そんなことは結局どうでも良くて、ゆったりしているからいいや。

 黒とグレーに、おじさんのセーターの赤が効いている、素敵にほんわか絵本です。

 

『ぬかどこすけ』(かとうまふみ:作 あかね書房)

 瀬戸物屋で売れ残った瓶。ふてくされていると、ついに買い手が。どんなものをいれてくれるのだろうと期待していると、おばあさんはぬかを入れ始めた。ぬかどこを作るのです。そんなのしらない瓶としては、くさいの、ぐちゃぐちゃなのと、なんだかがっかり。けれど、やがて、やってくる野菜たちがおいしくなっていき、瓶は生きがいを見いだしていくのでした。

 ぬかどこ絵本です。

 あ、ぬかどこを混ぜないと。

 

『おじいちゃんがペンギンやったとき』(モラグ・フッド:作 長谷川義史:訳 小学館)

 おじいちゃんの家に遊びに行ったら、ペンギンがいるのですが、いつものおじいちゃんと違うなあと思うだけの孫。ペンギンはつりの話だの、大きすぎる服を着てみたりだのしますが、おじいちゃんは年取ったからなあと思うばかりの孫。ああ、ええ展開やなあ。こういう話は、思いつきそうで思いつかん。

 表4まで読んでくださいね。

 

『ここにも! そこにも! ダニ』(皆越ようせい:写真・文 ポプラ社)

 『おちばのしたをのぞいてみたら…』を始めとして日頃私たちが詳しく知らない虫たちの日常を詳しく届けてくれる皆越さんの新作です。あ~、いずれくるとは思っていましたが、きたかあ、ダニ。しかもいきなり、タカラダニやもんなあ。ダニはいちおう見ないこと、いないことにして生活を送っていますが、いることはまあ知っているわけで、それでも、いないことにしているわけで、でも、タカラダニだけは真っ赤なものですから、外構のコンクリとかにびっしりいるのをいないことにもできず、毎夏なやみの種。この絵本で、かわいく見えるようになるか! ちょっとむりでした。でも、当たり前ですが、ダニも自然の循環の中で大事な生き物なのはわかりました。皆越さんの虫への愛情が全開でうれしい。

 

『べんりってほんとうにいいこと? こどものための哲学』(古沢良太:原作 tupera tupera:美術デザイン NHK Eテレ「Q~こどものための哲学」制作班:編 ほるぷ出版)

 なぜ? どうして? 一つのテーマに絞って考えていくTV番組(古沢良太が脚本を書き、子どもの哲学を現場で行ってもいる哲学者河野哲也と土屋陽介が監修)の書籍化です。

 考え、問いかけていくことは、コミュニケーションともなります。本作では反対側から考えるという方法も提示。便利な世の中になったというけど、じゃあ、昔の人は本当に不便だった?

 番組から、続々書籍化されていきます。

『小学生になったら図鑑』(長谷川康男:監修 ポプラ社)

 小学校とは、どういうところかを、実際の小学校での毎日を写真でわかりやすく見せてくれています。それから、小学生になったら、いろいろ自分でできることはやろうよってことで、自立を促しています。小学生になる前の子どもに、安心感とわくわく感を与えてくれる図鑑です。

 

『ねずみさんちの はじめてのクリスマス』(キャラリン・ピーナー:文 マーク・ピーナー:絵 まえざわあきえ:訳 徳間書店)

 人間に家の床下に引っ越したねずみの家族。床上ではクリスマスの準備。そのなんとも暖かな家族の風景を見たねずみの両親は、自分たちもクリスマスイベントをすることに。家猫に気をつけながら、いろんな飾りも人間からちょっと拝借して、家族で祝います。

 クリスマスのときめきをどうぞ。

 

『まぼろしえほん』(井上洋介:作・絵 すずき出版)

 2016年に亡くなった井上洋介作品です。

 「だあれも だあれも しらないけれど おつきさま よく みりゃ おっきな でんきゅう」から始まって、次々と、私たちが知らなかった事実が明かされていきます! 歩道橋は象さんだったし、観覧車はハツカネズミが回していたし。知らなかった。そんな不思議なことがあったなんて。

 そんな幻の世界へどうぞ。

 言葉のリズムもいい感じ。

 

『たいこたたきの少年』(バーナデット・ワッツ:文・絵 松永美穂:訳 西村書店)

 東方の三賢人の逸話をベースにした歌「リトル・ドラマー・ボーイ」を題材にワッツが描きました。

 貧しいたいこたたきのベンジャミンは町の人たちの優しさで日々をしのいでいます。そんな折、新しい王がお生まれになったと、三賢人がやってきて、ベンジャミンにも一緒に来ないかと誘いかけてくれますが、王へのプレゼントが何もないと尻込みするベンジャミン。それでもみんなに誘われて、馬小屋にやってきた彼が渡したプレゼントとは?

