【児童文学評論】 No.317 2024/07/31

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オランダの子どもの本こぼれ話(7)

 皆様、いかがお過ごしですか? 私は暑さと忙しさにやられて、塩をかけられたナメクジになりかけています……。そんな猛暑の7月なので、来日中のハリエットさんについて、ホットでクールな報告をしましょう。

 といっても、「ハリエットさんって誰?」と思われる方も多いかもしれません。ハリエット・ヴァン・レーク(1)はオランダを代表する絵本作家のひとりで、『レナレナ』(2)で金の石筆賞を、『アルファベットスープ』(3)で金の絵筆賞を受賞しました。いっぽうで、ヘールテン・テン・ボス(4)と「バンケッチェBanketje」というコンビを組み、1990年以降、ビジュアル・パフォーマンス、テレビのための人形劇、観客も巻き込んで行うパフォーマンスなどを続けています。京都にあるアーティスト・イン・レジデンスの施設に滞在しようと、この夏も二人で来日。今回の日本訪問はオランダ王国大使館、オランダ文学財団の助成を受けて実現しました。

 私自身にとっても、ハリエットさんは特別な人です。1980年代にアムステルダムの街で見つけ、初めて翻訳した絵本が『レナレナ』で、この本との出会いがなければ、全く違う人生を送っていたかもしれません。邦訳された絵本には『レナレナ』『ボッケ』『エーディトとエゴン・シーレ』『ミーのどうぶつBOOK』(5)の4冊があり、特に『レナレナ』は、『絵本を抱えて 部屋のすみへ』、(江國香織著)(6)を通して、また最近では『世界をひらく60冊の絵本』(中川素子著)(7)で紹介されるなど、長年にわたり愛され続けています。ハーグ市立美術館の依頼で創られた『エーディトとエゴン・シーレ』だけはテーマが異なりますが、他の3冊は、生き物と人との間に何の隔てもなく、なんでもありだった子ども時代の魔法が蘇るような作品です。性に目覚める前の、体に対する不思議な感覚もそこには描かれています。

 私は、7月初旬に到着したハリエットさんのコーディネーター兼通訳として、週末ごとに新横浜から東海道新幹線に乗り、関東と関西のあいだを、せっせと行き来しました。

 最初のイベントは7月7日。大阪国際児童文学振興財団主催の「オランダの絵本作家 ハリエット・ヴァン・レークさんとミニ絵本をつくろう!」(8)です。子ども9名、大人21名(高校生2名含む)の参加者が集まった大阪府立中央図書館の多目的室には、ハリエットさんの絵本が邦訳も原書もずらりと並べてありました。まずはポップな音楽に合わせて、全員がダンス! 身も心も柔らかくなった後、画用紙を折って作られた8ページの小冊子に、思いっきりヘンな格好をして、ぐにゃぐにゃの線や自分の姿、まわりの人の姿を描きました。お手本を見せようと、床に寝転んだり、背中に手をまわしたりしながらペンを動かすハリエットさんに、最初は恥ずかしがっていた子どもたちも、周囲の刺激を受けてだんだんノリノリに。

 ウォーミングアップが終わると、お話づくり。「自分にとって、嬉しかった思い出と、辛かった思い出をひとつずつ書いて、2つを合体させた話を残りのページに描いてください。できるだけ大胆にやってね」といわれ、子どもも大人も、マジックやクレヨン、色鉛筆、色紙、毛糸など用意された様々な材料を使い、真剣に取り組みました。ハリエットさん曰く、「オランダに比べて、日本の子どもたちは集中力がすごい!」

 最後は作品発表タイムです。「体操服を忘れた最悪の日、うどんで服を作って……」とすごい発想をする男の子がいたり、髪を切った「私」が、ぱっとすてきな髪型に早変わりする話があったり。私も、庭で死んでいた亀の話と、動物園で出会った眼の美しい猛獣の話をまぜこぜにしてみました。英語と大阪弁が交互する土居安子さんの切れのいい進行と、7名のスタッフの皆さんの協力のおかげで、2時間半では終わりそうにない内容が、ぴたっと16時に終了しました。

 アンケートには、踊りながら絵を描くのが楽しかったという声や、ハリエットさんから「Don't think! Just do it!」の言葉をもらい、もっと自分の感覚を大切にして創作を続けたいという声も。笑いの中で、子どもも大人も心をほどいたこのミニ絵作りを通して、ハリエットさんの自由奔放な絵本の原点に、少し触れられた気がします。

 7月13日は、名古屋のBookGallery「トムの庭」&kokoti cafe(9)で、スペシャルトークイベントを開催。そこは『エーディトとエゴン・シーレ』(朔北社)の原画に囲まれた会場で、25名の参加者がスイーツ&ドリンクも味わいながら、ハリエットさんと私の2時間のトークを楽しみました。「こんなに熱心に話を聞いてくれる人たちとはめったに会わない、名古屋の人たちは特別ね」ハリエットさんがそういうのを聞いて、「東京から来てたくれた人もいるんだけど……と、私は心の中でつぶやきます。絵本の話の後に、焼き物や織物、布作品などに彩られた自宅の写真も見せてもらい(おもちゃ箱をひっくり返したようなアトリエにも感激!)、それらすべてを通して、暮らしとアートがひとつになっている人なのだと感じることができました。

 引き続き7月21日は、メリーゴーランド京都(10)主催のお話し会です。お店で開かれた原画展の期間に、徒歩数分にある徳正寺の一室で、読経の美しい声と鉦の音が流れる中、トークが始まりました。お寺の雰囲気がミスマッチのようで、意外にマッチしていたのは、殺生を禁じる仏教の教えと、ハリエットさんの絵本に描かれた世界には、通じ合うところがあるからかもしれません。ミミズやネズミ、ブタやメンドリ、すべての生き物と同じ地平でつきあい、すべての命を慈しむ精神がそこにはあるのです。徳正寺の住職は、メリーゴーランド京都の店長鈴木潤さんの伴侶、井上迅さん。迅さんは秋野不矩のお孫さんでもあり、私たちはトークの後、不矩さんの画集や絵本、さらに趣向を凝らしたお茶室まで見せていただきました。

 私にとって、「ハリエット旋風」ともいうべき4週間の報告でしたが、この旋風、実は8月初旬の帰国の日まで続きます。7月31日はCAFE SEE MORE GLASS(11)で「オランダカフェ」、その後、8月2日―6日は『ようこそ、オランダ展&ハリエット・ヴァン・レーク展』がCafé&Gallery Patina(12)で開催されます。並行する8月2-4日の期間、板橋区立美術館でもハリエットのアトリエ「絵本への道」が。応募者数は定員を大幅に超え、抽選に落ちて涙を呑んだ人もいるそうです。ハリエットさんに会う最後のチャンスは、8月5日の午後のPatinaです。ご都合の合う方はどうぞ気軽にお越しください。

 (1)https://harrietvanreek.blogspot.com/

https://www.instagram.com/harrietvanreek/

(2)原題はDe avonturen van Lena Lena、1987年に受賞。1989年にリブロポートから出版された邦訳『レナレナ』は現在絶版。

(3)原題はLettersoep、2016年に受賞。未邦訳。

(4)https://www.geertentenbosch.nl/gtb2/

(5) http://www.sakuhokusha.co.jp/book/lena.html

http://www.sakuhokusha.co.jp/book/bokje.html

http://www.sakuhokusha.co.jp/book/edith.html

http://www.sakuhokusha.co.jp/book/miebook.html

好書好日に掲載された『ミーのどうぶつBOOK』インタビュー:

https://book.asahi.com/article/15015287

(6) https://www.shinchosha.co.jp/book/133917/

(7) https://www.heibonsha.co.jp/book/b639166.html

(8)http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html

(9) https://www.instagram.com/bookgallery_tomnoniwa/

(10) https://www.mgr-kyoto2007.com/

(11)https://x.com/seemoreglass96

(12) https://cafepatina.jp/

 ★滞在期間中のイベント全体の案内はこちら★

http://www.sakuhokusha.co.jp/

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西村醇子の新・気まぐれ図書室(70) ――生活術のミニ特集――

   

 周知のように、料理、掃除、洗濯、炊事、買い物などは家庭生活に欠かせない家事仕事であり、スムーズにおこなうには一定の技術が必要だ。もし、子どもがいきなり家事を担う立場になったら、ひとりで乗り越えるのは、難しいだろう。本日は、前半ではこうした「生活術」に関係する本を、後半では夏に関係した本をとりあげてみたい。


料理する

 落合由佳の『要の台所』(講談社2024年4月)は、『天の台所』(講談社、2021年9月)の続編にあたる。

1冊目『天の台所』は、朝田一家(おとうさん、小六の天、弟の陽(はる)、妹の光)が、料理を通じて再生を果たす物語だった。

天が3歳のとき、かあさんとじいちゃんが事故死する。その後の家事を一手に引き受けていたのは喜代ばあちゃんだが、去年の冬にキッチンで急死。それを発見した陽は、いまだにキッチンに足を踏み入れられない。父さんは仕事と家事の両方をがんばっているが、料理は苦手で、食卓には買ってきた総菜が並ぶ。そんな朝田一家は毎日がバタバタだった。

ふとした偶然から、天は、近所の上村商店の店主(通称「がみババ」)が、喜代ばあちゃんと仲良しだったと知る。がみババによると、自分たちきょうだいの誰かがキッチンを引き継ぐことを喜代ばあちゃんが願っていたとか。そこで天は、がみババに頼んで料理の特訓を受けはじめる。最初は卵さえきれいに割れなかったが、その後は卵料理や弁当作りに挑戦するようになり、その過程できょうだいを巻きこんだ天は、担任に勧められた子どもの料理コンテストにもきょうだいで出場する。

作品には、調理師として学校や保育園で長年働いた経験をもつ「がみババ」が料理のイロハやさまざまな工夫を伝える箇所があり、読み手にも参考になる。終盤の料理コンテストの場面では、アクシデントを乗り越えるきょうだいの工夫が発揮され、物語を盛り上げている。最後は、小学校を卒業した天の中学入学式の朝だ。

2冊目『要の台所』は、料理を通じた異文化理解を扱っている。主人公は、中一の松永要(かなめ)で、天の妹の光は中学入学後にできた友人である。光は運動能力が高く、スポーツ部をかけもちし、いつも大忙しだ。いっぽう少し気が弱いところのある要は夏休みの予定もなく、毎日をボーっと過ごしていた。たまたま、隣に住むネパール人の少女と知り合った要は、その子(サリタ)と仲良くなろうと考える。だが、サリタは要のつくったクッキーをおいしいと言ってくれたのに、冷ご飯のおにぎりは食べようともしなかった。そのことで要が落胆していると、光が食の問題の相談相手として、「がみババ」を紹介してくれた。

要はがみババのもとへ通うようになり、「ネパールの子」に向く、スパイスを使ったおにぎりの作り方を教わる。その後、生理中はキッチンに入れないとサリタが言ったことから、要はサリタと気まずくなる。すると、がみババは、「どんな理由であれ、片方だけが黙ってがまんする関係はおかしい。相手の意見を聞くことと同じくらい、自分の意見を伝えることも大事なんだよ」(p140)と、要をさとす。その後、要はサリタに自分の気持ちを伝えられるようになるし、部活で頑張りすぎて体調を崩していた光へも応援メッセージを伝えている。終盤の地域食堂での場面では、ボランティアの高校生として、光の兄の天が、ちらっと登場している。

料理を通じて子どもを指導してくれる「がみババ」のような老人は、どこにでもいるわけではない。物語で、スーパー・ヒーローのような存在に頼ることには、良し悪しがあるかもしれない。


片付ける

 『かたづけ大作戦』志津栄子作、森川泉絵(金の星社2024年6月)は、小学3年の芽衣の物語。両親の離婚後、芽衣はインテリアデザイナーの母親と暮らしている。だが母親は多忙で、家じゅうが散らかっている。芽衣もまた片づけが苦手で、学校の机もロッカーもぐちゃぐちゃだった。授業参観の日にそれが明らかになると、先生は一年生のときに教わっていた、道具箱を使う整理の仕方をその場でおこなわせる。教科書、ドリル、ノート、下じき、ファイルは右の箱に、筆箱、ハサミ、ノリ、色えんぴつは左の箱に収めると、使いやすくなった。先生は芽衣に、今のこの状態を保つようにとアドバイスした。

 母親もまた、ゴミ屋敷を片付けるテレビ番組に触発され、順番を決めて家じゅうをきれいにしはじめた。ただそのやり方は、保留やリサイクル用の分別をせず、ひたすら「もえる」「もえない」の2択で捨てまくる、というもの。自分の部屋にあった大事な思い出の品を母親に勝手に捨てられた芽衣は、怒って祖母の家へ家出する。その後、祖母の助言もあり、思い出の品物と思い出は違うことや、日頃の母親の苦労などに気づいた芽衣は、母親と和解している。

 書名に惹かれて読み始めたが、散らかった部屋の様子など、心当たりがありすぎて、ズキンとなる物語だった。

 なお2014年に岩波ジュニア新書から、杉田明子、佐藤剛史による『中高生のための「かたづけ」の本』が出版されている。(手元の版は2021年9刷。)この本の特徴は、片付けには普遍的な正解がないと断ったうえで、基本となる考え方を提示していることだ。

片付けには、日常生活で使ったものを元の場所にしまう<片付け>と、モノのもち方を見直し、モノを選ぶ力をつける<片付け>の二通りがある。仮に本に載っているライフスタイルを真似し、モノを捨てたとしても、それは根本的な解決ではないから、遠からず同じような状態に陥るだろう。だから必要なのは、モノを選ぶ力をもち、トレーニングをおこなうことだという。

杉田が自分で選択することを薦めるのは、一人一人の人生が異なる以上、その人にとっての最善はその人にしかわからないから。(片付けのための実践的な手順も、提示されている。)

 執筆者の杉田は、航空会社での航空貨物の輸出部門での経験から空間認識能力と段取りの大切さを、その後の転職先では不測の事態に備える必要を学び、やがて一般の家庭や会社で片付けの指導をする仕事についたという。片付ける力は、誰もができて当たり前のように思われるからこそ、身につけておくことが将来にも役立つ。片付けには体力も時間も必要だということも含めて、子どもからおとなまで幅広く参考にできる一冊だ。