 雪の降る日の絵なのに、ワッツだと本当に暖かい。表情のとらえ方が愛情深いからかな。

 

『フェルメール この一瞬を永遠に』(キアーラ・ロッサーニ:文 アンドレア・アレマンノ:絵 結城昌子:監訳 西村書店)

 フェルメールはどんな人で、どれをどういうきっかけで描いたのかを想像した作品です。もちろん、「牛乳を注ぐ女」も「青いターバンの少女」もモデルは定かではありませんから、これはあくまでフィクションですが、フェルメールの光へのこだわりについて興味を誘います。

 あの青はやはり、すごくいいなあ。

 

『やましたくんはしゃべらない』(山下賢二:作 中田いくみ:絵 岩崎書店)

一年生の時から、やましたくんの声を誰も聞いたことがない。しゃべれないのではなくしゃべらない。それでも、やましたくんはクラスの中に溶け込んで、いたずらもするし、一緒に遊ぶ。ただ、しゃべらないだけ。その理由はわからないけれど、やましたくんがしゃべらないと決めているのは確かです。ひょっとしたら、しゃべらないと決めてから、しゃべるきっかけを失ったまま、なんとなく、そういうやましたくんを、やましたくんは演じ続けていたのかもしれません。周りにはきっと、しゃべれないやましたくんだと思いこんでいる人が多いだろうし。なら、それでいいやと。

 卒業式を区切りにやましたくんは言葉をだそうとします。つまりは、それだけのことでもあるのです。

 中田いくみが、この世界を実にうまくとらえて描いています。

 

『ひたっとへんしんプレタングラム』(かしわらあきお 岩崎書店)

 「どうぶつ」編と「のりもの」編。正方形を七つに分けたピースを組み合わせて、指定された動物やのりもののくぼみに当てはめていきます。「すくすく脳そだて」パズルということですが、やり方がわければ、これははまるでしょうね。って、私もちょいとはまりました。脳が育った自覚はないけど。

 

『うまはかける』(内田麟太郎:文 山村浩二:絵 ぶんけい)

 おおかみに追いかけられて、うまがかけるところから始まって、「かける」を巡って次々と馬と言葉が軽やかで愉快に転がっていきます。まさに、言葉が駈けている。

言葉遊びですから、根本は理屈なんですけれど、内田にかかるとそれは笑いを誘う無理矢理のずらしになって、にもかかわらずストーリーがちゃんと成立していて、おちまで至ります。すごいです。

書くことに賭けている人の言葉は欠けることなく絵本と読者との架け橋となり、クスリと笑って引っ掛けながら駈け去って行くのです。

 

『ゴッホの星空 フィンセントはねむれない』(ばーぶ・ろーゼンストック:文 メアリー・グランプレ:絵 なかがわちひろ:訳 西村書店)

 小さい頃からゴッホをたどり、「星月夜」を描くまでを語っていく絵本です。

 その情熱のあまり人付き合いがうまくないゴッホ。仕事もうまくいかず、最後に選んだ道は画家。絵への情熱は尽きることなく最後まで続きます。それは、見続けることで、そしてそれを受けて描き続けることで、世界とつながっていたいゴッホの思いでしょう。

 「星月夜」が伝えてくる、希望と、絶望と、畏れと、愛着と、さみしさと、熱情。一度これを見たら、夜の風景が変わるよね。

 

『インサイド アウトサイド』(アンヌ=マルゴ・ラムシュタイン&マティアス・アレギ:作 ほるぷ出版)

 なんにでもあるはずの、内と外を描いています。

孵る前の卵の中。では外の世界はというと、孵化したひよこたちと、今見た卵のとてつもない大きさ。リンゴを食べて中に生息する虫。そのリンゴをかじろうとしている女性。いかだの上で必死に火をおこしている人と、口から煙を吐いている鯨(の中に人はいるらしい)。

様々なインサイドと様々なアウトサイド。

見方を変えないと。

 

『世界とつながる みんなの宗教ずかん』(中村 圭志:監修 ほるぷ出版)

 日本の子どもは日頃、宗教を意識することは少ないでしょうけれど、それでもそれは私たちの日常にも存在します。また、宗教が様々な文化のバックボーンになっていることも確かです。このずかんは、宗教について考えるための入り口の資料となっています。