寮で暮らす

 尾崎英子の『学校に行かない僕の学校』(ポプラ社2024年5月)は、寮付きのフリースクールが作品の舞台である。

5か月前、隣家に住む親友が亡くなった。自分のせいだと思いつめた中2の薫は、不登校になり、部屋にこもってゲームをしつづけた。だが、親にゲームとスマホを取り上げられると、生きていく理由もわからなくなった。このままでは死ぬと思った薫は、みずから森の中にある「東京村ツリースクール」に入ることを選んだ。

寮に到着した日に、親の再婚家庭に自分の居場所がないと感じた出水瑠璃(いずみ・るり;以下イズミ)と顔をあわせる。寮には、実の親にネグレクトされ、里親家庭に引き取られた杜田銀河(とだ・ぎんが)をはじめ、さまざまな背景をもつ小学5年生から中3までの子ども十数人が3人のスタッフと暮らしていた。銀河の場合は、なんでも希望をかなえてくれる里親から一度離れてみたいというのが寮にきた理由だった。

寮では毎朝の掃除や食事の後片付けは全員でおこなう。また毎月食事と洗濯の担当が班にまわってくるが、食事係の子は、食事作りを手伝うことになっている。だから寮生活はけっこう忙しい。

一方でおおまかなスケジュールはあっても、自学や遊びなどは各自が自由に取り組むことができる。そのことに薫が不安を感じると、スタッフのひとりは、人は自由にしていいと言われると、かえって不自由を感じたり不安になったりするものであり、大切なのは自分で考えることだという。そして、「森には余地がある」からと、森で時間を過ごすことを勧める。

薫が当初不思議だったのは、川向うに住む斉藤さんという年配の女性が寮生に慕われていることだ。でもイズミによると、斉藤さんは布を織ったり縫ったりすることができるすごい女性だという。子どもたちが畑仕事を手伝うと喜び、収穫物をわけてくれる。それより何より、斉藤さんは何気ないおしゃべりの相手として大切なおとなだった。薫にもそれがわかってくる。

その日もイズミに誘われて斉藤さんを訪ねた薫は、「うまく言えないけど……逃げてきたんです」(p97)と、はじめて打ち明けた。すると斉藤さんは自分もまた奄美大島から逃げてきたのだと明かし、人生には逃げないといけないときもあり、そんな自分を責めてはいけないと教える。その日の帰り、イズミはまえに斉藤さんから聞いたことを薫に伝える。すなわち「言葉には音の力というのが宿っていて、たとえば話すっていうのは離すという意味にもなるんだって。だから嫌なことは話したほうがいい」(p105)と。

薫はゆっくりと自分を取り戻していく。そして同年代のイズミや銀河との会話を通じ、自分たち3人に共通しているのは、取り返しのつかない喪失感を知っていることだと気づく。スタッフのひとりに教わった「スタンドバイミー」というスティーブン・キングの作品にちなんでいうなら、3人は何かあったときに互いの支えとなるような存在、つまり「スタンドバイユー」になろう、と言い合った。

物語は最後、薫が途中から担当しているブログで終わっている。

約1年半の日々のところどころに、彼らの転機となるエピソードがちりばめられている。前述の斉藤さんが発作で急死しているのを発見するのも薫、イズミ、銀河の3人。誰もが衝撃を受けるが、それを乗り越えていく様子も会話からわかり、全体にとても惹きつけられる物語だった。


おまけ

近藤史恵の『山の上の家事学校』(中央公論社 2024年3月)は一般を対象とした小説だが、生活を成り立たせる諸要素を確認や再発見できる。

主人公の仲上(なかがみ)は政治部の記者として働くことが生きがいだったが、ある日共働きをしていた妻から離婚され、これまで妻の要望を無視し続けてきたことを思い知らされる。自分は社会で大切な仕事をしているのだという自負心が、つねに家事軽視につながっていたのだ。

1年後。部屋は散らかり放題、食生活も乱れている仲上を心配し、妹が男性対象の家事学校への入校を勧める。仲上はリフレッシュ休暇を利用して入寮を選んだが、週末だけ参加することも可能だった。家事学校の校長によると、家事とは「やらなければ生活の質が下がったり、健康状態や社会生活に少しずつ問題が出たりするのに、賃金が発生しない仕事、すべて」(p38)だという。カリキュラムには洗濯や調理実習といった必修の科目のほか、育児研修から消火活動まで幅広い自由選択科目がある。献立を考え、買い物をすることにもそれなりの技術を要することが仲上を驚かせる。でも彼は自分が家事学校での生活を楽しんでいることや、今後は家事に前向きに取り組めそうだと気づく。

その後、職場に戻ったとき、家事学校で得た知識や能力が、パートナーへの批判になっている人物のことが話題にあがった。仲上は家事学校で出会った、親切で気遣いを欠かさない人物のことだと気づき、彼の別の顔に愕然とする…など、社会と家庭との関係についての実相もいろいろ描かれている。毎日の生活のなかにも小さな楽しみが見出せることに気づいた仲上が、離婚した妻や子どもとの関係を変化させていくことも、物語の味わいとなっている。

 つぎも一般書。佐藤まどかと、小手鞠るいは、児童文学作家である。『この窓の向こうのあなたへ』(出版芸術社2024年4月)は、小出鞠の呼びかけに佐藤が応じ、2022年10月から2023年6月にかけて二人がかわした往復書簡に、編集サイドからの<おふたりに質問>とその回答、二人の交換書評を加えた本。

興味深いことに、佐藤はイタリア人を、小出鞠はアメリカ人をパートナーとしている。また二人には外国で暮らしながら母国語の日本語で作品を書き、日本で発表している共通点がある――「エミグラント」作家というそうだ。

 小手鞠は激しい恋愛小説やどろどろした不倫話が好きだが、ある依頼を受けたことがきっかけで、子どもの本も書き始めた。「文章がすべて」という小手鞠がこだわるのは、「何を」書くかではなく、「どう」書くか。だから一般書でも児童書でも書く時の気持ちは変わらないし、とくに書き分けてもいない。

 いっぽう佐藤は、たまたま最初に子どものための話を書いたが、そのとき、主人公の年齢設定が子どもだっただけで、「子ども」向けを意識していなかった可能性はある。ただし、「児童書である以上、読んで絶望するようなものは書かない」(p38)ことを心がけている。

こうした姿勢の違いはあっても、二人はイタリアやアメリカでの暮らしを通して、さらに自分たちの送ってきた子ども時代や現在の周囲の状況から気づいた文化の違いなどを、意識して作品に取り入れている。そして物事を広い視野からみることや問題に取り組もうとすることを応援するような作品を発表している。

小手鞠るいの『ある晴れた夏の朝』(文藝春秋2024年7月)は、今の時期にぴったりの作品だろう。アメリカのニューヨーク州の町で8人の高校生が「戦争と平和を考える」というテーマのもと、原爆肯定派と否定派に分かれて公開討論会をおこなうという内容で、物語の初版は2018年偕成社から。今回の文庫版はフリガナを使用し、2021年までの関連年表をつけている。(一部語句の修正をおこなったという。)構成がたくみで、文章も読みやすいため、重たい内容にもかかわらず、ぐいぐい引き込まれる。

 プロローグは2014年4月、日本の中学校の英語教師となったメイ・ササキ・ブライアンの自己紹介である。メイは4歳まで日本で暮らしたが、その後父の国アメリカで暮らすうちに、日本での日々や日本語も忘れていた。しかし、10年前のできごとがきっかけとなって、日本で働きたいと思うようになり、ここに至ったという。

 物語本体では、2004年5月にメイが公開討論会に誘われた日を「はじまりの日」とし、その後の準備過程を示さず、8月に行われた4回の公開討論会に絞って順番に描いている。。

 事前の話し合いで、各回の持ち時間や、肯定派・否定派の順番が決まっていた。そこで、それぞれのチームは相手チームの論点を予想し、それに応じて反証として提示する資料や議論の展開を準備していた。討論では印象づけるポイントをどこにするかといった戦略をたてていても聴衆の反応も無視できず、討論会の展開はスリリングだ。

感心したのは、この短い討論会の部分に、多くの内容を手際よく詰め込んでいることだ。たとえば開戦時期の真珠湾攻撃にまつわる「嘘」、原爆投下の理由をめぐるアメリカ政府の方針の検証、第二次世界大戦中に行われていた日系人の強制収容など。討論会メンバーは、メイのように日本生まれの日系アメリカ人もいるし、中国系、ユダヤ系などさまざま。そして討論では、彼らの背景に即した展開もあり、中国やナチス・ドイツによるユダヤ人迫害、戦争と人種差別の関連、日本での原爆教育の実態等々、幅広く展開する。討論内容は説得力があるし読みやすいので、ぜひ一読を!

 佐藤まどかの本は、何冊か取りあげてきた。前述の『この窓の向こうへ』中の佐藤の記述によると、イタリアでは協調性は評価されないが、団体競技のような「互いの個性を生かした連携ワーク」(p57)は得意らしいという。今回、「スーパーキッズ」を読み、こうした部分が物語展開に反映されているようだと気づいた。

『スーパーキッズ 最低で最高のボクたち』(講談社2011年)の主人公大友良は、音楽の才能がある。しかし担任は、重要なのは理数系科目だけだと思っていて、彼を落ちこぼれ扱いする。幸いなことに彼の才能を知る副校長の推薦で、良は選考をへて、地中海の島にあるインターナショナル・アカデミーに入校が決まった。同校の目的は経済的に恵まれない子どもの才能を伸ばすことだそうで、出身地も環境もさまざまな12歳から13歳の子どもが、一期生として招集されていた。

彼らはそれぞれレベルの高い特技をもっていた。なかでもブロンクス出身の少年ギガにはとびぬけた絵画の才能があり、過去には彼の贋作が世間を騒がす事件となっていた。ギガの贋作を金儲けに利用したいギャング団は、彼がこのアカデミーに身を隠していることを突き止め、一同が遠足で出かけるタイミングを狙って、バスごと誘拐する。

ここからは一期生のメンバーが、それぞれの特技に応じて難題をきりぬける展開となる。そんなとき、絶対音感をもつだけ(!)の良に何ができるのだろうと思った。しかし彼はリーダーシップを発揮し、作戦をうまくたてる。また、秘密の通路にあった暗号の解読では、彼のもつ音楽の知識が手がかりとなっていた。

子どもたちはかなりドタバタぶりを見せながらも、それぞれの能力をいかして、人質にとられたギガ及び天才的ハッカーの少女アインシュタインを助け出すことに成功する。スパイ小説風というか、特技を持つきょうだいが協力するタイプの昔話のようだというか、スリルがいっぱいで楽しい読み物である。

 『さらば自由と放埓の日々 スーパーキッズ2』(講談社2013年)は、約2年後、アカデミーの経営者が変わり、校名もインターナショナル・スーパー・アカデミーとなった学園の話。「枠にはまらない自由な考え方」が学園のモットーだったのに、新校長になってからは有益な人材育成を目標にかかげ、理系や専門研究分野に秀でている生徒以外を、退学させようとしている。経営陣交代の裏に不正がありそうだと考えた良たち一期生は、手分けして調査をおこなうが、途中でメンバー二人が誘拐される。彼らの行方を探す一方、校内にいるスパイをみつけなければならない。陰で糸をひいているシンジケートの連中とも戦いがあり、こちらもハラハラどきどきが続く物語である。

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 つぎは『ある晴れた夏の朝』で扱っていた第二次世界大戦に関連して、テア・ランノ作の『命をつないだ路面電車』(関口英子・山下愛純訳、小学館2024年7月)を。第二次世界大戦下のイタリアで、ナチス・ドイツの親衛隊がおこなった迫害のなかに「ユダヤ人狩り」があった。この物語は、1943年10月16日の出来事に焦点をあて、その日を生き延びた人物、エマヌエーレ・ディ・ポルトさんの体験をもとにしている。

 その日、リストを手にしたナチスの親衛隊が、ゲットー地区を一軒ずつまわって、トラックに乗せにきた。母さんは仕事に出かけた父さんに警告しに外出し、戻ってきたところを路上でトラックに乗せられた。ぼくは母さんから「家にいなさい」と言いつけられていたが、それを無視し、母さんに駈け寄る。すると、母さんは他人のふりをしてぼくを突き飛ばした。さすがにそのまま自宅に戻るのは危険すぎる。ぼくは広場の路面電車の停留所で、出発しようとしている車両に乗り込み、車掌さんに「親衛隊に追われている」と言った。すると車掌さんは、ぼくが目立たないようにと気を配ってくれたばかりか、その後も食べ物をくれ、交代のときもつぎの車掌さんにぼくのことを引き継いでくれた。車庫で一晩過ごしたぼくは翌日も路面電車に乗っていたが、乗客のひとりに目をつけられたらしいと気づく。たまたま乗客のひとりがご近所さんだったので、いっしょに降車した。タイミング的にぎりぎりだったらしい。密告がからぶりに終わったとあとで聞かされた。車掌さんたちは、小さくても自分にできることをするということを心がけていて、バスでユダヤ人母子を助けたし、ぼくにも親切にしてくれていたのだ。

 その後、母さんたちをのせた列車がドイツに向けて出発したという話が伝わってくる。ぼくたちは一時身を寄せていたおばさんの家から自宅に戻った。だが、父さんが無気力になっていたため、姉さんが母親がわりをつとめ、ぼくは手押し車に中古品をのせて売ったり、古着を買い取ったりした。サン・パオラ広場で出会ったドイツ兵は高く買い取ってくれた。その後父さんは何かが吹っ切れたらしく、元の姿をとりもどした。

 悲惨な知らせが続いていたが、ある日ついに連合軍がローマにきた。でもそれでこれまでの苦しみからすべて解放されたわけではない。10月に16日にナチス親衛隊に連れていかれた1023人の住人のうち、1945年に帰ってきたのはわずか16人だった。

 この作品の作者テア・ランノさんは、イタリアに住んでいたユダヤ人たちの話を知ったとき、この話のモデル、エマヌエーレ・ディ・ポルトさんがご存命だったので訪問し、本にする許可をえたという。そのとき、人生を悲劇として書いてほしくないという要望があったそうで、物語は苦しいつらい状況のなかでも助け合って生きていた人びとの姿を、比較的淡々と描いている。

つぎのマギー・ホーンの『はなしをきいて 決戦のスピーチコンテスト』(理論社2024年5月)も、前述の『ある晴れた夏の朝』と「スピーチ」という共通点がある。じつは2024年5月号「児童文学評論」no.315-1 で訳者の三辺律子さんが、この本のテーマや魅力などを紹介済みなので、そちらをご覧いただきたい。ここには補足めいたことを少し書いておく。