 

『おおかみのおなかのなかで』(マック・バーネット:文 ジョン・クラッセン:絵 なかがわちひろ:訳 徳間書店)

 ねずみがおおかみにたべられてしまいます。ああ、もうだめだ! と、おなかのなかにはあひるがいて、なんだかのんびりと暮らしています。ほしいものはなんでもおおかみに飲み込ませているとのこと。ここが快適なのは、おおかみに食べられる恐怖がないこと。なるほど。そりゃあそうだ。

 なのに、いらんことする狩人がやってきて、おおかみを殺そうとする。それじゃあ、困ると、あひるとねずみは……。

 

『ちいさなエリオット ひとりじゃないよ』(マイク・クラトウ:作 福本友美子:訳 マイクロマガジン社)

 小さなゾウのエリオットは、ねずみくんと暮らしています。今日、ねずみくんは家族のところにいってしまう。大丈夫だよとは言ってみるものの、エリオットはすごくさみしくて。映画館に行ったりするけど、やっぱりさみしくて。

 このエリオットって、本当にかわいいですよ。

 

『クリスマスのおかいもの』(ルー・ピーコック:ぶん ヘレン・スティーヴンズ:え こみやゆう:やく ほるぷ出版)

 母親と、クリスマスのプレゼントを買いに町にやってきたノア。赤ちゃんのイーヴィ・メイと、相棒のゾウのぬいぐるみオリバーも一緒です。

 母親がいろんな店でお買い物をしているとき、ノアはオリバーと遊んでいます。ところが、帰りがけになってオリバーが見つからない。

 買い物をした店に探しに行くのですが、見つからない。果たしてオリバーの行方は?

 クリスマスのどきどきが伝わります。

 

『ともだちってどんなひと?』(赤木かん子:著 濱口瑛士:絵 埼玉福祉会)

 スエーデンから生まれた誰にでも読めるように工夫されたLLブックの一冊。

 LLブックとは、スエーデン語の「LatteLast(ラッテ・ラースト)」の頭文字。読みやすいという意味です。日本だとひらがなを使う。ピクトグラムを付けるなどがなされます。

 この絵本は、ともだちについて考えます。

 いろんな人に会い、知り合いにもなるけど、みんなともだちというわけではありません。そこを具体的にわかりやすくつたえています。一緒に読みながら、話し合うのもいいですね。

相手の身になって考えることができる人がともだちだと思います。

 

『いじわるちゃん』(たんじあきこ 岩崎書店)

 いじわる大好きいじわるちゃん。みんなが困った顔をするのを見ると楽しい。お化けと一緒になって、みんなを怖がらせるし、そのお化けですら生ぬるいと怒ってしまういじわるちゃん。そのうれしそうな表情がいやな感じのはずがどこかちょっとかわいかったりもするのは、たんじの巧みさでしょうね。

 ああ、でも、周りにはもう誰もいなくなっちゃったよ、いじわるちゃん。

 

『ぺちゃんこねこ』(ハーウィン・オラム:ぶん グウェン・ミルワード:絵 ひがしかずこ:やく 岩崎書店)

 高いビルのてっぺんにある部屋で暮らしているソフィーとネコのジミーはものすごく仲良し。完璧です。けれど、一つだけ問題が。ジミーは家を出ることができません。それでだんだん気持ちがへこんできたジミーは、気持ちがどんどんぺちゃんこになってしまいます。あろうことか体まで。

そんなジミーが家を脱出して楽しみ冒険をご覧あれ。

 

『いっしょにかえろう』(ハイロ・ブイトラゴ:文 ラファエル・ジョクテング:絵 宇野和美:訳 岩崎書店)

 小さなお花を差し出して少女はライオンに言います。「いっしょに うちに かえってくれる?」。だって、一人だとたいくつだから。

 周りの人たちは驚いていますが、少女は平気です。背中に乗って、全力疾走!

保育園に弟を迎えに行って、お買い物をして、食事の準備をして、ママの帰りを待ちます。

父親がいない子どもの奮闘ぶりを描いたコロンビア共和国の力強くて優しい絵本です。

 

『かぜのひ』(サム・アッシャー:作・絵 吉上恭太:訳 徳間書店)

 『あめのひ』の姉妹編です。

 強い風の日、おじいちゃんと一緒にたこあげだ。って、おじいちゃんはたこをなかなか見つけられません。探している間にいろんな懐かしい物が出てきたりして、なんともほのぼのとしたおじいちゃんと孫の姿が描かれていきます。

 たこが見つかって、さあ、強風の中のたこあげに!