 語り手はアメリカのミドルスクールの2年生、ヘイゼル。毎年開催されるスピーチコンテストで、今年こそ優勝したいと思い、去年の優勝者で別のクラスのエラ・クインをライバル視していた。ただ誰が見てもエラはかわいいし、ライリーという親友もいる。だから地味なヘイゼルとは縁のない存在だったはずだったが、男子生徒タイラー・ハリスのせいで、思わぬ接点ができた。

 物語の前半では、ヘイゼルはまず同じクラスのタイラーが基準としているのは、相手が自分の役にたつかどうか、眺めて楽しいかがであり、そうでなければ存在しないも同然であることに気づく。ヘイゼルの場合は、友だちがおらず、人に話される心配がないので、彼が一方的に言いたいことを話す相手として利用していた。ヘイゼルは、タイラーが正直に話していると思いこみ、エラ・クインに関する話を鵜呑みにしていた。でもそれは、彼に加担しているも同然だった。一連の発見の衝撃で、ヘイゼルは目が醒める。そしてタイラーが標的としていたエラ・クイン(とライリー)の「友だちの輪」に加わり、協力して対抗策を考え、戦いを挑みはじめる。

 物語に描かれているのは、SNSを介したセクシャルハラスメントの問題だけではない。エラのクラス担任や校長といった大人たちのもつバイアスも描かれている。おとなたちは、日ごろひいきにしている生徒に対する告発を真剣に聞こうとしなかったし、それどころか、出来事の表層(誰が相手を突き飛ばしたか)にしか興味を示さなかったのだ。それはヘイゼルたちにはショッキングな発見だった。

いっぽう、物語にコミカルな要素を加えているのは、ヘイゼルやエラの親たちの態度だ。ことにヘイゼルの家の場合、予期せぬ弟が誕生したことで、親はヘイゼルにとても気をつかっていた。そのため、ハウツー本を買い込み、その言葉に沿って振舞おうとするが、ヘイゼルにはそれが透けてみえる。親はまた、アイスクリームがあれば、問題が解決できると思っているようだし、ヘイゼルが小学校以来はじめて友だちと「お泊り会」に行くと伝えたときも、喜びを隠しきれない、など。

 ふだん聞き入れられない自分の言葉をきいてもらえるのが、スピーチコンテストだ、というヘイゼルの言葉は、痛烈なプロテストだ。訳書のタイトル「はなしをきいて」は本作にぴったりだと思う。

 最後に少し毛色の変わった、でも夏休みにぴったりの作品で締めることにしよう。

ななもりさちこ作、たまゑ絵『となりのじいちゃん かんさつにっき』(理論社2024年5月)は、主人公ようたの日記をまじえて、老人や昭和の暮らしという言葉がもたらしがちなイメージを、ずらしをまじえてユーモラスに描いている。

ようたは、学校から鉢植えのあさがおを持ち帰ってきた。あさがおの観察日記を書くのは夏休みの宿題だったが、水やりを忘れる。8月1日の日記に「あさがおは、きょう、かれました。だから、かんさつにっきはおわりです」と書いたら、母親に怒られた。代わりにほかのもので観察日記を書こうと思う。幸い、となりの家では地面からあさがおが生えていた。ようたはさっそく、しれっと、観察日記にあさがおの状態を記入しはじめた。それに、隣家のおじいさん(シゲじい)のことも気になり、観察対象にした。

ある日、あさがおの水やりが行われていなかった。おかしいと思ったようたは、シゲじいがぎっくり腰で動けなくなっているのをみつけた。異変を母親にしらせたおかげで、大事にならずにすんだ。それ以降、ようたは正々堂々としげじいの家に出入りした。縁側であさがおの観察日記の記入をおこない、ちゃぶ台とか黒電話など気になったものを見せてもらう。ようたが前にみかけて、あやしげな河童スーツだと思ったものは、カメのこうらをデザインしたヒーロー・スーツだという。シゲじいは、このスーツを着て、年寄専門のお助け活動をしていた。その後、失業中の若者とのやりとりをはさみ、ようたの観察日記の記述は、あさがおのタネができるころまで続く。

物語はごく自然な形で老人と子どもの触れ合いを描いているが、たのしさは、手書きの日記の記述を物語にうまく取り込んでいることからも生じている。

 ほかにも書くつもりだった本が何冊かあるが、時間切れにつき、本日はここまで。 (2024年7月)

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スペイン語圏の子どもの本から(64)

 この7月、とてもうれしい出来事がありました。アルゼンチン出身で、現在はスペインのバルセロナ郊外の町に住む、イラストレーターで作家のグスティが、板橋区立美術館で開催中の2024イタリア・ボローニャ国際絵本原画展の夏のアトリエの講師として来日したのです。

 

 グスティの来日は、『マルコとパパ ダウン症のあるむすことぼくのスケッチブック』(グスティ作・絵 宇野和美訳 偕成社 2018)が出版されたときからの夢でした。

 グスティが、スペインはもとより、ラテンアメリカの国々を訪れてワークショップを行うようすや、地元サン・クガッド市を拠点に、ダウン症や自閉症を持つ人たちと絵を描くWindown(ウィンダウン)の活動のようすを、フェイスブックでいつも見てきたからです。

 

 今回グスティは、妻のアンヌさん、次男のマルコさん(17歳!)とともに来日し、7月9日から13日まで5日間、夏のアトリエの講師を務め、14日は講演会「インクルーシブな絵本づくり」、15日は美術家の中津川浩章さんとの対談「社会的インクルージョンと美術館の役割」で、ご自分の絵について、マルコさんとともに行ってきた活動について話してくださいました。

グスティは、いつもユーモアで語ります。

 未邦訳の絵本No somos angelitos(ぼくたちは天使じゃない)は、ダウン症のある子どもたちのことを、「天使だ」という人に、「天使だっていうなら、あげるよ」と切り返す場面で始まります。「ぎょっとする人がいるけれど、正直な気持ちだし、ユーモアだ」と、グスティは語ります。ダウン症のある子どもは天使なんかじゃない、いたずらや、わがままも言えば、ゆかいなこともする、ただの子どもだ、と。色えんぴつのすべての色を使っていることは、多様性の象徴だそうです。

 El camello Alberto(ラクダのアルベルト)は、3つこぶがあるせいで仲間はずれにされていたラクダのおかげで、だれもがそれぞれ特徴をもつことに、みんなが気づくという絵本です。

 絵を描くことで、人と出あい、自然と宇宙と出あってきたグスティ。描く対象と謙虚に向かいあうこと自体が、インクルーシブなことなのかもしれません。

 講演会のスライドに使われていた絵も多数入っている、グスティの画集のような本 Un viaje en lápiz(えんぴつで旅する)をめくっては、枠にはまらない、そもそも枠など頭になさそうな、魅力あふれるグスティを今も思い出しています。

 

『マルコとパパ』のほか、グスティの作品は次の2点も現在入手可能です。

『はらぺこライオン エルネスト』(ローラ・カサス文 グスティ絵 星野由美訳 ワールドライブラリー 2016)

 https://www.worldlibrary.co.jp/library/2079

『色とりどりのぼくのつめ』(アリシア・アコスタ、ルイス・アマヴィスカ文 ガスティ絵 石井睦美訳 光村教育図書 2022)

 https://ehon.mitsumura-kyouiku.co.jp/book/b10039057.html

 

 夏のアトリエと講演と対談について詳しくは、板橋区立美術館の報告をお読みください。

 下記のリンクは、夏のアトリエの1日目のものですが、開くと左側の目次から、全日程の報告にアクセスできます。15日の報告では、Windown(ウィンダウン)の活動についても触れられています。

https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000614/4001891.html

 

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◎JBBY 50周年連続講座:日本の国際アンデルセン賞受賞作家たち・第4回

上橋菜穂子さん講演会「世界のしらべ 物語の灯り」

連続講座の第4回は、2014年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞した上橋菜穂子さんをお迎えします。ご参加をお待ちしています。

日時:2024年9月14日(土)14:00-16:00

会場:(1)出版クラブビル・会議室(東京都千代田区神田神保町1-32)80名 (2)オンライン 100名(リアルタイム配信のみ)

お申込み: https://jbbyonline050.peatix.com 8月1日(木)から

(宇野和美)


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◆ぼちぼち便り◆ *作品の結末まで書いています。

 

7月の読書会は、『王の祭り』 (小川英子/著 佐竹美保/画 ゴブリン書房 2020年4月)を課題本に選びました。

 

1575年日本で、童女お国は、綱の上を歩く父、蜘蛛ノ介の肩の上で立ち上がり、信長に菓子を与えられます。一方、同年イギリスでは、革職人の息子ウィル(ウィリアム)がエリザベス女王の暗殺事件に巻き込まれます。そして、エリザベス女王、劇団の俳優として代役を頼まれたウィル、ウィルの相手役で暗殺にもかかわるハムネットの3人が、ウィルと知り合った妖精パックにいざなわれて1582年の日本へタイムスリップします。3人は織田信長やウィルと同い年になったお国などに出会い、本能寺の変を体験して、パックと五条狐の助けを借りて元の国に戻ります。ウィルはのちのウィル・シェイクスピア、お国は、のちの出雲阿国だということが示唆されて終わります。

 

 全体的には、着眼と発想がおもしろく、奇想天外で、大冒険や意外な設定があって楽しめた。、信長とエリザベス女王が同じ時代に生きていたと知ってびっくりした。よく調べられていると思った、などの感想が述べられました。

 

特に人物の配置について以下の指摘がありました。

 王   信長とエリザベス女王

 庶民 ウィル(演劇)とお国(踊り)

 空想 パックと五条狐

のように、 対比して考えられる点がユニークで、いずれもお互いを理解し、仲良くなる点が共通している。

 

 その人物像については、登場人物はみな丁寧に描かれている。魅力的な登場人物だと思った、などの感想が述べられるとともに、文化的背景も、言葉も違う者たちが出会うので、もっとお互いが通じなかったのではないかと思ったという人もいました。以下、具体的な人物に対する感想です。

 

ウィルについては、ウィルの成長物語として読んだ。日本に来てからはエリザベス女王と対等なのがおもしろかった。お国については、戦のときに腕を切られた母に抱きしめられたいと思うところが印象に残った。お国が白狐といっしょに踊る迫力ある場面はイメージ豊かで、目の前で見ているように感じられた。どちらも最後には父の仕事を継がないと決意し、自分の才能を生かして生きて行こうとする点が共通している。二人がのちのシェイクスピアとお国になることは大人はわかるが、子どもはわからないかもしれないと思った。

 

信長とエリザベス女王については、「プロローグ」で、お互いが「王の中の王」に興味を示し、それが実現したという点がおもしろい。二人が初めて出会ってお互いに惹かれ、信長が徹底的にもてなす場面が好きだった。信長がエリザベスに出会った場面は、エリザベスが空からやってきたので、もっと驚くのではないか。権力者の孤独や、責任を感じている様子が描かれ、二人とも命を狙われる点も共通している。信長も、エリザベス女王も自分の道を選んで生きているように描かれている。エリザベス女王は、日本に来ることによって自分の願望に気づかされたと描かれている。レスター伯爵は、エリザベス女王を愛したからこそ、他の人と結婚するならペストに罹らせて殺そうと考える。このねじれた愛の伯爵のその後については書かれておらず、物足りなさを感じた。信長は、1965年、NHK大河ドラマ『太閤記』の高橋幸治を思い出した。高橋幸治が大好きで、これまで見たどの信長よりイメージがぴったりするので、この作品で再会したような気持ちになれてうれしかった。

 

妖精パックに関しては、シェイクスピア「真夏の夜の夢」に登場するパックを思わせ、「真夏の夜の夢」同様に、パックがいることで人が入り乱れる様子がうまく取り入れられている。また、パックがいると、ウィルが日本語を理解するなど、うまく使われている。ストーリーをつなげていく役割を果たしている。強調されすぎず、大事な役割を果たしている。パックは忘れっぽいけれど約束は守るという点が魅力。パックのきままさにややついていけなかった。五条狐はパックのために、ウィルたちが帰国できる願い花を見つける。『白狐魔記』(斎藤洋/著 偕成社)の白狐を思い出した。

 

 ウィルのばばちゃんと呼ばれる祖母がウィルにパックを出会わせてくれたところがおもしろかった。そのとき、ハンカチと女のひげが必要で、ばばちゃんが自分のひげをぬいたところが好きな場面だった。ばばちゃんの「子どもの時間は必ずおわるものです。子どもの時間を子どもで過ごさなかった人は、それが心残りで、いつまでも大人になれないのです。」という言葉や、「子どもはみんな、妖精と一度は遊ぶのです。そうして大きくなるのです。学校へいくより、森へいきなさい。森は人を敬虔にします。この世のことは、人間にはなにひとつわからないのです。」に共感した。

 

エリザベス女王の暗殺を企てながら、日本に一緒にやってくることになるハムネットに関しては、「王とか女王とか、むかつくだけだ。なんであいつらは王なんだ。王家に生まれただけでえらいのか」と発言するなど、権威に対する批判を述べる役回りになっていると思った、などです。

 

 作品の舞台の描かれ方については、京都の町人文化がわかる。16世紀のイギリスの様子がおもしろい。イギリスの皇室のありようは今と変わらないと感じた。安土城の描かれ方もおもしろかった(「あとがき」に内藤昌氏の吹き抜け説を参考にしたとある)。どちらも階級差別があり、人権のない時代が描かれており、イギリス人も日本人も同じような道を歩いてきたんだなあと思った。16世紀のペストと現代のコロナが重なった。日本に来る直前の描写は映像が見えるように思った、などが述べられました。

 

 作品には、多くの社会問題が描かれています。エリザベス女王の母親が父親によって断頭されたことや、レスター伯爵の姉は女王の女官だったが、女王の看病をしていて天然痘にかかってあばたが残ったため、女官を退任したことや、お国の母親は、戦で両腕を切られたことや、信長に仕える黒人の弥助と奴隷問題、ローマ教皇の女王暗殺計画、階級社会、ウィルの父の権力、ウィルに対するいじめ、蜘蛛ノ介に養われるようになった三つ子に対する偏見などです。それに対してやや盛り込みすぎのような気もした。そこからこの作品で問おうとする歴史観や人間観がもっと見られてもよかったのではないかという意見もありました。

 