 サムの描くかぜのひのなんと激しいことか。木の葉の一枚一枚に表情があります。

 そして、素晴らしくファンタジックなたこあげ!

 

『ねずみのマウリッツ』(イングリット&ディーター・シューバルト:作 野坂悦子:訳 文化出版局)

 主人公の名前は、オランダのマウリッツハウス美術館からきています。『真珠の耳飾りの少女』がある美術館です。

 マウリッツは美術館に住むねずみ。毎夜、美術品を楽しんでいます。おいしそうなチーズの絵。ちょっと怖いウシの絵。マウリッツにとって絵はまるで本物のようでもあり、大切な家族です。ところが、一枚の絵が消えている。真珠の耳飾りのあのこが!

 他の絵の中の人物たちも心配顔。

マウリッツは絵の中の様々な動物たちと一緒に泥棒を見つけて追い払うのでした。

というストーリーを読みながらマウリッツハウス美術館の絵たちを楽しんでいく趣向です。

ああ、行きたくなる。

 

『オーロラの国の子どもたち』(イングリとエドガー・パーリン・ドーレア:さく かみじょうゆみこ:やく 福音館書店)

 ノルウェー最北、サーミ人リーセとラッセの兄妹とその家族の一年の暮らしぶりを描いています。トナカイでのそり遊び。遠くの学校での勉強。赤ちゃんの洗礼。もちろん厳しい寒さの中ではあるのですが、人のつながりの暖かさがにじみ出ています。なお、描かれた時点ではサーミ人をラップ人と記しています。

 

『Michi』(junaida:作 福音館書店)

 左のページからは猫を連れた少年が、右のページからは犬を連れた少女が散歩に出かけて真ん中のページで出会うというシンプルな仕掛けなのですが、そこがシンプルなのは、ページの流れの中にできるだけ物語を持ち込まないためです。

 二人は様々な町を通っていきます。機関車の町、本の町、樹木の町。室内灯の町、楽器の町。ユニークなそれらの町を作者は立体空間として手描きで作り上げていくのですが、一つ一つにちゃんと生活感があるのです。その町のどこに少年が、少女がいるかを探すだけではなく、描かれた一人一人を眺めれば、何をしているのだろうと想像が膨らんでいくはずです。空想の町に、人間の息づかいが聞こえるのです。物語があるのはそこです。

なんと楽しいことでしょう!

 

『トムがてぶくろおとしたら』(ジム・エイルズワース:文 バーバラ・マクリットック:絵 福本友美子:訳 犀の工房)

 ラチョフでおなじみ『てぶくろ』のマクリントック版です。

 エイルズワースのストーリーはラチョフとは変わっていて、手袋を落とすのはトム少年。てぶくろは皮ではなくて毛糸。出てくる動物もラチョフは「ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、くま」ですが、こちらは「りす、うさぎ、きつね、くま、ねずみ」です。ラストもひねりがあって、違っています。

 ラチョフのが、のんびりほんわかだとしたら、こちらはどきどきわくわく。最後にはじけます。

 

『アンネのことすべて』(アンネ・フランク・ハウス:編 小林エリカ:訳 石岡史子:日本語版監修 ポプラ社)

 アンネ十歳の誕生日パーティーから始まります。一列に並んで写真に収まった九人の少女たちの写真。彼女たちはまだその後の運命を知りません。

 本文にアンネの誕生からその短い生涯と『アンネの日記』が発売されるまでを描き、ハーフサイズのページに当時の社会状況の解説や友人たちの言葉などが記されていきます。つまり、伝記としてだけではなく、アンネを巡る資料の一端に触れることで重層的に「アンネ」を理解しようとする本です。ここから『アンネの日記』へ向かうもよし、ナチスへと興味を広げるもよし。様々な道筋への入り口となっています。

 タイトルは、ここから始まるとの意味でしょう。

 

【児童文学】

『ぼくとニケ』(片川優子 講談社)

 玄太が学校から帰ってくると、今は登校拒否をしている幼なじみの仁菜に声をかけられる。彼女は小さな段ボール箱を抱えていて、その中には捨て猫が入っていた。

五年生だからもう、女の子と気安く話せない感じの玄太に仁菜は、自分の母親は猫嫌いだから、その子猫を飼ってくれと言う。

猫好きの両親はただちに獣医師のところに連れて行ったり、飼う気満々なのだけど、玄太はなんだか落ち着かない。

子猫にニケと名前をつけた仁菜は毎日のように玄太の家にやってきて、ニケを世話する。学校に行っていないから玄太が戻ってくる前にもう家に来ている。それもなんだか落ち着かない。