日本のファンタジー作品という意味では、史実を元にし、日本とイギリスの同じ時期を同じ物語の中で展開して見せた力量を感じる。エリザベスたちは元の世界にうまく戻った。結局2日ほどしかたっていなかったという点も「真夏の夜の夢」と似ている。ファンタジーらしい時間の扱われ方だと言える、などが述べられました。

 

 全体として、ハラハラドキドキしてあっという間におもしろく読んだ。次から次に読ませる。エリザベス女王やウィルはイギリスに帰ることができるのかを知りたくて最後まで読んだ。描写がうまい。映像を見せるような文章。場面が浮かぶ。場面が切り替わるさまは、まるで舞台で演じられているのを見ているように感じた。マンガにしたらおもしろいと思った、などの肯定的意見が多くある中で、場面場面はおもしろいが、日本の場面とイギリスの場面が交互に出て来るところは、つなぎがスムーズだと感じられなかった。イギリスの場面だけで十分におもしろかったので、日本の場面に移行したとき、読み続けるのを躊躇した。話があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりするのでついていけなかった。置いてけぼりを食ったまま物語が進行していくように感じた。殺し屋たちの関係がわかりにくかった。人間模様を読む楽しさはあるが、誰かに寄り添って読むという読み方ができないため、どこか物足りなさが残った、などの感想もありました。

 

この作品は、2020年度の「日本子どもの本研究会作品賞」に選ばれています。受賞理由をみんなで確認し、納得して読書会を終了しました。(土居 安子)

 

<財団からのお知らせ>

● Instagram https://www.instagram.com/iiclo_official/ new!

●おはなしモノレール 貸切モノレールに乗って絵本やおはなしを楽しみ、彩都で人形劇を観よう

http://www.iiclo.or.jp/03_event/01_kids/index.html#ohanashimonorail

●「大阪国際児童文学振興財団 研究紀要」第38号の原稿を募集中。10月31日(木)締切

※ 詳細はhttp://www.iiclo.or.jp/06_res-pub/04_journal/boshu.html

● 40周年記念フォーラム「童話を語る・絵本を描く-童話・絵本のつくり手を目指すみなさんへ-」 *無料

http://www.iiclo.or.jp/07_com-con/02_nissan/index.html#40forum

〔YouTube〕 https://youtu.be/siMJpFcPydY

● 第16回アジア児童文学大会 大会テーマ:平和を希求するアジア児童文学

開催日:8月24日(土)、25日(日) ※ 有料、要申し込み

会場:関西学院大学 西宮上ヶ原キャンパス

http://www.iiclo.or.jp/03_event/04_other/index.html

● 寄付金を募集しています

https://syncable.biz/associate/19800701/


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三辺律子です。


先日の朝日中高生新聞では、『化学の授業をはじめます』【ボニー・ガルマス (著), 鈴木美朋 (翻訳)文藝春秋】、『リーゼ・マイトナー 核分裂を発見した女性科学者』【マリッサ・モス (著), 中井川玲子 (翻訳)岩波書店】、『分解系女子マリー』【クリス・エディソン (著), 橋本恵 (翻訳)小学館】を紹介しました。毎回、共通のテーマがある本を3冊ずつ紹介しているのですが、今回の共通項は「理系女子」。本当は理系女子という言葉は使いたくないけれど、理系科目の得意不得意に性差はないのだという超超超超超あたりまえのことが認識されたのはごく最近、という悲しい事実を再確認するためにも(そして、いまだに確認できていない人たちも存在するという腹立たしい事実に対抗するためにも)、あえてこのテーマでまとめました。というわけで、書評の冒頭はこんな感じ。


  理系の科目は好きですか? 一口に理系と言っても、数学や工学など色々ありますが、世界的傾向として、理系に進む女子は少ないそうです。女子は理系が不得意だから!? 男子はみんな数学が得意?! そんなことはないですよね。実際、15歳の数学の成績の統計データを見ると、日本でも世界のほとんどの国でも、性差はありません。では、なぜ女子は少ないのでしょう?


紙面が限られているので紹介しきれませんでしたが、『化学~』は主人公エリザベスのオタク変人ぶりがとにかく笑えるし、『リーゼ・マイトナー』はマンハッタン計画にも通じる発見をしたマイトナーを取り上げるという“旬”の本であることに加え、毎回章の冒頭に漫画を載せて読みやすくする工夫をするなど、若い読者に配慮した作品になっています。『分解系~』は今のIT業界のトップたちを戯画化したような人物も登場し、まさに現代的な物語。

朝日中高生新聞の読者である中高生に届きますように。そして、どうか大人が勝手な偏見で若い人の選択肢を狭めませんように。



〈一言映画評〉

『シャーリイ』

 あのシャーリイ・ジャクスンが『処刑人』を描くまでを、現実と虚構を織り交ぜつつ映画に。

映画全体に漂う雰囲気がシャーリイの小説世界を彷彿させ、すっかり惹きこまれていたーーのだけど、最後の最後のシーンが! 最初は納得できないと思っていたのですが、作家の深緑野分さんのツィートを拝見して、だいぶ腑に落ちました。

 そもそもシャーリイ・ジャクソンの小説はそこそこ読んでいたにもかかわらず、よりによって『処刑人』を読んでいなかった! これを読んでいると、面白さ倍増。

 

『フォール・ガイ』

 ライアン・ゴズリング演じるスタントマンを主人公にしたアクション映画。というわけで、アクションシーン(とその裏側)満載。頭を空っぽにして楽しめる……のですが、これからどんどんAIが使われるようになると、スタントマンという仕事はどうなるのだろうとつい思ってしまったのでした。


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*以下、ひこです。


【絵本】

『ひとのなみだ』(内田麟太郎:文 nakaban:絵 童心社)

 戦場にロボットを送り込める豊かな国と、ロボットを買えない貧しい国の戦争。ロボットを使っている国にとって戦争はまるでゲームのよう。本当は何が起こっているかを薄々知っているけれどぼくらは関心を持たない。戦争の非人間さ、だからこその人間臭さを描きます。涙を流せる人間の柔らかな心に訴えかけます。

https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494015979


『いちごりら』(麻生かづこ:作 かねこまき:絵 ポプラ社)

 いちごを食べたごりらが「いちごりら」(顔がいちご)になってしまう。という展開を色んな動物で繰り返します。くりとりすで、「くりす」とかね。好きだなあ、こういうベタな絵本。読み聞かせでも確実に盛り上がるし。

https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2083099.html


『シッゲのおうちはどこ?』(スティーナ・ヴェルセン&セーブ・ザ・チルドレン・スウェーデン:作 きただいえりこ:訳 子どもの未来社)

 母親は毎日精神的に疲れて、何も出来ず、シッゲの面倒を見てくれません。それでも、いや、それ故、シッゲは母親のそばにいたいと思っています。そんなシッゲの家に見知らぬ大人たちがやってきて、ネグレクトされている彼を救い出します。もちろん母親も。少しずつ回復していく母親と、里親に預けられた環境にも慣れてくるシッゲの姿が描かれます。さみしくも凜としたシッゲが良いです。

http://comirai.shop12.makeshop.jp/view/item/000000000353


『ぼくはくまのままでいたかったのに……』(イエルク・シュタイナー:文 イエルク・ミュラー:絵 大島かおり:訳 ほるぷ出版)

 1978年翻訳本の復刊です。資本主義社会の有り様を風刺しています。

 くまが冬眠から覚めると、森はなくなり工場が建っています。わけのわからないくまを労働者と間違えた工場長は、働けと命じます。ぼくはくまだと主張するくまは、社長のところまで連れて行かれ、彼からくまでない証拠を突きつけられます。つまり、くまというのは動物園かサーカスにいるもので、そうでないキミは人間だと。しかし、冬が近づくとくまはだんだん眠くなり、もうどうしようもなく眠くなり……。

https://www.holp-pub.co.jp/book/b647873.html


『にじをかけたむすめ 中国苗族の昔話』(宝迫典子:文 後藤仁:絵 BL出版)

 苗族の美しい刺繍にまつわる昔話です。村一番の刺繍を刺す娘の噂を聞いた王様は、無理やり宮中に連れ帰ります。王様の意に背き、帰りたいと言うばかりの娘。そこで王様は彼女に難題を出します。刺繍で描いた生き物を本物にせよというのです。次々とクリアしていく娘ですが、王様は難癖を付けて帰しません。王様は龍を出せと言い、娘はそれを実現し、王宮を龍の炎で焼き払い、天へと昇っていきます。空にかかるニジは、娘が刺した刺繍だと言われています。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784776411383


『うつくしいってなに?』(最果タヒ:作 荒井良二:絵 小学館)

 黄昏から夜が世界を抱きしめていく時間を女の子は眺めています。空に光る星は数え切れないほどの記憶。やがて眠くなっていきながら女の子は美しい物について考えます。それは、私が子どもの頃に考えた物とは真逆ですけれど、求めた気持ちはわかります。

https://www.shogakukan.co.jp/books/09725276


『森の歌がきこえる』(田島征三:作・絵 L.インシシェンマイ:オブジェ 偕成社)

 人の欲望と自然の共生力。ノイの小さな村はいつも遠くから美しい歌声が聞こえてきます。街からやってきた人の誘惑に負けて村人は森の木を金になる木に植え替えてしまう。そのためノイは母のための薬草が採れなくなり、森の奥へ。そこで、美しい歌声と、美しい織物を織る女に出会い、思わずノイは織間を盗んで逃げてしまう。荒廃していく村だったが、洪水は金になる木を根こそぎ流してくれ、ノイは美しい少女に出会うのだが……。田島とコラボしたインシシェンマイの流木などを利用した人形が自然の力を具現していて良いです。

https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033521909


『ときの鐘』(小林豊 ポプラ社)

 『東京』と舞台を同じくして、江戸の時代を描きます。鐘楼で時を告げる仕事をしている祖父を持つ新吉は、オランダ人のヤンと出会います。江戸の街に興味があるヤンと一緒に散策していると、新吉にも新しい江戸が見えてきます。小林氏の描く江戸は美しい。

https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2083098.html


『ぼくのひみつのともだち』(フレヤ・ブラックウッド:作 椎名かおる:訳 あすなろ書房)

 街の片隅に小さな森が隠れるようにあります。学校で独りぼっちの少年は、下校後ここにやってきます。彼だけが知っている動物がいるのです。それは一本の幹を鼻に、木々の生い茂る枝葉を胴体に見立てたゾウです。ゾウは少年の慰めです。

 ところが街の開発で樹木は切り倒されることに。

 どうしよう。

 心優しいファンタジーです。

http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751531860


【児童書】

『girls』(濱野京子 くもん出版)

 母親と二人暮らしの女子中学生、宙、紗菜、美森。次々と視点を変えながら、「女」にまつわりつく差別について語られていきます。やがてそこに母親たちの言葉も加わってきて、世代から世代へと手渡していく、シスターフッドの物語。あなたが女なら、いや男でも、この作品のどこかにうなずくところがあるでしょう。

https://shop.kumonshuppan.com/view/item/000000003557


『なんとかなる本2』(令丈ヒロ子 講談社)

 「なんとかなる本」って、秀逸なタイトル。抱えている問題が解決すると言われたら、本当かなとなるけど、「なんとかなる」と表現されればちょっとだけ勇気が湧いてくる。このシリーズでは、魔法の力によって、一時は悩みが解決するようにみえるけれど、そううまくは行かず「なんとかなる」ところへ落着していく、その呼吸の見事なこと。これこそ、子ども読者にとって身近な本だ。令丈は、新しい世界を生み出した。

https://cocreco.kodansha.co.jp/aoitori/aoitoribooks/0000387219


【その他】

『教科別びっくり!オモシロ雑学 国語』(国語オモシロ雑学研究会:編 岩崎書店)

 教科と雑学を結びつけた発想がいいですね。教科もオモシロくなります。ってか、教科が本当は面白いってだけなんですが。雑学から教科に近づいてくださいな。なぜタコやイカの数え方が一杯、二杯なのか? これは知りませんでした。昔から不思議だったのに、自分で調べなかったんですね。反省。

https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10080525.html


【絵本カフェ】

『戦争は、』(ジョゼ・ジョルジェ・レトリア:文 アンドレ・レトリア:絵 木下眞穗:訳 岩波書店)

 ずばり、戦争とは何か? を語っています。決して明るくはありません。画面全体の色調も暗く、不穏さが漂います。だからといって、この絵本を閉じて、遠ざけてしまわないでください。絵本は、カワイイや楽しいばかりを描いてはいません。絵本が表現活動であるかぎり、その中には悲しみも怒りも暗い現実も描かれるのです。

 「戦争は、日常をずたずたにする」。これは、誰しもが納得するところ。ただし、急にそうなるのではありません。私たちの日常は、戦争を欲する人々によって気づかれないように、徐々にずたずたにされていきます。ですから私たちはその変化に敏感である必要があります。

 「戦争は、何も聞かない、何も見ない、何も感じない」。敵に勝つためには、国民の声や生活に気配りしている余裕は、戦争にはありません。もちろん、敵側の人々の悲しみや被害にも関心がありません。目的は単純。勝つためには、何をしてもいいのです。

 「戦争は、ありとあらゆる恐怖が集まって、残忍な姿に化けたものだ」。戦争は見かけと違って、勇気のある行為ではありません。小心な権力者とそれに追従する国民によって引き起こされます。恐怖を覆い隠すために、残忍になるのです。

「戦争は、物語を語れたことがない」。物語が描く真実は、戦争がもっとも恐れるものの一つです。焚書や禁書に走るのは、それ故です。そして、「戦争は、沈黙だ」というわけです。

 戦争の顔について、まだまだ語られています。それらの絵と言葉に向き合って私たちは、TVやネットの向こうにあるかのような「戦争」を、自分たちの身近に潜んでいるものとして感じとる、鋭敏な心を持ちたいですね。

https://www.iwanami.co.jp/book/b643142.html


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2024年YAブックフェアのお知らせ。

丸善京都本店と大垣書店イオンモールKYOTO店の共同企画です。今年のテーマは「居場所」。選書は、土居安子、高木すえ子、村中季衣、ひこ・田中。

 会場にはリーフレットもございます。

 丸善京都本店

■期間  7月14日(日)~8月31日(土)

■場所  地下2階  TEL 075-253-1559


大垣書店イオンモールKYOTO店

■期間  7月17日(水)~9月初旬

■場所  店内イベントスペース TEL 075-692-3331

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