子猫を育てることを中心として、登場人物たちの様々な思いが交錯していきます。

悲しい終わりから、もう少し先の希望へとつないでいく展開がいいです。

作者が獣医師なので、猫の関する記述や診察模様が、なるほどそうかの連続で作品に奥行きを与えています。

 ああ、また猫を飼いたくなる。

 

『灰色の服のおじさん』(フェルナンド・アロンソ:著 ウリセス・ウェンセル:絵 轟志津香:訳 小学館)

 スペインの児童文学短編集です。フランコ独裁政権が終わってから出版されていますが、政権下で書き始められていたようです。

 灰色の服のおじさんは、同じ時間に起きて、会社に行き、目立たず地味な日々を送っています。けれど、彼の頭の中には、オペラ歌手になる夢が渦巻いていて、ベランダで歌って怒られたりします。とうとうおじさんは会社で歌い出してしまい、叱られる。それからおじさんは、虫歯のふりをしてあごを布でしばりつけて歌えないようにするのです。

 もちろん、これは独裁政権下の生活を表しているのですが、物語はいったんここで終わります。つまり、風刺です。が、語り手はそこから考えを変えて、物語をハッピーエンドへと転換させるのです。ええ、おじさんはオペラ歌手になりますとも。

 この転換が、子どもの本の誇りのような物を感じさせます。

 

『エレベーターのふしぎなボタン』(加藤直子:作 杉田比呂美:絵 ポプラ社)

 マンションのエレベーターに緑色のボタンが出現。サキが押してみると、たどり着いた場所は緑が豊かに広がっています。そこで知り合ったおばあさんは、サキが何かお手伝いをすると願いを一つかなえてくれます。

 「不思議」と「現実」が優しく溶け合う、子どもと老人の心の通う物語。

 杉田の爽やかな輪郭の世界が、デビュー作を彩ります。

 

『口ひげが世界をすくう?!』(ザラ・ミヒャエラ・オルロフスキー:朔 ミヒャエル・ローハー:絵 若松宣子:訳 岩波書店)

 おばあちゃんが亡くなってからすっかり元気をなくしていたおじいちゃんが、世界ひげ大会に出ることに決めます。それはいいんだけど、おじいちゃん、ひげなんか全然はやしてなくて、今から間に合うの? どんなひげにするの? 心配なヨナタンは一緒に作戦を練ることにします。

 それで優勝するまでを描くだけでなく、もう一ひねりがいいですね。

 ユーモアあふれる良作です。

 

『風がはこんだ物語』(ジル・ルイス:文 ジョー・ウィーヴァー:絵 さくまゆみこ:訳 あすなろ書房)

 戦争から逃れ、一艘の小舟で新天地を目指して海を渡る人々。たどり着けるかもわからない不安の中、音楽家ラミが唯一の持ち物のヴァイオリンを奏でながら語るのは、馬頭琴の由来を伝えるモンゴルの物語、「スーホーの白い馬」でした。人々は、自分たちの被ってきた様々な抑圧を物語に重ねていきます。難民という言葉ではくくれない、一人一人の名前と生きてきた証と、そして希望を描いています。

 

【宣伝】

『さらわれたオレオマーガリン王子』(マーク・トウェインとフィリップ・ステッド:作 エリン・ステッド:絵 ひこ・田中と横川寿美子:訳 福音館書店)https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=5768

 

『ぼくは本を読んでいる。』(ひこ・田中:作 講談社)https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784065142332

 

『レッツとネコさん』(ひこ・田中:作 ヨシタケシンスケ:絵 講談社)

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000190793

 

『レッツのふみだい』(ひこ・田中:作 ヨシタケシンスケ:絵 講談社)

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000190794

 

『レッツがおつかい』(ひこ・田中:作 ヨシタケシンスケ:絵 講談社)

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000190795

 

『ひよこのピケキョ』(ジャニーン・ブライアン:文 ダニー・スネル:絵 ひこ・田中:訳 東京書店)

https://www.amazon.co.jp/dp/4885743478/ref=cm_sw_r_cp_ep_dp_ENpeBb5RAMWT3

 

『13歳からの絵本ガイド YAのための100冊』(金原瑞人&ひこ・田中:監修 西村書店)

http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/10559

 

『今すぐ読みたい! 10代のためのYAブックガイド150! 2』(監修/金原瑞人&ひこ・田中 ポプラ社)

https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/4900214.html

 

*良いお年を!

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